2006年フィジークーデター

2006年フィジークーデター(The Fijian coup d'état of December 2006)は、フランク・バイニマラマ准将ライセニア・ガラセ首相ジョセファ・イロイロ大統領に対して行ったクーデターである。

2006年フィジークーデター
フィジークーデター

ランバサ郊外に配属された治安部隊
2006年12月5日
場所フィジーの旗 フィジー
結果

クーデター成功

衝突した勢力

フィジーの旗 フィジー政府英語版

政治的支援:
オーストラリアの旗 オーストラリア[1]
イギリス連邦[2]
フランスの旗 フランス[3]
ニュージーランドの旗 ニュージーランド[4]
サモアの旗 サモア
トンガの旗 トンガ[5]
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国[6]

フィジーの旗 フィジー軍英語版

政治的支援:
中華人民共和国の旗 中華人民共和国[7]
インドの旗 インド[8]
ロシアの旗 ロシア[9]
指揮官
フィジーの旗 ジョセファ・イロイロ
フィジーの旗 ライセニア・ガラセ
フィジーの旗 エペリ・ナイラティカウ英語版
フィジーの旗 フランク・バイニマラマ

解説

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ガラセ政権はフィジー議会に3つの法案を提出し、それらはフィジー民族にとって有利な内容だった。フィジー共和国軍英語版司令官のバイニマラマは10月16日、政府に対して法案の撤回を要求するも交渉は失敗に終わり、12月4日に軍はクーデターを起こした。これにより、ガラセをはじめとする政府要人は役職を解任され、その一部は自宅軟禁を余儀なくされた。

大統領職を解任されていたイロイロはバイニマラマと合意し、2007年1月4日に再び大統領職に復帰した。そしてイロイロは、バイニマラマを首相に任命した。

このクーデターについて国内から多くの批判があったものの、国民の抗議は2000年に発生したクーデターより静かであった。オーストラリア及びニュージーランドはこの行為を批判し、いくつかの国際機関はフィジーに対して罰金を課した。

クーデターの合憲性に関する議論は2009年まで続き、フィジー高等裁判所英語版は違憲とした為2009年フィジー憲法危機英語版が引き起こされるきっかけとなった。

脚注

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外部リンク

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