1946年の阪急軍では、1946年阪急軍の動向をまとめる。

1946年の阪急軍
成績
日本野球連盟4位
51勝52敗2分 勝率.495[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 阪急西宮球場
球団組織
オーナー 小林一三
経営母体 京阪神急行電鉄
監督 西村正夫(選手兼任)
« 1945
1947 »

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この年の阪急軍は、西村正夫選手兼任監督の3年目(休止の1945年を除く)のシーズンである。

概要

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戦後1年目の阪急は優勝が期待され5月までは巨人と首位を争うなど好調だったが、7月の8勝12敗で失速。その後、グレートリング(当時は近畿日本鉄道が親会社)と巨人のマッチレースの中でチームはそれに割って入れず、この年2位の巨人に3勝12敗と相性が悪かった。8月は10勝9敗1分で盛り返すも終盤で大きく負け越したのが響き、最終的に優勝のグレートリングに14ゲームをつけられ51勝52敗2分の4位で戦後初のAクラスに入るのがやっとだった。翌年から各球団がニックネームをつけることになったため、「阪急軍」を名乗ったのはこの年が最後となった。

この年のユニフォームの内、白地は胸マークの素材が無かったため、応急処置としてペンキで胸に「H」と描いて胸マークとした[2]

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 上田藤夫
2 青田昇
3 野口二郎
4 高橋敏
5 野口明
6 三木久一
7 阪田清春
8 天保義夫
9 尾西信一
1946年日本野球連盟順位変動
順位 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 近畿 -- 巨人 -- 大阪 -- 近畿 -- 近畿 -- 近畿 --
2位 阪急 0.0 阪急 2.5 巨人 3.5 大阪 1.5 巨人 3.5 巨人 1.0
3位 巨人 1.0 大阪 4.0 近畿 5.0 巨人 3.5 大阪 6.0 大阪 7.0
4位 大阪 近畿 4.5 阪急 8.0 阪急 9.0 阪急 13.0 阪急 14.0
5位 ゴールド 2.0 パシフィ 8.5 中部日本 11.5 ゴールド 17.0 セネター 17.0 セネター 19.0
6位 パシフィ 4.0 ゴールド 8.5 ゴールド 15.0 セネター 17.5 パシフィ 19.5 ゴールド 22.0
7位 セネター 4.0 セネター 10.0 セネター 15.5 パシフィ 18.5 ゴールド 20.0 パシフィ 22.5
8位 中部日本 4.0 中部日本 10.0 パシフィ 17.5 中部日本 21.0 中部日本 21.0 中部日本
期間
成績
12勝8敗
勝率.600
10勝7敗
勝率.588
8勝12敗
勝率.400
10勝9敗
勝率.526
5勝10敗1分
勝率.333
6勝6敗1分
勝率.500
1946年日本野球連盟最終成績
順位 球団 勝率
優勝 近畿グレートリング 65 38 2 .631 -
2位 東京巨人軍 64 39 2 .621 1.0
3位 大阪タイガース 59 46 0 .562 7.0
4位 阪急軍 51 52 2 .495 14.0
5位 セネタース 47 58 0 .448 19.0
6位 ゴールドスター 43 60 2 .417 22.0
7位 中部日本 42 60 3 .412 22.5
パシフィック 42 60 3 .412 22.5

できごと

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選手・スタッフ

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[3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ 年度別成績 1946年 日本野球連盟”. 日本野球機構. 2017年8月8日閲覧。
  2. ^ 『プロ野球ユニフォーム大図鑑 上』ベースボール・マガジン社、167頁。 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7