魏駒[1](ぎ く、? - 紀元前446年)は、魏桓子(ぎ かんし)ともいい、春秋戦国時代の卿。

魏駒は魏侈(魏襄子)の子として生まれた[2]。魏侈が死去すると、魏駒が後を嗣いで魏氏の宗主となった。紀元前453年、魏駒は智瑶(智伯・智襄子)や韓虎(韓康子)らとともに趙無恤(趙襄子)を晋陽に包囲した。趙無恤の調略を受けて、魏駒は韓虎とともに智瑶を襲撃し、智瑶を敗死させた。智氏の領地を魏・の3氏で分け取る[3]と、魏氏の領地は拡大し、魏が諸侯へと飛躍する契機を作った。紀元前446年[4]、魏駒は死去し、子の文侯が後を嗣いだ[5]

脚注編集

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  1. ^ 史記索隠』魏世家所引『世本
  2. ^ 『史記索隠』所引『世本』による。『史記』魏世家は魏侈の孫とする。
  3. ^ 『史記』魏世家
  4. ^ 『史記』六国年表では紀元前425年に相当するが、魏の紀年は『竹書紀年』によって大きく補正されている。
  5. ^ 『史記索隠』所引『世本』による。『史記』魏世家では文侯は魏桓子の孫とする。
先代:
魏侈
氏当主
第8代
次代:
魏斯)→魏の文侯