MC5

アメリカ合衆国のロックバンド

MC5(エム・シー・ファイヴ)は、1960年代半ばから1970年代前半にかけて、アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市を拠点に活躍したロックバンド。結成はミシガン州のリンカーン・パーク

MC5
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ミシガン州
ジャンル パンク・ロック
ガレージロック
ハードロック
サイケデリック・ロック
プロト・パンク
プロト・メタル
活動期間 1964年1972年,2003年~現在
レーベル エレクトラ・レコード
ライノ・エンタテインメント
アトランティック・レコード
メンバー ウェイン・クレイマー
デニス・マシンガン・トンプソン
マイケル・デイヴィス
ハンサム・ディック・マニトバ
旧メンバー ロブ・タイナー
フレッド・ソニック・スミス
パトリック・バロウズ
スティーヴ・ムーアハウス
ボブ・ギャスパー
レイ・クレイグ

メンバー 編集

「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第93位、2011年の改訂版では削除された。2024年2月2日没[1]
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第92位、2011年の改訂版では削除された。

経歴 編集

共にR&Bファンで在り十代の頃よりの親友であったウェイン・クレイマー(リードギター)とフレッド・スミス(リズムギター)は1963年アメリカ合衆国ミシガン州のリンカーン・パークにてバンド活動を開始。

バンドの2枚目のアルバム『Back In The USA』ではチャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」、リトル・リチャードの「トゥッティ・フルッティ」をカバーするなど、ベースとなるR&B志向は後の活動でも一貫して保たれている。

デトロイトにてバンド活動を始め、しばらくした後、イギー・ポップ率いるストゥージズが登場する。MC5とストゥージズは兄弟バンド的な存在となり、過激なパフォーマンスとメッセージで後にパンク・ロックの第一人者と呼ばれる。MC5のメンバーはストゥージズのメンバーと親密な関係にあり、後にデストロイ・オール・モンスターズ(Destroy All Mosters)、ニュー・オーダー(The New Order[2])、ニュー・レース(New Race)等のバンドでも活動を共にした。

過激なパフォーマンスでも名を轟かせた。PAシステムが発達していない時期に何台ものアンプを使い爆音を響かせたことは有名である。当時では有り得ないステージ上の派手な衣装も印象的である。フレッド・スミスはスペースマン、ウェイン・クレーマーは顔を金色に塗り、ロブ・タイナーは巨大なアフロで登場する様であった。'60年代にすでに過激な衣装で登場していた先駆者であったためか、デニス・トンプソンは後の派手な衣装で有名になったバンドをかなり皮肉っており、特にキッスを「Fuck KISS」(キッスはしょうもない)と罵っている[要出典]

また『Kick Out The Jams』の冒頭で聞けるように、卑語である「マザーファッカー」をステージ上で絶叫したりしていた。観客の熱狂も比類なきものであったといわれた。

マネージャーのシンクレアはホワイトパンサー党の創設者として知られており、政治的姿勢も明確にし、ヒッピーのブームに浮かれる世情と真っ向から対立した。反政治的(反体制的?)な活動をしていたMC5は、1968年8月25日のシカゴのリンカーン・パークで行われた“Festival of Life” において、悪名高いバンドとして警察からコンサートを中止させられそうになった。コンサートはそのまま続行されたが、終了後シカゴより逃げるようにデトロイトに帰ったという。当時のMC5は危険なバンドとしてFBIにもマークをされていたといわれる[要出典]

また子供に悪影響を及ぼす等の理由によりしばしば、レコード店より販売の拒否、またはレコードの撤去をされたという事実もある。MC5は当時のデトロイトの大衆紙の1ページ全面で大々的に大手ハドソン・デパートを皮肉り 「KICK OUT OF THE JAMS, MOTHERFUCKER! and kick in door if the store won't sell you the album FUCK HUDSON'S!」とレコードレーベルのエレクトラ・レコードのロゴマークと共に書き込んだ。激怒したハドソン側がエレクトラのレコードを全て撤去、販売を中止したという事件もある。多大な被害を受けたのは所属レコード会社・エレクトラであった[3]。指摘された「~ MOTHERFUCKER!~」の一節を差し替えた改訂版が米国国内盤として1980年代以降しばらく流通した。日本国内LP盤は1980年代の廉価シリーズでの再発売も初回音源テープを使用した。

1972年に解散したが、2002年に再結成。再結成後は死去した二人のメンバーを除いた3人のラストネームのイニシャルを取りDTK/MC5(Michel Davis, Dennis Thompson, Wayne Kramer)という名前で活動している[4]。ボーカルにはその時々に、マッドハニーのマーク・アームや、元ガンズ・アンド・ローゼズギルビー・クラーク、ベルレイズのリサ・ケカウラ等をゲストボーカルに呼んでいる。また、同年USA VH1のTVプログラム「MC5: Sonic Revolution 2004」でも放送されたように、現在はメンバーはバンド活動の他にプロデューサー活動も行っている。

2024年4月21日、米国・Rock & Roll Hall Of Fameより、2024年度『ロックの殿堂 ミュージカル・エクセレンス・アワード』に選出された[5]

その他 編集

  • バンド名の由来は、一般にMotor City Fiveの略とも、自動車部品の品番の名称に似せたとも言われるが、実は特に形式ばった略語ではなく何にでもあてはまるように、と付けられた名前らしい。MC5のドキュメンタリー映画「A True Testimonial」(2002)の中で、ウェイン・クレイマーは「簡単に呼びやすいような語感を意図した」と語っている。

ディスコグラフィー 編集

  • Kick Out The Jams (Elektra) 1969年 ライヴ盤
  • Back In The USA (Atlantic) 1970年
  • High Time (Atlantic) 1971年

活動中発表されたオリジナル・アルバムは以上3作のみ。
他ライブ、編集盤多数。

外部リンク 編集

脚注 編集

  1. ^ “Wayne Kramer, co-founder of rock band MC5, dies aged 75”. Guardian. (2024年2月2日). https://www.theguardian.com/music/2024/feb/02/wayne-kramer-co-founder-of-rock-band-mc5-dies-aged-75 2024年2月3日閲覧。 
  2. ^ ジョイ・ディヴィジョンから発展した同名バンドとは別
  3. ^ Don McLeese『MC5's Kick Out the Jams』Bloomsbury Publishing USA, 2005/08/18
  4. ^ アンソロジー映像集や再発盤を巡って、遺族とは権利調整の法廷闘争に発展した
  5. ^ オジー・オズボーン、フォリナー、ピーター・フランプトンがロックの殿堂入り”. BARKS (2024年4月22日). 2024年4月23日閲覧。