1975年のエチオピア(1975ねんのエチオピア)では、1975年エチオピアに関する出来事について記述する。

概要

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1974年エチオピア革命の結果、エチオピアは社会主義体制に急速に移行していった。前年にアマン・アンドムPMAC議長が殺害されメンギスツ・ハイレ・マリアム率いるデルグに権限が移っていく過程の一年でもあった。経済的には多くの資本が国有化・公有化されている。

できごと

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  • 12月13日 - 「農民組合の強化に関する政令」が発される[1]
  • 12月29日 - 「民間資本の調整に関する政令」が発される[1]

誕生

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死去

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u ラウル・バルデス・ビボ『エチオピアの知られざる革命』1978年、恒文社、pp201-203。
  2. ^ a b Haile Selassie I,1892 to 1975,Orthodox,Ethiopia-Dictionary of African Chiristian Biography(英語),2011-05-06閲覧。
  3. ^ Keflezighi Mebrahtom(IAAF)(英語),2011-05-06閲覧。
  4. ^ Elfenesh Alemu-IAAF(英語),2011-05-06閲覧。

関連項目

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