T-7 (練習機)
概要
編集T-3と同じく当初から航空自衛隊のパイロット養成を目的として開発されている。
1990年代に、T-3改として開発が開始され、1998年(平成10年)8月にT-3の後継機である「新初等練習機」に選定された[2]。しかし、1998年(平成10年)末に海上自衛隊へ納入する予定のUS-1A改開発の際、富士重工役員と防衛庁政務次官の汚職があったことが発覚した為、翌1999年(平成11年)度にかけて予算措置が凍結された[2]。この間、富士重工は独自に開発を行い、試作機であるKM-2F(JA8222)は、海上自衛隊向けの練習機として開発したT-5試作機のKM-2D(JA8222)を改造して作られた(主にキャビンの改造)。初飛行は1999年(平成11年)。
防衛庁は調達改革として、国際競争入札[2]としたことから富士重工の他にピラタス(スイス・代理店丸紅)がPC-7 Mk.IIで応募した[2]。2000年(平成12年)9月に富士重工の採用が決定したが、この決定に対し、防衛庁が採用理由の十分な説明をしなかった為、ピラタスが不当採用として告訴すると主張した。防衛庁は再度説明をすることで平穏に解決したが、防衛庁関係者にとって「説明」の重要性を再認識させる重要な事件であった。
量産型の新初等練習機(T-3改)は2002年(平成14年)7月9日に初飛行し、2003年(平成15年)4月に「T-7」として制式採用され、防府北基地の第12飛行教育団に配備が始まり翌年に完了、2005年(平成17年)からは静浜基地の第11飛行教育団へ配備が始まり、2006年(平成18年)度末にT-3を完全に置き換えた。発注は18年度で終了し、2008年(平成20年)度に3機(通算49機)が納入されて配備が完了した[3]。
なお、T-1以降の国産練習機の制式番号は、偶然にも1から7までのうちの奇数番号がすべて富士重工製となった。抜けている「T-6」については、以前に空自発足の際にアメリカ軍から供与され、中等練習機・救難機として使用したT-6テキサンが存在しており、同機は既に1970年(昭和45年)に現役から退いているが、書類上の混同を避けるため等と思われる。
航空自衛隊では2023年度までにT-7の後継機を検討する予定である[4]。
機体
編集機体価格を抑えるため、可能な限りT-3との部品の共通化が図られたことにより、国内生産ながら約2億3000万円と外国製並に抑えられている。機体形状はほぼ同一であるが、翼形など細かな部分に改良(特に垂直尾翼は後退角を付けてある)を加え、運動性能を向上させてある。最大の変更点は航空機の使用燃料をジェット燃料に一本化するために、レシプロであったT-3から、海上自衛隊のT-5に搭載されたターボプロップエンジン(ロールス・ロイス250-B17D)の離陸出力増加型である250-B17Fを採用しているが、通常はリミッターをかけていない。エンジン換装のため、T-3より機首が550mm長く、同時にレシプロからターボプロップへの変更のために形状はスリムになっている。コックピットのスペースもT-3よりゆとりを持って設計され、冷暖房も加えられるなど搭乗環境も改善している[1]。これにより、速度の向上や運用の効率化に加え、副次的ではあるが騒音の低下も果たした[1]。
エンジンの本格的な修理はMHIエアロエンジンサービス(三菱重工系)が請け負っている[5]。
配備基地
編集性能・主要諸元
編集脚注
編集- ^ a b c 自衛隊装備年鑑 2006-2007 朝雲新聞社 P404-405 ISBN 4-7509-1027-9
- ^ a b c d 会計検査院 (2000年). “平成12年度決算検査報告 航空自衛隊の新初等練習機の調達について”. 2016年8月13日閲覧。
- ^ “航空自衛隊向けT-7初等練習機の最終号機を納入”. 富士重工業 (2008年9月11日). 2020年1月30日閲覧。
- ^ 中期防でT-7初等練習機の後継機検討へ - 航空新聞社
- ^ MHIエアロエンジンサービス | 取扱製品 | 下請機種 | 250-B17
- ^ 浜松基地所属の航空機及び装備品