プルゼニ - ジャテツ線

160号線 (チェコ)から転送)
プルゼニ - ジャテツ線
路線番号107
路線総延長71 km
軌間1435 mm
最大勾配 14 パーミル
最高速度70 km/h
停車場・施設・接続路線
STR
ジェレズナー・ルダ - プルゼニ線
ABZg+l
プルゼニ - フルト線
ABZg+l
プルゼニ - ヘプ線
BHF
0.0 プルゼニ中央駅 325 m
ABZgr
プルゼニ - チェスケー・ブヂェヨヴィツェ線
ABZgr
プラハ - プルゼニ線
eDST
2.3 Plzeň seř. nadr. 315 m
HST
3.3 プルゼニ白山駅 315 m
HST
6.2 プルゼニ・ボレヴェツ 340 m
HST
8.3 トジェモシュナー(プルゼニ近郊)停車駅 360 m
BHF
10.3 トジェモシュナー(プルゼニ近郊) 345 m
HST
15.0 ホルニーブジーザ停車駅 390 m
HST
17.6 ホルニーブジーザ 415 m
HST
21.6 オボラ(カズニェヨフ近郊) 450 m
BHF
26.3 カズニェヨフ 415 m
BHF
32.5 プラシ 355 m
HST
34.9 ホルニーフラディシュティエ 345 m
HST
38.0 ムラドチツェ停車駅 370 m
BHF
40.2
137.3
ムラドチツェ 415 m
eABZgr
旧ラコヴニク - ムラドチツェ線
HST
143.1 ポトヴォロフ 425 m
STR+GRZq
143.223 ボヘミア・モラヴィア保護領境界 (1938~1945)
BHF
147.5 ジーフレ 460 m
HST
152.4 パストゥホヴィツェ 450 m
ABZg+r
ラコヴニーク - ベチョフ・ナド・テプロウ線
BHF
156.7 ブラトノート(イェセニツェ近郊) 410 m
ABZgl
ラコヴニーク - ベチョフ・ナド・テプロウ線
HST
160.4 ステブノ 375 m
BHF
163.0 ペトロフラド 350 m
BHF
167.4 クリリ 315 m
BHF
172.4 ヴローテク 345 m
BHF
180.6 ポドボジャニ
BHF
186.6 カシュティツェ 285 m
ABZg+l
カダニ - カシティツェ線
eHST
190.5 旧クニェジツェ 255 m
eHST
192.8 旧チェイコヴィツェ 250 m
eBHF
196.6 旧ジャボクリキ 260 m
eABZgl
EPPK旧線
eHST
200.7 旧リボンチャニ 220 m
hKRZWae
エーガー川
BHF
202.3 ジャテツ西駅 210 m
ABZgl
ジャテツ三角線
ABZg+l
プラハ - ホムトフ線
BHF
203.6 ジャテツ 210 m
STR
ジャテツ - モスト線

プルゼニ~ジャテツ線(チェコ語;Železniční trať Plzeň–Žatec)は、チェコ国鉄の鉄道線の名称である。路線番号は160

1873年、帝国特任ピルゼン・プリーゼン・コーモタウ鉄道(ドイツ語: k.k. privilegierte Eisenbahn Eisenbahn Pilsen–Priesen(–Komotau), EPPK)の路線として開業した。チェコ西部を、南北に結ぶ路線である。

歴史

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1870年4月21日にピルゼン(現在プルゼニ)とプリーゼン(現在ブジェズノ)間の本線およびブリュクス(現在モスト)・ドゥクス(現在ドゥフツォフ)を結ぶ分岐線建設に関する許可は6人の創業者に与えられた[1]。1871年1月に建設工事が本線の分岐点から始まって、1872年には帝国特任ピルゼン・プリーゼン・コーモタウ鉄道が創立された。1872年9月16日にザーツ(現在ジャテツ)- オーバーニッツ(現在オブルニツェ)間およびオーバーニッツ - ブリュクス間がまず開業された。同年10月24日にオーバーニッツ - ビリン(現在ビリナ)間が、1873年1月21日にピルゼン - プラス(現在プラシ)間が貨物輸送向けにそれぞれ開通された。両区間には1873年5月1日に旅客輸送が可能となった。本線は1873年8月8日にプリーゼンまで延長されて、全線開通が実現された。シャーボーグリュック(現在ジャボクリキ) - ザーツ間は同年9月7日に開通されて、ドゥクス方面の分岐線は10月27日に貨物輸送向けに完工した。1874年4月1日にビリン - ドゥクス区間は全体的に開業された[2]

1879年にシャーボーグリュック - プリーゼン間は開通数年後に放棄されて、コーモタウ方面の列車は必然的にザーツ駅を経由することとなった。1884年7月1日付きにEPPKは国有化されこの路線もオーストリア帝国鉄道(k.k.österreichischer Staatsbahnen, kkStB)に組み入れられた[3]

第一次世界大戦の終戦後、この路線は新生のチェコスロバキア国鉄(Československé státní dráhy, ČSD)の路線網に組み入れられた。1938年秋、ナチスドイツズデーテン地方を占領したのちに、ジーフレ - ジャテツ間はドイツ国営鉄道のドレスデン管理局に配置された。数ヶ月後チェコスロバキアがボヘミア・モラヴィア保護領とスロバキアに分割された時に、残りの区間はボヘミア・モラヴィア鉄道(CMD-BMB)により引き受けられた。1944年に路線番号はプルゼニ - ジャテツ区間とジャテツ - ドゥフツォフ区間を合わせて統合された[4]

1945年に第二次世界大戦が終わって、この路線はČSDの路線網に復帰した。1950年代に褐炭採掘産業が北部ボヘミア盆地で集約的となった。ドゥフツォフ、ビーリナ、モストの間にあった農地が炭鉱拡張のためだんだん消滅して、町や道路・鉄道交通が犠牲になった。1980年代に電化工事はジャテツ西駅 - オブルニツェ駅間で、石炭輸送の目的で進行されて、1985年10月31日に電気運転が実現された。

1993年1月1日にチェコスロバキアの分離により、チェコ鉄道(České Dráhy, ČD)はこの路線を引き受けた。その後、この路線の重要度は低くなって、急行列車運行はプルゼニ - リベレツ区間で中止された。

運行形態

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特急「リフリーク(R)」

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  • プルゼニ~ジャテツ~モスト  ※GW Train Regioによる運行
    原則2時間間隔で運行されているが、4時間程度間隔が空くこともある。ジャテツ以北は124号線に直通する。ステブノ、ペトロフラドは殆どの列車が通過するが、早朝のブラトノ→モストの列車と深夜のモスト→ブラトノの列車はペトロフラドに停車する。
    2017年以前は、ペトロフラド停車の早朝・深夜の列車が快速として運行していた。2016年以前は、大部分がヴロウテクを通過していた。2023年度以前は、早朝のブラトノ→モストの列車がステブノにも停車していた。

普通

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  • プルゼニ - プラスィ ( - ジフレ)  ※チェコ鉄道による運行
    プラスィ以南の運行が基本で、平日1時間に1本、休日2時間に1本運行されている。うち平日5往復、休日1.5往復がジフレまで、平日3往復、土曜6往復、休日5往復がムラドチツェまで運行される。
    2023年度以前は、休日のジフレ発着が一日2-3往復設定されていた。また、ムラドチツェ発着は、平日2往復、土曜3往復、休日2往復のみであった。
  • ジフレ - ブラトノ - イェセニツェ/ラコヴニーク  ※チェコ鉄道による運行 【平日運行】
    一日3往復の運行。ブラトノ以東は161号線に直通する。なお、南行1本はプルゼニまで直通する。ブラトノ~ジャテツ間には運行されておらず、ローカル輸送は特急が担っている。
    2024年度に運行を開始した。

臨時列車

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  • T6系統
    夏季の土曜・休日に限り、ポドボルジャニ - カシチツェ - カダニ/プルネールジョフ間に、一日2往復が運行する。カシチツェ以北はT6号線に直通する。

過去の運行種別

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  • 快速「スピェシニー(Sp)」
    平日のみの運行していた。ジフレ→ジャテツ→ホムトフの系統が早朝に、モスト→ジャテツ→ジフレ(金曜日のみブラトノ)の系統が深夜に、1本ずつ運行されていた。停車駅はペトロフラド停車の特急と同じであるが、ホムトフ行に限り、パストゥホヴィツェにも停車していた。2017年末に特急格上げとなり消滅。また、発着駅がジフレからブラトノに短縮されたため、パストゥホヴィツェ駅に停車する定期列車が消滅した。

駅一覧

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以下では、チェコ国鉄160号線の駅と営業キロ、停車列車、接続路線などを一覧表で示す。

  • 種別
    • R:特急
    • Sp:快速
    • Os:普通
  • 停車駅
    • 印:全列車停車
    • 印:一部通過
    • 印:一部停車
    • |印:全列車通過
路線名 駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ R Os 接続路線 所在地
160 プルゼニ本駅 - プルゼニから
0.0
 

170号線(プラハ方面、クラトヴィ方面)
177号線(ヘブ方面)、180号線(ミュンヘン方面)
191号線(ブルノ方面)

プルゼニ州 プルゼニ市
プルゼニ・ビーラー・ホラ駅 3.3 3.3    
プルゼニ・ボレヴェツ駅 2.8 6.1    
プルゼニ・オルリーク駅 2.2 8.3    
トルジェモシナー・ウ・プルズニェ駅 2.0 10.3     北プルゼニ郡
ホルニー・ブルジーザ停留所 4.7 15.0    
ホルニー・ブルジーザ駅 2.6 17.6    
オボラ・ウ・カズニェヨヴァ駅 4.0 21.6    
カズニェヨフ駅 4.7 26.3    
プラスィ駅 6.2 32.5    
ホルニー・フラヂシチェ駅 2.4 34.9    
ムラドチツェ停留所 2.1 38.0    
ムラドチツェ駅 2.2 40.2 アイゼンシュタインから
137.4
 
ポトヴォロフ駅 5.7 45.9 143.1  
ジフレ駅 4.4 50.3 147.5  
 パストゥホヴィツェ駅(休止中 *2)     (152.4)  
ブラトノ・ウ・イェセニツェ駅 9.2 59.5 156.7 161号線(ラコヴニーク方面、ベチョフ方面) ウースチー州 ロウニ郡
 ステブノ駅(休止中 *3)     (160.4)    
ペトロフラド駅 6.3 65.8 163.0    
クリリ駅 4.4 70.2 167.4    
ヴロウテク駅 5.0 75.2 172.4    
ポドボルジャニ駅 8.2 83.4 180.6    
カシチツェ駅 (*1) 6.0 89.4 186.6   164号線(カダニ方面)
 クニェジツェ駅(休止中)   (93.3) (190.5)    
 チェイコヴィツェ駅(休止中)   (95.6) (192.8)     ホムトフ郡
 ジャボクリキ駅(休止中)   (99.4) (196.6)     ロウニ郡
 リボチャニ駅(休止中)   (103.5) (200.7)    
ジャテツ西駅 15.7 105.1 202.3    
ジャテツ駅 1.6 106.7 203.9   123号線(モスト方面)、124号線(ルジナー方面)
(*1): T6号線直通の臨時列車のみ停車。定期列車は通過する。
(*2): 2017年12月休止。
(*3): 2023年12月休止。

参考文献

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外部リンク

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脚注

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  1. ^ (ドイツ語) Reichsgesetzblatt: 111. Concessionsurkunde vom 21. April 1870. Wien: Kaiserlich-königliche Hof- und Staatsdruckerei. (1870). p. 249. https://alex.onb.ac.at/cgi-content/alex?apm=0&aid=rgb&datum=18700004&seite=00000249 
  2. ^ I. Konta (1898). Band 1.2. pp. 105~108
  3. ^ Viktor von Röll, ed (1917) (ドイツ語). Enzyklopädie des Eisenbahnwesens (Eintrag zu Pilsen-Priesener (Komotau-) Eisenbahn) (2nd ed.). Berlin / Wien: Urban & Scharzenberg. p. 84. http://www.zeno.org/Roell-1912/K/roell-1912--081-0084 
  4. ^ (ドイツ語) Deutsches Kursbuch - Jahresfahrplan 1944/1945: Teil 1 (KBS 167). Berlin: Deutsche Reichsbahn. (1944). p. 213. https://pkjs.de/bahn/Kursbuch1944/Teil1/167.jpg