1960年の近鉄バファローでは、1960年の近鉄バファローの動向をまとめる。

1960年の近鉄バファロー
成績
パシフィック・リーグ6位
43勝87敗1分 勝率.331[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 日本生命球場
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 千葉茂
« 1959
1961 »

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この年の近鉄バファローは、千葉茂監督の2年目のシーズンである。

概要

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前年に続き、巨人から大友工ほか選手・コーチが大量入団したのを始め、南海から宅和本司国鉄から杉山悟が移籍し、戦力増強を図る。開幕直後は貯金こそ作れなくとも借金を1桁にとどめ、5月24日には4連勝で借金を1にまで減らすが、その翌日から7連敗を喫し最下位に転落。6月に入ると、新人の矢ノ浦国満の正遊撃手起用で千葉監督の構想から外れていた鈴木武三原脩監督の要請もあり大洋に移籍。新天地で正遊撃手となり、チームの初優勝に貢献した鈴木とは対照的に、近鉄は7月に10連敗、9月にも6連敗を喫し最下位脱出は果たせなかった。結局10年ぶり優勝の大毎に39ゲーム差をつけられ、5位の東映に9ゲーム差をつけられた。打撃陣では小玉明利が初のベストナインに輝き孤軍奮闘したが、チーム本塁打69本がリーグ5位、盗塁数も5球団が80個以上記録する中リーグ最下位の51個と低迷。投手陣はグレン・ミケンズがチーム最多の13勝をあげて気を吐くもチーム防御率が3点台後半と低迷、さらに千葉監督が起用した矢ノ浦がリーグ最多の35失策を喫するなど、チーム失策数12球団最多の守備も投手陣の足を引っ張った。カード別成績でも大毎・南海にそれぞれ7勝19敗と負け越し、大毎優勝のアシスト役に回った。

チーム成績

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レギュラーシーズン

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開幕オーダー
1 加倉井実
2 関根潤三
3 小玉明利
4 斎田忠利
5 関森正治
6 島田光二
7 矢ノ浦国満
8 竹下光郎
9 大津守
1960年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 大毎 -- 南海 -- 大毎 -- 大毎 -- 大毎 -- 大毎 --
2位 南海 1.0 大毎 3.5 南海 2.0 南海 2.5 南海 5.0 南海 4.0
3位 東映 2.0 東映 6.5 西鉄 13.0 阪急 7.0 阪急 11.0 西鉄 12.0
4位 阪急 2.0 西鉄 8.0 阪急 14.0 西鉄 14.5 西鉄 12.5 阪急 17.0
5位 近鉄 3.5 阪急 8.0 東映 17.0 東映 26.0 東映 30.5 東映 30.0
6位 西鉄 3.5 近鉄 10.0 近鉄 20.0 近鉄 29.0 近鉄 34.0 近鉄 39.0


1960年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 毎日大映オリオンズ 82 48 3 .631 優勝
2位 南海ホークス 78 52 6 .600 4.0
3位 西鉄ライオンズ 70 60 6 .538 12.0
4位 阪急ブレーブス 65 65 6 .500 17.0
5位 東映フライヤーズ 52 78 2 .400 30.0
6位 近鉄バファロー 43 87 1 .331 39.0

[1]

オールスターゲーム1960

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ファン投票 選出なし
監督推薦 ミケンズ 竹下光郎 小玉明利 関根潤三

できごと

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選手・スタッフ

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[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
小玉明利 三塁手 初受賞

脚注

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出典

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  1. ^ a b 年度別成績 1960年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年7月30日閲覧。
  2. ^ ベースボールマガジン2002夏季号, ベースボールマガジン社, (2002), p. 138 
  3. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7