龍崎 道輔(りゅうざき みちすけ)は、戦国時代武士大内氏家臣。大内政弘歌集である「拾塵和歌集」の撰者の一人。

 
龍崎道輔
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 不詳
官位 中務丞、中務少輔
主君 大内政弘義興
氏族 源姓龍崎氏
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生涯 編集

大内氏に仕える。道輔は「大内問答」にも出てくる文人であり、大内政弘の歌集である「拾塵和歌集」の撰者の一人となった。

大内義興の代には奉行人を務め、永正5年(1508年)に義興が足利義尹(義材、義稙)を奉じて上洛した際には、道輔も義興に従って上洛した。上洛後の道輔は相変わらず学問や先例の調査に余念がなく、永正6年(1509年)春には大内氏と関係の深い三条西実隆へ2巻にも及ぶ「不審条々」を送り、2月8日に回答を得た。またこの時、三条西実隆はわざわざ「公卿殿上人交名」を道輔に送っている。

参考文献 編集