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恩赦(おんしゃ、英語: Pardon)とは、行政権(又は議会)により国家の刑罰権の全部又は一部を消滅若しくは軽減させる制度のことを言う。赦免復権とも。

その権限が行政機関に帰属する例が多いが、フランスなどのように議会(立法機関)に一般的な恩赦の権能を与え、行政機関に個別的な恩赦の権能を与える仕組みになっていることもある。現在、共和制・君主制、大統領制・議院内閣制の政体の差に関係なく、多くの国家で行われている[1][2][3][4]

目次

存在理由編集

古くから恩赦は君主の権限であったこともあり、国家的な慶弔の機会に君主の仁慈による特典として行われたり、国民が揃って慶弔を行うという建前に基づき行われることが多かった。また、徳川家宣による「生類憐れみの令」廃止とそれに伴う同令違反者の赦免(遠流所払いの解除、闕所の返還など)のように、君主の代替わりに際して、前君主における悪政とされるものを実質的に正すという機能もあった。

現在でも一般的な恩赦は同様の機会に行われることが多い。しかし、恩赦は、司法権行使の効果を行政権により変動させる効果を持ち、三権分立の例外をなすのみならず、後述のように政治的な意味合いを持つことがある。そのため慎重な運用が求められ、以下のような場合に恩赦を行うのが望ましいとされている。

誤判の救済のための恩赦編集

いわゆる冤罪事案であっても、一度有罪判決が確定した後の再審は、法的安定性の見地から上訴と比較して厳格な要件が求められる。しかし、その厳格性ゆえに法律で定められた再審手続では救済できない事案も存在する。そのような場合に恩赦による救済が考えられる。ただしこれは、判決そのものが変更されるわけではないため、冤罪被害者などの本当の意味での名誉の回復となるかどうかは疑問である。

社会の変化や事情変更に基づく恩赦編集

有罪判決が出た当時の社会状況では妥当性が認められるとしても、受刑中の社会の変化により刑の妥当性が失われる場合がありうる。例えば、かつての日本の刑法典には尊属殺に関する規定があり、法定刑死刑無期懲役に限定されていたところ、最高裁判所により違憲であるという判断がされた(尊属殺法定刑違憲事件)。しかし、当該違憲判決より前から尊属殺で受刑していた者については司法的な救済はできないことから、個別恩赦としての減刑措置がとられた。

近代日本における、この事情における恩赦の典型は、1945年10月17日、GHQの指示の下勅令第379号ないし第381号に基づき実施された、第二次世界大戦の敗戦を契機とする一連の恩赦であり、陸軍刑法海軍刑法各条違反、治安維持法違反、新聞紙法違反、言論出版集会結社等臨時取締法違反、宗教団体法違反等61項目の法令違反者が対象となり、その総数は42万人にのぼり、近代恩赦制度適用において最大のものとなっている。さらに、それに引き続き1946年11月3日の日本国憲法公布を記念し、一般刑法(姦通罪等)、陸海軍刑法、衆議院議員選挙法国家総動員法、治安維持法、軍機保護法等の違反者に対し恩赦が実施され、対象者は33万人にのぼっている。

受刑者の事後の行状に基づく恩赦編集

刑事政策的な考慮に基づく恩赦であり、犯罪者の社会復帰を目的とするものである。強い改悛の情を示したとみなされる長期の受刑者に対する救済策の一つであり、受刑者が刑務所内で品行を保ち、刑務所の秩序を維持する動機付けの一つともなる。このような理由の場合は仮出獄でも対応可能とも言えるが、恩赦による場合は、仮出獄後の残刑期間の経過を待たずに服役が終了するメリットがある。また、自由刑以外の処罰(選挙違反における被選挙権の停止など)が行われている場合には仮出獄がなしえず、恩赦が唯一の救済策となりえる。

恩赦の政治的な意味合い編集

恩赦は主として行政機関が行うため、恩赦が政治的な効果を生む場合がある。実際、日本が国際連合に加盟したことに伴い大赦が行われた際は、大赦の対象に公職選挙法違反や政治資金規正法違反が含まれていたため、恩赦を政治的に利用したものであり恩赦権の濫用であるとして批判された。

また、近年の例としては、タイインラック政権が政治犯への恩赦を宣言し注目を集めたものの、実兄で汚職への関与が疑われ有罪判決も受けているタクシン元首相の政界復帰や資産凍結の解除が目的ではないかとの批判を受け、国内の名門大学をはじめとする多数の民間機関が抗議し、大規模なデモに発展した。インラック政権は結局、恩赦法の制定を断念した[5]

刑事訴訟無罪を求めて被告人が争っている場合であっても、該当する犯罪が大赦の対象になった場合は、有無は判断されず免訴により訴訟は終了する。しかし、問題となる犯罪が政治的な意味合いを持っている場合は、大赦がそもそも旧来思想の現れであるとして、被告人自身が大赦を拒否して無罪判決を求める例もある。

各国の恩赦編集

日本編集

権限等編集

大日本帝国憲法下において恩赦は天皇の大権事項とされ(大日本帝国憲法第16条)、その具体的な内容・手続については勅令(恩赦令)で定められていた。

これに対し、日本国憲法下では、恩赦の決定は内閣が行い、恩赦の認証は天皇国事行為として行われる(日本国憲法第73条7号、7条6号)。また、司法権行使の効果を変動させる性質のものであり、国家の刑罰権にかかわる事項(この点から恩赦の性格を司法と考え、司法権の帰属の例外とする考え方もある)であることに鑑み、具体的な内容については国会が制定する法律により定める必要があると解されるため、恩赦法が制定されている。

種類編集

  • 大赦(恩赦法2条、3条)
一定の犯罪者全体について、刑を消滅させるものである。有罪の言い渡しを受けた者についてはその効力が失われ、受けていない者に対しては公訴権が消滅する。
  • 特赦(恩赦法4条、5条)
有罪の言い渡しを受けた者の内、特定の者について有罪の言い渡しの効力を消滅させるものである。
  • 減刑(恩赦法6条、7条)
    • 一般減刑
    • 特別減刑
裁判所が刑を言い渡す際、量刑を軽くすることは「減軽」であり、恩赦の一種たる「減刑」とはまったく異なるものである[6]
  • 刑の執行免除(恩赦法8条)
  • 復権(恩赦法9条、10条)
    • 一般復権
    • 特別復権

律令法の恩赦編集

古代の日本では、犯罪と刑罰が神に対するツミ(穢れ)とハラエ(清め)として考えられ、神ではない人間がこれを一方的に軽減することは考えられなかった。

恩赦の思想は大化の改新前後にから伝来したとされ、律令には明記されなかったものの、時の天皇の専権事項として存在した。

当時の恩赦にはいくつかの種類が存在した。一般的な恩赦を(しゃ、大赦・恩赦とも)と言い、広く天下一般に布告して対象者の罪を全免した。ただし、「常赦不免」の罪[7] は除かれた。他に減刑のみを行うや、特定個人を対象として一切の罪を不問として事件発覚前の官位などに復する勅放、特定地域のみを対象とした曲赦などがあった。また、この他にも常赦不免の罪を含めた全ての罪を許した非常赦が行われる事もあった。なお、流罪となった者は配流先に到着後は恩赦が出ても付随する徒罪などの刑罰が免ぜられるだけで、元の居住地には戻れず配流先で生涯を送る事とされていたが、非常赦の場合に限って帰還が許された。更に後には赦も2分されて一般的な赦を「常赦」と呼ぶのに対して常赦不免の罪を含めて条件付き(対象外の罪を設定など)で行う「大赦」に分ける慣例が生まれた。

赦は祥瑞・慶賀・疫病・災異、その他天皇の意向によって出されたが、奈良時代後期から平安時代にかけては、儒教徳治主義仏教放生による善行の奨励の影響で些細な理由から赦が濫発されるようになる。特に平安時代には死罪死刑)の停止(具体的には天皇の恩降による流罪への減刑など)によって処刑されなかった重犯罪者が更に大赦・非常赦を受けて釈放されると言う事態も頻発し、当時の明法道の権威・惟宗允亮もこれを嘆いたと言われている。

江戸時代の恩赦編集

江戸幕府下においては恩赦は「赦宥」(しゃゆう)として、その具体的な内容・手続については公事方御定書下巻で定められていた。天皇・上皇の即位や死、改元、将軍宣下、将軍の官位昇進、将軍の日光社参、将軍の子女誕生、世子の元服、将軍ないしはその近親の婚姻、将軍の死、年忌法要などで実施された。実際の運用は将軍老中の命を受けた評定所が個々の罪人の件を調査して恩赦適用の可否を定めた。

幕府による赦宥は律令法による常赦に相当するものであり、唯一大赦に相当するとされるものは宝永6年(1709年)に将軍綱吉の死去とそれに続く新将軍家宣の就任に伴って行われた2度の大赦(新井白石の『折たく柴の記』によれば全国で総計8,831人が対象とされた)であった。これは傍流から入った新将軍の恩恵を示す事でその政治基盤を強化する狙いがあったと言われている。これは従来にはなかった諸藩に対する実施状況の報告義務が課せられた点でも特殊なものであった。

また、徳川家の菩提寺である寛永寺増上寺大僧正には将軍家の法事の際に将軍・老中に恩赦の口添えをする(「廻赦帳」の提出)権限が与えられていた。そこで、受刑者の家族が両寺院に恩赦の依頼をする場合もあった。もちろん、実際の判断は評定所の審議に委ねられるため、必ず恩赦を受けられる訳ではない。なお、身寄りのない受刑者は恩赦の依頼を行えない事や天領にしか幕府の恩赦が及ばない(諸藩に対しても幕府の恩赦に併せて恩赦を行うように命じられる事が通例ではあったが、前述の宝永6年の場合を特例として除けば、法的な拘束力はなかった)点などの不備が早くから問題視された。

宝永の大赦に深く関与した新井白石は『折たく柴の記』の中で管仲諸葛亮が恩赦を戒めた故事を掲げて国家大事以外の恩赦は控えるべきだと述べ、荻生徂徠は『政談』の中で恩赦で感謝されるのは神仏に対してのみ(恩赦の申請を行うのは大僧正)であり、却って人々が主君の不幸を願うようになる(恩赦が行われるのは将軍の死去とその法要、死去した将軍に代わる新将軍就任の時が多い)だけだと述べ、恩赦の濫用は実は現行の法律が刑罰が厳格なだけで法律としては稚拙であるという事実を隠しているだけであると非難している。

これに対して文化13年(1816年)、幕臣の永田与左衛門太田作兵衛が過去90年の実例を元に恩赦施行の実態をまとめた「大赦律」を幕府評定所における恩赦規則として採用して適正運用を図った。その後、嘉永年間に老中阿部正弘遠山景元三奉行に恩赦の法制化を命じた。途中、阿部や遠山の死により一時中絶したものの、文久2年(1862年)に「赦律」として公布された。

明治時代以降の恩赦編集

天皇の崩御・即位など皇室に慶事・弔事があった時や、1952年サンフランシスコ講和条約締結時、1953年の日本国憲法公布時など、国家的に大きな出来事のあった年に行われてきた。

明治時代には1889年(明治22年)の大日本帝国憲法発布(明治22年)、1897年(明治30年)の英照皇太后崩御の際に行われ、大正時代には1912年(大正元年)の明治天皇崩御、1914年(大正3年)の昭憲皇太后崩御、1915年(大正4年)の大正天皇即位、1919年(大正8年)の裕仁親王成年式、1920年(大正9年)の李王世子李垠梨本宮方子女王成婚、1924年(大正13年)の裕仁親王成婚、1925年(大正14年)の普通選挙法公布の際にそれぞれ恩赦が行われたほか、1924年(大正13年)には関東大震災時の混乱の際の犯罪に対する特別基準恩赦が行われた。

昭和に入ると、第二次世界大戦前の恩赦は1927年(昭和2年)の大正天皇崩御[8]、1928年(昭和3年)の昭和天皇即位、1934年(昭和9年)の明仁親王誕生、1938年(昭和13年)の大日本憲法発布五十周年祝典、1940年(昭和15年)の紀元二千六百年祝典、1942年(昭和17年)の第二次世界大戦戦勝第一次祝賀[9]の際に行われた。

戦後では、1945年(昭和20年)の第二次大戦終局、1946年(昭和21年)の日本国憲法公布、1952年(昭和27年)の平和条約(サンフランシスコ講和条約)発効および皇太子(明仁親王/上皇)立太子礼、1956年(昭和31年)の国連(国際連合)加盟、1959年(昭和34年)の皇太子成婚、1968年(昭和43年)の明治百年、1972年(昭和47年)の沖縄復帰の際に恩赦が行われたほか[10]、1947年(昭和22年)には、太平洋戦争終結の恩赦及び日本国憲法公布の恩赦における減刑令の修正が行われた。

1989年(昭和64年/平成元年)の昭和天皇崩御の際には、過去数件行われた[11]死刑囚への恩赦(特別減刑)は行われなかった。なお、当時の死刑囚で恩赦が行われると期待して行動していたケースはあった。詳細は夕張保険金殺人事件の項を参照されたい。 その後、同年2月13日、政府は大赦令及び復権令を公布するとともに特別基準恩赦の内容を公表し、いずれも大喪の当日である同月24日から実施した。このように、戦後の恩赦は、「法律変更などによる量刑不均衡の是正のための救済」や「社会的影響のないレベルの罪や社会復帰後に何ら問題を起こしていない人に対しての復権」が中心となっている。

皇太子(徳仁親王/今上天皇)成婚という慶事があった1993年(平成5年)の恩赦は、保護観察所による保護観察の執行の免除[12]16人と復権[13]が、「保護観察で更生した」として推薦された64人に対して行われた[14][15]

2016年の恩赦は、刑の執行の免除が5人、復権が24人[16]、2017年の恩赦は、刑の執行の免除が1人、復権が22人である[17]

朝鮮・韓国編集

大韓帝国では、「大韓国大皇帝が法律制定権、恩赦権を有すること」と法に明記されたが、のちに日本の被保護国となり、日本統治時代になると、恩赦権は日本の天皇が有することとなった。

第二次世界大戦後に成立した大韓民国(韓国)では、大統領の権限として特赦が実施される。韓国は1948年の建国から2016年8月13日時点までに96回実施してきた。軍事政権から民主主義に移行した1992年以降だけをみると、金泳三政権は9回で704万人、金大中政権は6回で1037万人、盧武鉉政権は8回で437万人、李明博政権は7回で470万人、朴槿恵政権は3回で655万人、合計24年間で33回と他国と比して多い部類に入る。

韓国における特赦は、道路交通法違反の際の罰点の取り消しなど、非常に軽微なものが含まれるため、対象者が多く、特赦の対象となる人物が一度に百数十万人規模になることが多い。金大中大統領が実施した1998年3月の特赦では、対象者が552万人に上った。2015年には2013年12月23日から政府の恩赦方針が公知された7月12日までの間に行政処分を受けた運転免許証減点204万人、免許停止と取り消し6万6000人、免許試験受験制限者8万4000人など計220万人の大規模なペナルティー削除が行われている。さらに金泳三政権時に成立された法で起訴されて死刑判決を受けていた全斗煥元大統領や無期懲役判決を受けていた盧泰愚元大統領は2年後に金泳三による1997年12月の特赦により釈放され、金大中大統領の大統領就任式に「来賓」として登壇するということも起きている。その他、背任や横領で逮捕された企業のオーナーが、「国の発展に寄与させるために」という理由で特赦の対象となることがある。

ただ、対象者がどう決まるのかは曖昧で、大統領の裁量が大きく、また三権分立の観点から見ても問題がないとは言えないため、反対論がある。2015年8月13日、朴槿恵大統領は6527人の特赦を実施した。特赦を受けた人物の中には韓国3位の財閥であるSKグループの崔泰源会長が含まれているなど財閥のオーナーは、実刑判決後に入院→執行猶予→特赦→釈放という路線で経営復帰することが一般的である[18][19][20][21][22][23][24]

バチカン市国編集

バチカン市国では、2012年12月22日、法王庁の機密文書を大量に流出させた罪で収監されていた元執事が、恩赦された事例がある。このときは教皇ベネディクト16世が自ら元執事のもとを訪れ、恩赦を伝えた[25]

アメリカ合衆国編集

アメリカ合衆国では、連邦法犯罪の恩赦権限は大統領、州法犯罪のそれは各州の知事に属する。アメリカ大統領が犯罪者に恩赦することが伝統になっている。アメリカ大統領は自身が弾劾された場合を除き、国内で刑の執行猶予や減刑の恩赦や、囚人を完全に無罪放免する恩赦を与える権限もある[26]ビル・クリントンは、退任直前に176人に対して恩赦を実施した。2012年1月9日には、ミシシッピ州の知事が恩赦を実施し、その中に殺人犯も含まれていたことから大きな波紋を呼んだ[27]

連邦ではジョージ・W・ブッシュ大統領が、恩赦司法局英語版を設立して以降は、基本的に、恩赦司法局の推薦で恩赦が実施されるようになっている。なお、アメリカの恩赦は著しく白人に偏っているとされる。ブッシュ大統領は、2001年から2008年の任期中に、189人へ恩赦を与えたが、そのうち非白人は13人しかいなかった[28]

また、アメリカには感謝祭の時、大統領が七面鳥に恩赦を与えるという行事がある[29]

歴史上では、リチャード・ニクソンロバート・E・リーなどに恩赦が与えられている。オバマ大統領は在任中に麻薬犯罪者に恩赦を与える政策をとっていた。2016年11月24日の感謝祭直前の22日に、連邦刑務所に投獄されている麻薬犯罪者79人に減刑措置の恩赦を与えた。これでオバマ大統領が与えた減刑措置の恩赦した数が1000件を超えた。これは1963〜1969年に在任していた第36代リンドン・ジョンソン大統領を越えて最多となった。オバマ大統領が行った恩赦した人数は過去11人の大統領が行なった合計よりも多いが退任までに更に増えると予想されている[30]

ブラジル編集

ブラジルでは、不法滞在の外国人を主に対象とした期間限定の恩赦法が制定されている。1980年、1988年、2009年にそれぞれ恩赦が行われ、不法滞在の外国人の滞在が合法化された[31]

タイ編集

タイでは、王室の慶事または国王の長寿を祝う特赦が頻繁に行われている。2000年代以降はほぼ毎年のように特赦が行われており、死刑囚や終身懲役囚でも順次減刑を重ねて、15年ないし20年程度の服役で出所を果たすケースがみられる。ただし、タクシン政権以後は薬物関連犯罪とそれ以外の犯罪で減刑の期間が分けられており、殺人であっても3分の1が減じられるのに対し麻薬密売目的所持では9分の1しか減じられず、出所まで長期間の服役を要している。

2010年代に入ると、恩赦法の制定を巡って政治的な対立が続いた。元々は2006年(仏暦2549年)のタクシン追い落とし軍事クーデターとその前後の混乱期において、タクシン派のデモに参加して逮捕された者を対象にしたものであったが、タクシン派の与党だったタイ貢献党がタクシン自身も恩赦の対象に加えたことで議会内が激しく対立[32]2014年(仏暦2557年)のクーデターの引き金になった。クーデターで暫定首相に就任したプラユット・チャンオチャは、タクシン派関係者への恩赦適用に否定的な態度を取っている。

モロッコ編集

モロッコでは、国王が恩赦を与えることが出来る。2013年7月30日、モロッコ国王ムハンマド6世が、モロッコ国内で犯罪を犯し、服役していたスペイン人48人に恩赦を与え、釈放した。この中には、4歳から15歳までの11人の児童を強姦した者も含まれており、モロッコ国内では強い反対があった。モロッコ法務省は、この恩赦がフアン・カルロス1世の要請に基づくものであるとしている。一方、スペイン王室は、釈放を求めたことを否定し、モロッコで服役しているスペイン人受刑者の処遇について関心をよせたに過ぎないとしている[33]。この恩赦は、8月4日に取り消されている[34]

オーストラリア編集

2017年、オーストラリア政府は不法所持されている銃器の一掃を行うため、同年7月-9月の間に銃器を提出すれば罪に問わないとする恩赦を発表した。3カ月の間に、5万7000丁を超える銃を収集する成果を上げている[35]

脚注編集

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  1. ^ フランスにおける恩赦の法制史的研究
  2. ^ http://www.andrew.ac.jp/lectureroom/law/post-45.php
  3. ^ http://www.afpbb.com/articles/-/3138535?cx_part=txt_topics
  4. ^ http://www.zakzak.co.jp/society/foreign/news/20170309/frn1703091130003-n1.htm
  5. ^ タイ「恩赦ごり押し」法案の大誤算 亡命中の兄タクシンの帰国・復権に道をつけようとしたインラック首相の甘すぎる皮算用(ニューズウィーク日本版 2013年12月2日
  6. ^ 減刑と減軽(とっさの日本語便利帳)”. 朝日新聞出版コトバンク). 2018年1月23日閲覧。
  7. ^ 悪逆謀反大逆故意殺人(故殺人)、反逆行為の連座(反逆縁坐)、役人の職権乱用による強姦窃盗人身売買(略人)、収賄(受財枉法)、嘱託殺人(殺人応死)など。この他に八虐一般や私鋳銭、複数回以上の強盗・窃盗も含むあるいは準じるとする異説がある。
  8. ^ 大正天皇の崩御は1926年(大正15年)12月25日であり、昭和元年は7日間だけであったため。
  9. ^ 日本ニュース第90号 1942年(昭和17年)2月23日NHK
  10. ^ 第5節 恩赦昭和51年版 犯罪白書
  11. ^ いずれも当時世論で情状酌量の余地があったと判断されたもので、後記のような惨忍な死刑囚の事例にはありえなかった。
  12. ^ 主として、無期刑仮出獄者が更生したと認められる場合に保護観察を終了させる措置
  13. ^ 前科により資格を喪失し又は停止されていることが社会的活動の障害となっている場合に、その資格を回復させるもの
  14. ^ 平成16年版 犯罪白書法務省
  15. ^ 平成17年版 犯罪白書法務省
  16. ^ 第4節 恩赦平成29年版 犯罪白書、法務省
  17. ^ 第4節 恩赦平成30年版 犯罪白書、法務省
  18. ^ “李明博大統領が服役の側近ら55人を特赦 次期政権や世論反発”. 産経新聞. (2013年4月27日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/130129/kor13012917070005-n1.htm 2013年4月28日閲覧。 
  19. ^ https://news.yahoo.co.jp/byline/pyonjiniru/20160813-00061083/
  20. ^ “韓国大統領、財界大物含む6527人を特赦 植民地支配解放70周年に合わせ”. ウォール・ストリート・ジャーナル日本版. (2015年8月13日). http://jp.wsj.com/articles/SB12651166888765394352004581167970435128948 2015年9月9日閲覧。 
  21. ^ 玉置直司 (2015年7月27日). “韓国で独立70周年に「100万人特赦」へ 対象に政治家、企業人は? 賛否錯綜に、大統領はどう決断?”. 日本ビジネスプレス. http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/44386 2015年8月17日閲覧。 
  22. ^ http://www.chosunonline.com/m/svc/article.html?contid=2016081201492
  23. ^ http://www.recordchina.co.jp/b116527-s0-c30.html
  24. ^ http://japan.hani.co.kr/arti/politics/26765.html
  25. ^ “ローマ法王、機密流出させた元執事を恩赦 収監先を訪問”. 朝日新聞. (2013年4月27日). オリジナルの2012年12月23日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121223150251/http://www.asahi.com/international/update/1222/TKY201212220960.html 2013年4月28日閲覧。 
  26. ^ [1]退任直前のオバマが、駆け込み「恩赦」を急ぐ理由
  27. ^ “アメリカの刑務所で何が起きている?”. NHK. (2012年1月28日). http://www.nhk.or.jp/worldnet/monthly/2012/0128.html 2013年11月22日閲覧。 
  28. ^ “米大統領の恩赦、白人に偏重 米紙”. AFPBB News. (2011年12月5日). http://www.afpbb.com/articles/-/2843917 2013年11月22日閲覧。 
  29. ^ “感謝祭恒例の「恩赦」七面鳥、ホワイトハウスのイベントへ出発”. Reuters. (2013年11月18日). http://jp.reuters.com/article/jpUSpolitics/idJPTYE9AH02P20131118 2013年11月22日閲覧。 
  30. ^ [2]退任直前のオバマが、駆け込み「恩赦」を急ぐ理由
  31. ^ “ビザなし外国人に永住権か=安部議員が恩赦法修正案提出=来年4月の実現めざし”. ニッケイ新聞. (2013年11月15日). http://www.nikkeyshimbun.com.br/2013/131115-72colonia.html 2013年11月22日閲覧。 
  32. ^ “タイ:タクシン氏恩赦法案、否決濃厚 上院議長”. 毎日新聞. (2013年11月6日). http://mainichi.jp/select/news/20131107k0000m030075000c.html 2013年11月22日閲覧。 
  33. ^ Anna CUENCA (2013年8月6日). “モロッコ国王が恩赦撤回した児童性的虐待の元受刑者、スペインで身柄拘束”. AFPBB News. http://www.afpbb.com/articles/-/2960223?pid=11137713 2013年11月22日閲覧。 
  34. ^ “モロッコ国王、児童性的虐待のスペイン人受刑者に与えた恩赦を撤回”. AFPBB News. (2013年8月6日). http://www.afpbb.com/articles/-/2959963?pid=11127376 2013年11月22日閲覧。 
  35. ^ 銃の不法所持、恩赦で5万7000丁届け出 豪州”. CNN (2018年3月3日). 2018年3月5日閲覧。

関連項目編集