高木正弘
高木 正弘(たかぎ まさひろ)は、江戸時代前期の大名。河内国丹南藩の第3代藩主。官位は従五位下・主水正。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長18年(1613年) |
死没 | 明暦4年6月13日(1658年7月13日) |
改名 | 善次郎(幼名)、正弘 |
墓所 | 京都市左京区黒谷町の金戒光明寺光守院 |
官位 | 従五位下、主水正 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
藩 | 河内丹南藩主 |
氏族 | 高木氏 |
父母 | 父:高木正成、母:山口重政の養女 |
兄弟 |
正弘、正好、正房、渡辺吉綱正室、 丹羽氏定正室、設楽貞辰室 |
妻 | 柴田康長の娘 |
子 | 正盛、清長、正綱、板倉重形正室、石川総氏正室 |
略歴
編集第2代藩主・高木正成の長男として誕生した。母は山口重政の養女(竹田某の娘)。幼名は善次郎。
寛永8年(1631年)、上総国内で1000石を与えられた。寛永12年(1635年)、父の死去により跡を継ぐ。このとき、家督相続前に与えられていた1000石は没収され、父が生前に与えられていた3000石の加増分も正好、正房の2人の弟に分与した。
大番頭、次いで二条城の守衛となったが、在任中の明暦4年(1658年)6月23日に死去した。享年46。墓所は京都市左京区黒谷町の金戒光明寺光守院。
跡を長男の正盛が継いだ。