黒田長重
江戸時代前期から中期の大名。筑前秋月藩2代藩主。従五位下・甲斐守。黒田長興の次男
黒田 長重(くろだ ながしげ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。筑前国秋月藩2代藩主。官位は従五位下・甲斐守。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 万治2年3月5日(1659年4月26日) |
死没 | 宝永7年10月29日(1710年12月19日) |
改名 | 幼名:千之助、長重 |
戒名 | 英雲院 |
官位 | 従五位下、甲斐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱、綱吉、家宣 |
藩 | 筑前秋月藩主 |
氏族 | 黒田氏 |
父母 | 父:黒田長興、母:法流院(佐竹義隆の娘) |
兄弟 | 犬万、長重、彦子、さん、小笠原真方正室、勝子 |
妻 | 正室:富貴子(勝真院、黒田光之の次女) |
子 | 長軌 |
略歴
編集初代藩主・黒田長興の次男として江戸にて誕生した。幼名は千之助。
寛文5年(1665年)、父の死去により家督を継ぐ。秋月藩では長興の晩年から既に財政窮乏化が始まっていた。このため長重は厳しい倹約令を出して藩札を発行し、京都や大坂の商人に対して借金返済の停止を行い、上米制度を実施するなどの藩政改革を行った。また、家老制度も確立している。元禄5年(1692年)には外様大名でありながら奏者番となった。
系譜
編集父母
正室
- 富貴子、勝真院 - 黒田光之の次女
子女
- 黒田長軌(長男) 生母は勝真院