黒川 義太郎(くろかわ よしたろう、1866年9月24日慶応2年8月16日) - 1935年昭和10年)9月20日)は日本の獣医、動物園長。

人物

編集

1866年安房国北三原村(現・千葉県南房総市)生まれ[1][2]、ただし「自然誌古典文庫創始号(近藤, 1988)」によれば、「慶応2年(1866)8.16江戸番町に生れる」となっている[3]1892年7月、帝国大学農科大学獣医学科乙科(実科)を卒業し、同年7月15日、帝室博物館天産部付属上野動物園に採用され、上野動物園最初の選任獣医師となる[2][3][4]1907年3月に石川千代松動物園監督のもとでキリンが導入され、動物園の年間入園者が初めて100万人を突破する大変な人気となるが、キリン購入の経緯が上層部に報告されていなかったらしく、この問題で初代動物園監督であった石川千代松は同年5月15日に上野動物園を辞任する[4]。後任の園長相当職として、黒川義太郎が動物園主任に就任する(1907年6月11日)[4]1930年をすぎてからは健康をそこねて、1932年からは休職状態となり、1933年1月17日に退職する[4]。上野動物園在職期間は41年におよび、「動物園の黒川おじさん」として少年少女から親愛されていたという[2]1935年9月20日、東京市世田谷区の自宅にて療養中に逝去、69歳[2]

著書

編集

論文

編集

賞詞

編集
  • 1923年12月28日:正七位[3]
  • 1924年1月26日:在職多年により御紋章付銀盃下賜[3]
  • 1924年2月1日:勲七等瑞宝章[3]
  • 1931年3月20日:動物園開園50周年記念にあたり東京市より表彰[3]

脚注

編集
  1. ^ 国立国会図書館(NDL)典拠データ検索
  2. ^ a b c d 東京朝日新聞1935年9月22日付夕刊東京
  3. ^ a b c d e f 自然誌古典文庫創始号”. 2015年2月14日閲覧。
  4. ^ a b c d 石田戢, 2000.上野動物園, 東京公園文庫16, 東京都公園協会