龍海院 (岡崎市)

愛知県岡崎市にある寺院

龍海院(りゅうかいいん)は、愛知県岡崎市明大寺町にある曹洞宗寺院

龍海院
龍海院本堂
所在地 愛知県岡崎市明大寺町西郷中34-1
位置 北緯34度57分5.213秒 東経137度9分53.228秒 / 北緯34.95144806度 東経137.16478556度 / 34.95144806; 137.16478556座標: 北緯34度57分5.213秒 東経137度9分53.228秒 / 北緯34.95144806度 東経137.16478556度 / 34.95144806; 137.16478556
山号 満珠山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 1530年享禄3年)
開山 模外惟俊
札所等 三河三十三観音霊場 第7番
法人番号 3180305001037 ウィキデータを編集
龍海院 (岡崎市)の位置(愛知県内)
龍海院 (岡崎市)
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概要 編集

享禄3年(1530年)6月[1]、模外惟俊を開山として松平清康が創建した。通称「是之字寺(ぜのじでら)」。清康が20歳の時、左手に「是の字」を握る夢を見、これを模外和尚に占わせたところ「これは吉兆、『是の字』を握るは天下をとることなり」と答えたという逸話がある(「是」を分解すると「日下人」と読める)。喜んだ清康は模外のために本寺を建立したと言われている[2][3]

天正18年(1590年)に徳川家康が関東に移封されると、本国の留守居を任されていた酒井重忠は武蔵川越に1万石の所領を与えられた。新たに三河国岡崎城主となった田中吉政によって破却されたが、慶長6年(1601年)に本多康重が城主となると再建された。慶長8年(1603年)9月11日付で家康から朱印状を拝領する[4]

1945年昭和20年)7月19日から20日にかけての岡崎空襲により焼失した。

1970年(昭和45年)5月、RIA建築綜合研究所(現在のアール・アイ・エー)の山口文象の設計により、鉄筋コンクリート構造の本堂、社務所の建築工事が着工。工費は約7,000万円。翌1971年(昭和46年)に全天光照明の三角屋根の本堂が完成した[5]

ギャラリー 編集

札所 編集

交通手段 編集

脚注 編集

  1. ^ 『岡崎市勢要覧 昭和41年版』 岡崎市役所、1966年7月、28頁。
  2. ^ 龍海院”. 岡崎おでかけナビ. 岡崎市観光協会. 2022年1月5日閲覧。
  3. ^ 『岡崎 史跡と文化財めぐり』, pp. 26–27.
  4. ^ 『新編 岡崎市史 近世 3』新編岡崎市史編さん委員会、1992年7月1日、117頁。 
  5. ^ 東海新聞』1970年5月21日、2面、「25年ぶりに本堂再建 家康ゆかりの是字寺龍海院」。
  6. ^ 『家康忠勝三百年祭記念写眞帖』家康忠勝三百年祭岡崎協賛會、1915年5月28日。

参考文献 編集

  • 『新編 岡崎市史 総集編 20』新編岡崎市史編さん委員会、1993年3月15日、413頁。 
  • 『岡崎 史跡と文化財めぐり』岡崎市役所、2003年1月1日。