1955年の南海ホークスでは、1955年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の10年目のシーズンであり、2年ぶり6度目のリーグ優勝に輝いたシーズンである(当時は山本一人)。
前年終盤力尽きて西鉄の球団創設以来の初優勝を許したチームだが、この年も開幕から絶好調で8月まで前年覇者の西鉄とデッドヒートを展開。8月以降は西鉄とのゲーム差を広げ、日本記録の99勝(この年セ・リーグ優勝の巨人は92勝)をあげ最後は西鉄に9ゲーム差を付けて2年ぶり、パ・リーグになってからは4度目の優勝を達成。投手陣は宅和本司と中村大成がともに20勝以上(宅和が24勝、中村が23勝)をあげ、円子宏・小畑正治・戸川一郎が10勝以上をあげるなど防御率2.61は3位の毎日が記録した2.46に次いでリーグ2位を記録。打撃陣も木塚忠助、岡本伊三美、飯田徳治らの活躍でリーグ2位の90本塁打を記録し、盗塁数も245個でリーグ1位をたたき出した。日本シリーズでは3勝1敗と巨人を圧倒し、日本一は目前だった。しかし王手のかかった第5戦以降を連敗。最終的に3勝4敗で敗れ、鶴岡監督の悲願である打倒巨人はこの年もならなかった。
1955年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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南海 |
--
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西鉄 |
--
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南海 |
--
|
西鉄 |
--
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南海 |
--
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南海 |
--
|
南海 |
--
|
2位
|
西鉄 |
0.5
|
南海 |
1.5
|
西鉄 |
2.0
|
南海 |
0.0
|
西鉄 |
2.5
|
西鉄 |
4.5
|
西鉄 |
9.0
|
3位
|
毎日 |
1.5
|
毎日 |
4.5
|
毎日 |
4.5
|
毎日 |
9.0
|
毎日 |
10.0
|
毎日 |
11.5
|
毎日 |
14.0
|
4位
|
阪急 |
7.5
|
阪急 |
10.0
|
近鉄 |
14.0
|
阪急 |
11.0
|
阪急 |
13.5
|
阪急 |
18.0
|
阪急 |
19.0
|
5位
|
近鉄 |
9.5
|
近鉄 |
10.5
|
阪急 |
14.5
|
近鉄 |
19.0
|
近鉄 |
26.5
|
近鉄 |
28.0
|
近鉄 |
39.0
|
6位
|
東映 |
10.5
|
大映 |
16.5
|
東映 |
23.0
|
大映 |
29.0
|
大映 |
34.0
|
大映 |
41.5
|
大映 |
46.0
|
7位
|
トンボ |
12.0
|
トンボ |
17.5
|
大映 |
23.5
|
東映 |
29.5
|
東映 |
37.0
|
東映 |
44.0
|
東映 |
48.0
|
8位
|
大映 |
14.5
|
東映 |
18.0
|
トンボ |
26.5
|
トンボ |
34.5
|
トンボ |
44.5
|
トンボ |
51.5
|
トンボ |
57.0
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1955年 日本シリーズ
日付 |
試合 |
ビジター球団(先攻) |
スコア |
ホーム球団(後攻) |
開催球場
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10月15日(土) |
第1戦 |
読売ジャイアンツ |
4 - 1 |
南海ホークス |
大阪球場
|
10月16日(日) |
第2戦 |
読売ジャイアンツ |
0 - 2 |
南海ホークス
|
10月17日(月) |
移動日
|
10月18日(火) |
第3戦 |
南海ホークス |
2 - 0 |
読売ジャイアンツ |
後楽園球場
|
10月19日(水) |
第4戦 |
雨天中止
|
10月20日(木)
|
10月21日(金) |
南海ホークス |
5 - 2 |
読売ジャイアンツ
|
10月22日(土) |
第5戦 |
南海ホークス |
5 - 9 |
読売ジャイアンツ
|
10月23日(日) |
第6戦 |
読売ジャイアンツ |
3 - 1 |
南海ホークス |
大阪球場
|
10月24日(月) |
第7戦 |
読売ジャイアンツ |
4 - 0 |
南海ホークス
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優勝:読売ジャイアンツ(2年ぶり4回目)
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[1]