Lonicera氏の管理者としての姿勢について、コメント依頼をいたします。よろしくお願い申し上げます。--Nekosuki600 2008年4月23日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

最初に 編集

最初にお願いがあります。

今回のコメント依頼対象者についていろいろと思うことがある方は多かろうと思います。しかしながら、意見を述べる前に、自分がここで意見を述べることが適切であるかどうかそれがWikipediaにとって有益なものとなるかどうかそれをよく考えていただきたい。沈黙を選んだ方が良いときだって世の中にはいっぱいあるんだ。

Lonicera氏の管理行為にはいろいろな問題があるように思います。しかし、それはそれとして、ブロックを受けた者・執筆項目を削除をされた方々に問題がなかったということには、ならないんですね。このコメント依頼は、正当な理由のあるブロックや削除に対して逆恨みの異議申し立てをするところではありません。不当な扱いを受けたと思っているひとが自分の不幸について演説をするところでもありません。

まず最初に、そのことをしっかり覚えておいて下さい。このコメント依頼は、ことによるとかなりの混乱が生じる可能性がありますのであらかじめ予告をしておきますが、上記2段落を踏まえていないと思われる発言は遠慮なくがんがんコメントアウト・ノートへの移動・削除をさせてもらいます。--Nekosuki600 2008年4月23日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

このコメント依頼の目的 編集

このコメント依頼では、Lonicera氏の管理者と姿勢に問題があるかどうかを検討し、問題があるとすればその洗い出しを行いたいと思います。看過し得ない問題があるとコミュニティが判断したと考えられる結果に至ったならば、解任依頼を出すことを考えます。--Nekosuki600 2008年4月23日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

問題があると考えられること 編集

コメント依頼者が提出するもの 編集

対話拒否 編集

顕著な対話拒否傾向が認められる。

管理行為に伴い他者に対しては「対話に応じないとブロックをする」といった文言を多用するにもかかわらず(例1例2例3例4)、自身はほとんど対話に応じない。顕著な事例では「『無回答』は回答の一つの形態です」と述べることで自らは対話を拒否したというものがある(差分)。

また、コメント依頼などに対しても自らの行動についてほとんど説明をすることはなく、コミュニティの合意に基づく勧告に対しても返答をしていない(Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20071029)。

コミュニティの意思の軽視 (1) 編集

コミュニティの意思を軽視する強い傾向が認められる。事例1。

管理者による裁量ブロックについて、コミュニティは、上記コメント依頼で「(明確な荒らしなどを除いて)期間は一週間以下に限る。一週間以上のブロックが必要だと考える場合には、速やかに一週間以上の追認依頼を出すべきである」という確認を行い、Lonicera氏に通知した(コミュニティからの要請。通知はLonicera氏の会話ページで行われている)。

返答はなかったものの、いったんは一週間を越える裁量ブロックが抑制されるという好結果が得られた。しかしながら、最近また一週間を越える裁量ブロックをかけ、しかし追認依頼が出されないというケースが発生している。

  • 一週間を越える裁量ブロック&追認依頼の不提出
該当ユーザの会話ページでのブロック告知  差分
ブロックの実行 - 2008年4月22日 (火) 17:46 期間は2週間
依頼がないことの確認 - 2008年4月23日 (水) 08:44

このケースでは、複数回目のブロックであるという理由から期間を2週間に延長するということを独断で行っている(こういうケースでは、ブロック依頼を出してコミュニティの判断を仰ぐべきであろう)。

コミュニティの意思の軽視 (2) 編集

コミュニティの意思を軽視する強い傾向が認められる。事例2。

保護依頼で、保護反対票しかついていないものを独断で白紙保護したという事例がみられた。保護反対票しかついていない以上、様子を見るべきであろう。

  • 保護依頼における問題事例
意思表示2件・いずれも保護反対
バレンタインカップ
カーネーションカップ (ばんえい競馬)

独自の管理基準 編集

コミュニティの合意を経ていない管理基準を独自に導入する傾向が強い。その事例として、否決された定期削除の独自の導入を例示しておく。

当該項目の存否の是非については、ここでは問題としない。

定期削除は、提案され議論が行われ一回は試行まで行われたにもかかわらず、結果として問題が大きいとして否決された。「ある程度の期間加筆がない」「スタブのまま放置されている」という理由では削除しないという方針がコミュニティで改めて確認されたと解するべき。そのコミュニティの結論に異議があるからといって、独自に導入して良いということにはならない。

削除に反対投票をしたユーザへの恫喝行為 編集

削除に反対投票をしたユーザに対して、恫喝的言辞を浴びせる行為が繰り返されている。時として相手方のノートにまで乗り込んでいくこともある。それに対して抗議もなされているが、抗議などに対してちゃんとした対話を行うということは見られない。このあたりは、管理者権限の有無とはあまり関係がないが、隣接した部分での問題として重大であると言えよう(次節にも関係する)。

なお、以下の議論もご参考になさって下さい。

  • スタブを削除する必要はないという確認が行われた議論。
Wikipedia‐ノート:定期削除の方針
  • 存続主張者に加筆が義務付けられるわけではないという議論。
Wikipedia‐ノート:削除依頼/特別な業績無き個別声優記事

自己関与問題への管理権限行使 編集

管理者は、管理権限を行使する際に中立であることを求められている。従って、自己が参加した議論について権限を行使することは避けられてきた(明文規定の例として、Wikipedia:投稿ブロックの方針の中の「投稿ブロック依頼を行ったのが管理者であった場合、その管理者自身が投稿ブロックを実行してはいけません」など)。包括的明文規定があるかどうかわたしは存じませんが、管理者は自分が問題提起をしたケースや議論に参加したケースについては権限を行使しないという方針が守られてきた。

しかしLonicera氏は、以下のケースで、自分が削除した文書に対する復帰依頼に終結宣言を出している。これは、性急に処理を行う必要があるケースではなく、他管理者の判断を待つ余裕が十分にあったものである。また当該復帰依頼は、その後別の管理者によって復帰という判断が下されており、復帰せずという終了宣言は「誰もが同じ結論に達するようなもの」でなかったことも立証されている。管理権限の中立的な使用について、深刻な問題点があると考えざるを得ない。

合意なき管理権限行使の予告 編集

Wikipediaにおいては、新たな管理基準を設ける場合には、コミュニティの合意が必要とされている。しかしながらLonicera氏は、合意を経ない管理権限行使の予告を行ってる。

内容は、「来年は(エイプリルフールに)ジョーク項目を立てた人間をブロックします」というもの。その是非についてはここでは論じない。しかしながら、来年のエイプリルフールまでにはまだ1年近くあり、急ぐ必要は全くない。そういうブロックをやりたければコミュニティの合意を取り付けることを先行すべきである。合意を取り付けるという作業を行わずに権限行使の予告を行うというのは、管理者としてかなりの逸脱行為というよりほかはない。


ここまでの事例報告は、コメント依頼提出者によるものです。--Nekosuki600 2008年4月23日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

追加分 編集

コメント依頼者ひとりではWikipediaの中で起きていることの全貌を把握することはできません。もし他にも問題として検討すべきケースがあるとお考えになった方がいた場合には、以下に追加して下さい。追加する場合には、「見出し」「問題点の簡単な説明と参考リンク」「追加者の署名」をお忘れなく。

特定項目の保護に関しての問題 編集

Loniceraさんは、合意を得ていなかった「爆笑レッドカーペットの出演芸人一覧」をWikipedia:削除依頼/爆笑レッドカーペットの出演芸人一覧を理由として削除した。問題はこの削除依頼が出された直後(爆笑レッドカーペットの出演芸人一覧削除するずっと前)に、事実上の親記事である「爆笑レッドカーペット」を無期限の保護にしたことである。

この爆笑レッドカーペットについては、直前に別の管理者である海獺さんによって放送のたびに加筆される可能性のある内容及び検証可能性を満たさない記述をコメントアウトしていたため、問題は一定の改善がされていた。しかしLoniceraさんは要約欄で「ジャンプ!○○中と同様の事態になっているため ローカルルール制定まで解除しません」とコメントし保護。その後このノートページにおいて、一部利用者に対して暴言とも取れる発言があった(実際にParanoiaさんがこれに対して苦言を呈している)。

なお、同様の事態となっているとして保護した「ジャンプ!○○中」についても問題が取りざたされており、Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080213が出されていた。しかし下記の通り、解任動議審議中だったこともあり、依頼者が取り下げていた。--Tomoaki uchida 2008年4月28日 (月) 15:19 (UTC)[返信]

各種依頼の終了における暴言 編集

各種依頼の終了宣言をめぐる問題点を追加します。

代表的な問題事例

各種依頼の終結宣言は、それまでのコミュニティの討議をもとに一定の裁定をくだした旨を宣言し議論を終了するという目的のものであり、管理者の個人的な意見表明の場ではありません。にもかかわらずしばしば意見を表明しており、中には特定のユーザなどを強く非難するものがまざっています。それまでの議論に参加していなければ形式上は問題にはなりませんが、自らが強い意見を持つケースについて管理権限を行使することは歓迎できないと考えます。

また原則として終結宣言をもってそのページは閉じられますから(保護されない限り、その後も編集ができなくなるわけではありませんが)、終結宣言の中にいかなる誤謬が含まれていようとも、あるいはそれが一方的なものであろうとも、言われた側は反論できなくなります。従って、終了宣言の中で他者を非難する文言を用いることは、フェアネスという観点からも強く問題があるように思われます。--Nekosuki600 2008年5月1日 (木) 10:57 (UTC)[返信]

コミュニティの意思の軽視 (3) 編集

保護依頼者は1ヶ月で出してる。おれは半保護で様子見でいいんじゃないかという意見をつけてる。そこに3ヶ月の全保護をかけるというのは、もしかして「自分へのコメント依頼なんかを出しやがった不埒なユーザには徹底していやがらせをしてやる」という意思表示なんでしょうか。--Nekosuki600 2008年5月6日 (火) 15:41 (UTC)[返信]

    • これは、「編集合戦」であるとLonicera氏は判断したのでしょうか。昨日の時点で事実は確定していたので、性急な編集というより単に編集回数が多いだけのように見えます。これを編集合戦だということであれば、そう判断したのでしょうといえるのですが書かれていませんね。(注:後付けはだめですよ)--Goki 2008年5月7日 (水) 02:41 (UTC)[返信]

WP:KIDS問題について 編集

Wikipedia:児童・生徒の方々へのショートカットとして登録されていたWP:KIDをLonicera氏が乱用し、該当者と思われる者に対する侮蔑的利用をしていたという問題については、Lonicera氏には理解を期待できないという観点からこのコメント依頼による「改善要望」には入れていませんでした。平行して、全然別の方法での改善が議論され、「問題は解決したこと」「本件の問題解決についてLonicera氏は全く寄与しなかったこと」の2点を報告させていただきます。

当該項目については複数のショートカットが登録されていましたが、それはすべて廃止されました。今後は[[Wikipedia:児童・生徒の方々へ]]と[[Wikipedia:児童・生徒の方々へ|児童・生徒の方々へ]]の2つのリンクが強く推奨されるものとなります。同時に、それ以外(たとえば[[Wikipedia:児童・生徒の方々へ|WP:KID]])などは、コミュニティの意思に反するものとなります(注:過去のリンクの修正を除く)。

本件については、実のところLonicera氏の自発的な反省表明や改善の意思の表明を全く期待しかったわけではありません。それはこのコメント依頼に関しても、Lonicera氏が信頼を回復するための起死回生の策として機能したかもしれないし、おれはそのチャンスを提供しようという意図も持っていた。おれとしては、とても残念ではあるのだが、「やっぱだめだったか」という感じでおります。また、Lonicera氏による[[WP:KID]]の乱用が、その問題解決のためにコミュニティを疲弊させたと言っていいのではないかということを、指摘しておきます。--Nekosuki600 2008年5月17日 (土) 19:08 (UTC)[返信]


各種参考リンク 編集

  • 管理者就任の経緯
Wikipedia:管理者への立候補/Lonicera 20070411
  • 管理者解任提案
(1) Wikipedia:管理者の解任/Lonicera 20070830
ソックパペットによる解任提案。ノートページも参照。4:66で留任。
(2) Wikipedia:管理者の解任/Lonicera 20080203
コメント依頼を受けての解任提案。33:97で留任。
  • 過去のコメント依頼
Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20071029
裁量権限を越える長期ブロックの抑制を求めたもの・結果:勧告
Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080105
ブロック予告つき回答の強要について
Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080119
管理者としての削除に対する姿勢について→解任動議(2)に続く
Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080213
特定項目の保護の是非をめぐるもの→解任動議審議中に出すな、ということで取り下げ
Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 080311
項目の削除に対する回答要求
  • 過去のブロック依頼
管理者就任前
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 20060529
ブロック依頼の応酬によるものとして却下
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 20060531
無権利者による依頼で自動失効
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 09042006 解除 (20060904)
荒らしアカウントとしての無期限ブロックに対する解除要請・結果:解除
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 2007030 (20070329)
報復依頼と理解され却下
管理者就任後
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 20080206
解任動議の審議中であり異常依頼として即時終了
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 解除 20080213
不適切な自己ブロックに対して管理権限の濫用としての解除提案(審議中に期限が到来し解除されたため審議未了終了)
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 20080305
Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080119、Wikipedia‐ノート:管理者の解任/Lonicera 20080203における議論による依頼(異常なブロック依頼(依頼者の保留票など)によりブロックせずに終了)
ここまでコメント依頼提出者が記載--Nekosuki600 2008年4月24日 (木) 10:07 (UTC)[返信]
Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 20080305について要約--Tomoaki uchida 2008年4月26日 (土) 17:04 (UTC)[返信]
  • 過去のブロック履歴
ログによれば被依頼者は過去に下記の投稿ブロックを受けている。以下時系列は新しい物が下である。
  • 2006年9月4日 (月) 01:13~
2006年9月4日 (月) 01:13 無期限 ブロック (利用者:Tietew会話 / 投稿記録 / 記録による)
2006年9月5日 (火) 11:09 1週間 に変更 (Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 09042006 解除) (利用者:S kitahashi会話 / 投稿記録 / 記録による
  • 2008年2月12日 (火) 23:48~
2008年2月12日 (火) 23:48 1週間 ブロック (強制Wikibreak) (利用者:Lonicera会話 / 投稿記録 / 記録による
この投稿ブロックについては:Wikipedia:投稿ブロック依頼/Lonicera 解除 20080213において管理権限の濫用として審議されたが審議中に期限が到来し解除されたため審議未了終了となった。
  • 2008年4月2日 (水) 01:49~
2008年4月2日 (水) 01:49 1日 ブロック (WP:RFUの審議正常化・クールダウンのため。) (利用者:Cpro会話 / 投稿記録 / 記録による
ここまで記載。--Lime citrus soda 2008年4月24日 (木) 07:31 (UTC)[返信]
フォーマット修正--Nekosuki600 2008年4月24日 (木) 10:07 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント 編集

#改善要求事項についてですが。

  1. 各種依頼のクローズの際に、「「どういう対処をしたか以外の余計なこと」を書かない
    方針にそのような文言はありません。よく「ボタン押しに徹しろ」といった類の意見を書く人がいますが、管理者は機械ではありません。そのような人間性を無視した意見は「人間が人間に求める」種類のものではないでしょう。
  2. 自己関与案件での管理権限行使
    方針で明確に定めるのが先でしょう。
  3. 異議や疑問に対しては、いちいちちゃんと対話
    スパムを垂れ流す手合いや、削除や保護の対処に逆恨みをするような子供(必ずしも実年齢と一致するとは限らない)の面倒は見ません。Wikipediaは教育機関ではありません。
  4. WP:CIVILWP:ATTACK問題
    まずそのようなことを言い出す当人(自分に向けられたこの種の意見に関して言うならば、圧倒的に子供が多い)が、礼儀を払われるに足るだけの立派なユーザになるべく自らを涵養すべきでしょう。

「俺はこいつのここが気に食わないんだぜ。お前らもそう思うよな?」「そうだそうだ」で話が進み、「合意の形成」なるものが作成され、「お前に関してはこう決まったから黙って従えよな」という感想しかありません(前回のコメント依頼はその種のものでした)。

自らの考える理想のWijkipedia像、理想の管理者像を模索なさるのは結構なことですが、それを枠組みとして他人に当てはめる前に、まずご自分がそれを体現なさるべきかと考えますがいかがなものでしょうか。私はそうしました。何よりもまずWP:NOTを中心に考えて活動しています。

ここでどういう言っている方々は、問題を起こす利用者群を減らすべく、何らかの具体的な活動をなさって下さっておられるのですか? 対処する側の視点で考えようとせず、対処する側に回ろうともしない方々が、実効力を持つ実現可能性の高い代案を提示せずに反対のみを繰り返したところで説得力を感じえません。--Lonicera 2008年5月9日 (金) 14:19 (UTC)[返信]

議論 編集

過去事例がかなりあること、追加事例が提出されるかもしれないことなどの理由から、議論の開始は、このタイムスタンプから5日、お待ちください。それまでの間、関連文書の熟読や問題点の追加などの作業を、各自お願い申し上げます。--Nekosuki600 2008年4月23日 (水) 13:07 (UTC)[返信]

かなり長い議論が出来上がりつつあるため、ひとつづつのコメントを節として区分させていただきました。無味乾燥な数字タイトルの節にしましたが、ご容赦ください。節名についての議論・提案などがありましたら、ノート#節名においでください。--Nekosuki600 2008年5月2日 (金) 12:57 (UTC)[返信]

第一セッション 編集

依頼クローズ時の発言が権限濫用(Mizusumashiによるコメント) 編集

  • (コメント)私は、たいへん残念ながら、Loniceraさんの管理者解任もやむを得ないと考えています。
    私がLoniceraさんが管理者に相応しくないと考える理由は、投稿ブロック依頼や削除依頼のクローズ時の発言が、公正さを欠き、管理者権限の濫用であり、その改善の意思がないと判断するからです。
    投稿ブロック依頼や削除依頼において、管理者は対処と同時に依頼をクローズすることができ、「このページは編集しないでください」と宣言され、それ以後、そのページの編集が禁止されます。つまり、管理者が依頼クローズと同時に述べたことに対しては、誰も同じページ内で訂正も、弁明も、反論もできません。そうであるにも関わらず、依頼クローズ時に、一方的に上記のような発言をすることは、著しく公正さを欠き、管理者権限の濫用であると私は考えています。
    むろん、依頼クローズ時に対処の理由・根拠を説明することは好ましいことですから、そのようなものであれば依頼クローズ時に自分の意見を添えることは構いません。また、依頼審議のプロセスが錯綜・混乱した場合に、次回からの依頼審議における適正な秩序の確保をはかるため、不規則発言を注意することも、表現に気をつければ許されるでしょう。しかし、依頼クローズ時に不必要な個人への批判を行ったり、侮辱をしたり、揶揄を行ったりすることが許されるとは、私には到底思えません。
    また、この点について、既に抗議を行いましたが(2008年3月18日22:20)、それへの応答がなかったため、「無回答」が改善するつもりはないという意思の現れであると判断し、管理者解任もやむなしと考えます。
    (なお、上記の事例は、必要なら適当な場所にコピーしてくださって結構です。)--Mizusumashi 2008年4月28日 (月) 20:51 (UTC)[返信]
  • 無回答であっても、行動で改善が示されていれば問題ないと思いますがそうではないようですね。ここが示されれば「「無回答」が改善するつもりはないという意思の現れであると判断」する必要もありません。--Goki 2008年4月28日 (月) 23:19 (UTC)[返信]
  • あー、私も応答の有無ではなく、実際に行動が改善されたかどうかのほうが重要だと思います。ただ、この問題点への抗議にせめて応答があれば「改善の余地はある」と考えることもできるので、せめて応答が欲しかったという気分から蛇足なことを書いてしまいました。--Mizusumashi 2008年4月29日 (火) 12:24 (UTC)[返信]
  • 基本線として、無回答であっても行動が改善されれば、それでいいということには同意します。しかし、今回の件については、その適用外とすべきだとも思います。
    前回、「裁量ブロックは一週間以内」という確認・勧告が行われました。それに対しての返答はありませんでしたが、まあ勧告を守ってくれればいいんじゃないかと思ってました。ところが、その勧告は無視されてしまいました。勧告が行われたのは2007年11月20日であり、明確な勧告無視が発生したのは2008年4月22日です(それ以前にもあったかもしれませんが、わたしは掴んでいません)。
    しょーじき、これはかなり不愉快な出来事です。勧告を受け入れないのならば受け入れないとはっきり言えばいい。勧告を受け入れるのならば、守ればいい。だんまりで態度を明確にしないままほとぼりが冷めるのを待ってまた繰り返すというのはどういうことなのでしょう。
    今回は、応答の有無がけっこう重要な判断基準になるだろうと、おれは思っています。--Nekosuki600 2008年5月2日 (金) 05:29 (UTC)[返信]

2 編集

  • Lonicera氏の削除依頼クローズ時におけるコメントについてですが、Wikipedia:削除依頼/女芸人の中四国イケメン&グルメパラダイスツアーではその内容を問題視した利用者(=その件の依頼者)が、クローズされているにもかかわらずコメント部分をノートに移動させたため(私が行ったものを含めて)2度差し戻されています。この行為の是非については4月10日までノートで議論が行われていましたが、結論は出ませんでした。各種依頼ページではクローズ前なら暴言のコメントアウト・削除は認められているようですが、クローズされたページにおいてはそれが認められるようなルールはないようなので、件の削除依頼ページでは差し戻しを行ったのですが、それまで依頼クローズ時に問題発言をする管理者がいなかったからルールもなかったわけで、現状においてそのような管理者がいる以上、(今後Lonicera氏の解任提案が行われて解任されるかどうかは別として)このような事態に対応するためのルールを決めておく必要があると考えます。--222.9.181.66 2008年4月29日 (火) 01:51 (UTC)[返信]

3 編集

  • (コメント)Lonicera氏は自分よりアカウント取得が遅いユーザー、および学生の意見を否定し、未成年に対してはWP:KID呼ばわりするなど、他のユーザーへの態度の悪さが顕著に表れています。私もその被害者の一人であり、以前私が出した自来也 (NARUTO)の保護解除依頼を強制終了させた挙句、その後の私の問いかけにはこのような発言で返しています。また、その後私が出した全ての保護解除依頼を強制終了させ、保護関連の議論に関与するなともとれる警告まで出してきています(利用者‐会話:Cross-j参照)。どう見ても管理者権限の濫用にしか見えない行動ばかりです。今まで何度も同じような発言ばかり繰り返している氏の態度が改善されるとは思えないため、私は氏の解任に賛成です。--Cross-j 2008年4月29日 (火) 02:53 (UTC)[返信]
  • (コメント)#最初には読まれましたか?このコメント依頼では、特に被依頼者から投稿ブロックをされた利用者はコメントを控えたほうが得策だと思いますよ。いろんな意味で。しかもここはコメント依頼であり、管理者解任投票の場ではありません。(てなことを、書かれないように行動しましょう。)--Goki 2008年4月29日 (火) 04:01 (UTC)[返信]
  • (コメント)「未成年に対してはWP:KID呼ばわりするなど」これはどういう意味でしょうか。WP:KIDは未成年者を主たる対象として、ウィキペディアへの参加にあたって理解してほしいことをわかりやすくまとめたもので、多くのユーザーの議論によって正式制定されたものですよね。にもかかわらず、未成年者に対して、WP:KIDを読んでほしいと要請することがあたかもおかしなこと(「呼ばわり」という表現)であるかのようにコメントされているのは、どういう趣旨でしょうか。WP:KIDの熟読と理解を要請することは「態度の悪さ」の表れだというのでしょうか? この文書制定に携わったユーザーさんみなさんに対して非常に失礼であるばかりか、WP:KIDを大変軽視した発言かと存じます。--はるひ 2008年4月29日 (火) 13:54 (UTC)[返信]
  • (コメント)説明不足、WP:KIDの軽視、及び氏の解任を要求するような意見ですみませんでした。私が言いたいのは、私のように10代後半で1年以上Wikipediaに携わっているユーザーをWP:KIDとして見下す氏の態度に問題があるということです。上にも挙げた通り、氏は未成年や新規、IPユーザーに対して管理者権限を濫用し過剰なまでの警告を繰り返し、彼らが意見してもまともに応じようとせず、明らかに侮辱ともとれるコメントしか返そうとしません。
    以上の点から、やはり氏は管理者として適任ではないと思います。--Cross-j 2008年4月29日 (火) 14:59 (UTC)[返信]
  • えー。Wikipedia:児童・生徒の方々への起草者といたしましては、と。
    あれは、問題がある行動をするお子様が出てきたとき、不慣れな大人が注意をしてややこしいことになるのを避けるために、かなり手間をかけて作った文書なわけです。「不慣れな大人が注意をしてややこしいことになる」というのは、不十分な注意であったがゆえに理解が得られないってこともありますが、言い方が悪くて怒らせてしまい問題をこじらせる、てのも当然に含むわけです。そのあたりのことは、ノートとかにもしっかり書いてある。
    攻撃的に受け取られないような表現を考えるとか、あれはけっこうみんなで知恵を絞って作ったものなんですよね。あれを攻撃の武器のように使われるのは、たいへん残念です。文書の整備という分野でWikipediaに寄与しようと志したユーザたちの努力を無にしないでいただきたいと思うのですねえ(ためいき)。また、「WP:KID」といった文字列を罵倒語のように使うという風潮にも、おれは馴染めません。「WP:GAKI」というショートカットが再三作られ削除され現在白紙保護されてたように記憶していますが、この調子では「WP:KID」という文字列が同様のイメージを帯びてしまうのも時間の問題なのではないかと、強く危惧しております。--Nekosuki600 2008年4月30日 (水) 10:49 (UTC)[返信]
  • Lonicera氏のせいですでに「WP:KID」という文字列が同様のイメージを帯びてしまっていると思います。差別的な要素がない言葉なのに使っている人間がそういう意識・意図をもって使い続けたためにいわゆる「差別用語」となってしまうという典型例でしょう。--Goki 2008年4月30日 (水) 13:39 (UTC)[返信]
  • 根本的な問題解決にはならないかもしれませんが、Wikipedia:児童・生徒の方々への使い方制限として「リンクはショートカットではなくタイトル全文で標示すること」「攻撃的に使ってはいけない」というものを提案しました。なんでこんなことを確認せにゃならんのかと、おれはためいきをついていますけれども。--Nekosuki600 2008年5月2日 (金) 23:24 (UTC)[返信]
  • 当該議論は進行中ですが、その中で「いっそショートカットを廃止してしまえ」という意見も出てきました。いいかげんバッドイメージがついてしまっていることだし、bot頼んで書き換えをやらなくちゃなりませんが「WP:KID」を廃止しちゃうっていう手もありかもしれません。ためいきでちゃうけど。--Nekosuki600 2008年5月6日 (火) 11:54 (UTC)[返信]
  • 英語版で使用されているショートカットは同じものを使うという「決め」に従うと、en:WP:KIDは日本語版とは趣が違うもの(子どものプライバシーの保護について)へのショートカットになっているので、誤解を生まないためにも廃止すべきだと思います。--Goki 2008年5月7日 (水) 02:41 (UTC)[返信]
  • ニュアンスの違いだと思いますが、「攻撃的に使う」というのは想定の範囲外だったわけで、「乱用」と言ってもいいと思いますが「悪用」と言ってもかまわないと考えます。「濫用」にはあてはまらないんじゃないかという気がします。--Nekosuki600 2008年5月17日 (土) 20:03 (UTC)[返信]

4 編集

  • (コメント)管理者解任の話は、コメント依頼の議論が十分なされた後でいいと思います。コメント依頼もやる、解任依頼もするではどっちも中途半端になってしまいます(改善するかもしれないし)。さて、上の事例を見ると、随分コミュニティ軽視した管理者だと思いました。日本語版では公式の方針ではありませんが、Wikipedia:管理者#一般の参加者とどう違うのかにはプロジェクトの運営についても、それほど特別な存在ではありません。ウィキペディアがどうあるべきか、どんなポリシーが採用されるべきか、などについても、一般の参加者の人の意見よりも管理者の意見の方が重要だということはありません。とあり、管理者は特別扱いされていません。にも関わらず、コミュニティを軽視し、独善的に管理者権限を行使していることを大変遺憾に思います。幼稚なユーザの追放に勤しむのは結構ですが、ユーザに暴言吐いたりLoniceraさん自身、WP:NOTウィキペディアは戦いの場ではありませんに反していると思います(相手が招かれざる客であっても)。ブロックしたユーザに対して方針熟読、方針熟読と叫ばれる前に、一度あなた自身基本方針の熟読をしたほうがいいと思います。P.S.Wikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用の厳しすぎる運用や独自の投稿ブロックについて色々書きたかったのですが、長くなるのでやめときます。--Monaneko 2008年4月29日 (火) 04:59 (UTC)[返信]

5 編集

  • (コメント)この依頼に疑問を感じます。まず「来年は(エイプリルフールに)ジョーク項目を立てた人間をブロックします」という予告に対して問題視していますが、もともと虚偽の記事を立てること自体荒らし行為であり、それに対して文書という形で警告しているのは逆に良いと思います(頭の悪い低レベルな人間にはそれぐらい言わないと分からないということ)。また暴言に関しても、依頼者様もそれなりにされているようですし、許容範囲内であると考えます。管理権限の行使も、問題はないし疑問に感じた事もありません。ある程度の臨機応変な対応というのは必要だと考えます。
    それ以上に、ここ最近のコメント依頼の乱立こそ問題だと思う。--Kc1477 2008年4月29日 (火) 08:40 (UTC)[返信]
  • (コメント)エイプリルフールに嘘記事を書くことはある意味伝統となっています(Wikipedia:削除された悪ふざけとナンセンス)。悪しき伝統だとそれを中止させたければ、「来年からはエイプリルフール記事はなしだ」いうことを提案し合意を得るべきです。管理者と一般ユーザは方針作成について等しく扱われるので、管理者権限行使を振りかざして方針を自分の有利な方に持っていくのは管理者権限の乱用です。管理者が勝手に掲載基準を決めてはいけませんし、管理者権限は脅しの道具でもありません。--Monaneko 2008年4月29日 (火) 10:21 (UTC)[返信]
  • (コメント)何を勘違いされているのですか。ある意味とはどのような意味なのでしょうか?貴方のような勝手な解釈をするから、管理者が苦労するのです。
    またエイプリルフールの偽記事作成に関して何の方針があるのですか?あなたの指摘したものは方針でも、何でもありません。そもそも虚偽の記事を作成する事自体が違法であることから、Loniceraさんの発言は全く問題ない。
    それよりも、方針無理解をあからさまにした上、分けの分からない発言を太字で強調してくるようなユーザーが平気で活動している事や、伝統だからといって虚偽の記事を作成するような輩の方が、よっぽど問題です。--Kc1477 2008年4月29日 (火) 11:12 (UTC)[返信]
  • Wikipediaでは、方針は参加者が合議で決めるものです。エイプリルフールのジョーク記事をどうするかも、参加者が決めます。「許すべきではない」という意見もあれば「やってもいい」という意見もあり、その点については合意が形成されていません(参考)。また、「許すべきではない」とした場合にも何をジョークと受け止めるかという部分でボーダーケースが山のように出てくるでしょう。あなたが「エイプリルフールのジョーク記事など許すべきではない」と考えたとしても、それはあなたの考えであり、現時点ではあなたの考えにすぎないものなのであって、Wikipediaの方針ではありません。
    でだ。「エイプリルフールのジョーク記事など許すべきではない」と思いその実現を志すのならば、そういう問題提起をし、議論を通じて合意を形成するという手続きを踏まなければなりません。
    ことは、エイプリルフール記事のことだけではなく、他のことについても同様です。何かをやりたいのならば、一般ユーザであろうが管理者であろうが、問題を提起し議論を通じて合意形成をはからなければならない。なぜその手順を踏まず、勝手に方針を策定し、管理権限を行使するなどと言えるのだろうか。それは管理者として(あるいは、Wikipediaのユーザとして)正しい姿勢なのだろうか。おれはそういう指摘をしているのです。ある「独断で宣言された方針」が、たまたま今回はあなたの考えと一致していたから、今は支持を表明しているのだと思う。しかし、たまたま一致しなかったときには、あなたはどうするのでしょうか。--Nekosuki600 2008年4月29日 (火) 11:28 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:ウィキペディアは何でないかに「嘘を並べる場所ではありません」とある通り、現状の方針ではエイプリルフールは認められていないと解釈できます。Loniceraさんもそのように解釈していれば、何の問題もないといえます。そもそも現状では、エイプリルフールは認められていないわけでもなければ認められているわけでもありません。しかもそれは公式な方針として運用されているものでもありません。
    少なくとも認めない方向の公式な方針がある限りはすべきではありません。
    そもそもたまたま一致とかそういう問題で考えるなら、貴方はたまたま一致しなかっただけでしょう(少なくとも私はそのような考えは持ちませんが)。--Kc1477 2008年4月29日 (火) 11:48 (UTC)[返信]
  • あなたの考えはわかりましたが、そう思うのならば井戸端あたりで問題提起をし、コミュニティの意思を確認する手間をかけるべきでしょう。ことが、あなたが思っているほどシンプルなものであるのならば、簡単に合意は形成できるはずです。Lonicera氏と同時にあなたにも言っておきたいことがあります。「Wikipediaでは合意形成にかける手間を省いてはいけません」ということです。--Nekosuki600 2008年4月29日 (火) 12:07 (UTC)[返信]
  • 一点だけ。ある意味というのは「慣習的に」という意味です。慣習的に認められているもの変えたいなら、まず議論で解決すべきです。権力で相手に圧力かけてはいけません。--Monaneko 2008年4月29日 (火) 11:38 (UTC)[返信]

コミュニティからの勧告を無視した件 編集

  • いろいろとこう、これはまずいのではないかと思うことは多いのですが、今回はそのうちのひとつ、#問題があると考えられることの中の「コミュニティの意思の軽視 (1)」について書こうと思います。
    これは、Lonicera氏が一週間を越える裁量ブロックを連発し、管理基準では裁量ブロックは一週間までとなっていることからその基準の逸脱に該当するものであり、それはまずいんじゃないかという指摘をしたというものです。Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20071029で議論が行われ、当該コメント依頼の末尾にまとめてありますが「原則として一週間以上の裁量ブロックは認められない。裁量で一週間以上のブロックをかけた場合には追認依頼を出すこと(大意)」というコミュニティの意思が確認されました。この結果は、Lonicera氏の会話ページに通知してあります。
    このコミュニティとしての意思確認について、Lonicera氏からは全く返答がありませんでした。コミュニティは「黙殺された」というかたちになっています。しかしまあ、もともと対話拒否傾向が強く、またプライドも高そうであり、返事がなくてもその後の管理作業の上で示されたコミュニティの意思を尊重してくれればそれでいいやと思って、様子見をすることにしました。今にして思えば、あのときいやがられようがなんだろうが、きっちり「わかりました」の一言を言わせておくべきだったのかもしれません。
    しかしながらその後、ふたたび一週間以上の裁量ブロックが行われ、一週間を越える部分への追認依頼も出されないという状況が出てきてしまいました。これはつまり、Lonicera氏は、「管理者としての権限行使に関して、コミュニティから出された要求を、無視する」という姿勢を明らかにしたものだと考えざるを得ません。
    確かにまぁ、合意形成だのなんだのはめんどくさいものです。しかしWikipediaは、WIKIというシステムを用いていることもそうですし、ジンボ・ウェールズ氏の思想もそうなんですが、基本的にはそのめんどくさい合意形成をすることを標準的手続きとして採用しているわけです。ある程度の効率の悪さあたりはもう覚悟の上で、その非効率さや不合理な部分もひっくるめて受け止めないと、Wikipediaを使いこなせないんじゃないだろうか。Lonicera氏は、おそらく「早く完成度の高い百科事典を作りたい」といった感覚があるのだろうと思うけれども、そういう性急な欲求ゆえに「合意形成」などのWikipediaの哲学をないがしろにされたらかなわないわけですよ。そこで独断専行で突っ走るのは、「Wikipediaらしくない振る舞い」であると、わたしは思うのです。
    なにはともあれそこは直してもらわないことにはこれ以上管理権限を預けておけない、というのがおれの危機感だし、このコメント依頼もそういう視点から出した次第です。では、引き続き議論をよろしくお願い申し上げます。--Nekosuki600 2008年4月29日 (火) 11:49 (UTC)[返信]

他の参加者に敬意を払っていない 編集

  • (コメント)私は、Wikipedia:基本方針とガイドライン#基本的な方針の1つである「他の参加者に敬意を払う」を遵守できないという理由で、Loniceraさんは管理者解任すべきだと考えます。もしLoniceraさんが管理者として今までのような行動や発言を続けるとしたら、Wikipedia日本語版においては「他の参加者に敬意を払う」という基本方針は有名無実化してしまい、今後のプロジェクト運用に大きな悪影響を与えてしまうと考えます。
    Loniceraさんの精力的な活動は、Wikipediaを悪意のあるユーザーから守る役目を果たしているのかもしれません。しかし、まっとうなユーザーをWikipediaから遠ざける結果も招いていないでしょうか。少なくとも私は、Loniceraさんが今までのような姿勢で管理者を続ける限り、周囲の人たちにWikipediaの編集参加を勧める気にはなりません。また、Loniceraさんは「過ちを犯したユーザー」を「悪意のあるユーザー」に育て上げている一面もあるように思います。j8takagi 2008年4月29日 (火) 13:56 (UTC)[返信]
オフトピですが・・・私の部分に関していえば、新幹線さんに適切なタイトルを付けていただき、うれしかったです。というわけで、タイトルを復帰させました(ちょっと変えましたが)。にしてもノートページ、もっと使いやすくしたいものですね・・・今回はNekosuki600さんのご尽力もあって普段よりはだいぶ快適に議論できているわけですが(←あくまでシステム上の話)・・・j8takagi 2008年5月2日 (金) 13:47 (UTC)[返信]
  • あまりに酷い例1;
  • (コメント)以前失敗した利用者に対し「前科」扱いをする。誰でも判断ミスや失敗をするものであり、それを正しい方向へ導くのではなく「前科があるあなたがやるべきことではない」と一方的に押付ける行為は多いに問題があると考えます。--ZERBERUS 2008年5月3日 (土) 15:01 (UTC)[返信]
  • これも、ひどかったよなぁ。「他の参加者に敬意を払っていない」ってだけじゃなくて、「ブロックは処罰ではない」という原則をちからいっぱい否定してるもんな。ま、ブロックが処罰であるかないかはいろいろ意見がおありでしょうが、「ブロックを、処罰だとは思わないで下さい」「ブロックされたからといって、処罰されたとは思わないで下さい」というのは、ブロックをめぐる軋轢をどう抑制しようかというあたりの知恵であり、苦渋の言明であったりするわけでしょ。これは「Wikipediaの方針への無理解」であり、けっこう絶望的な状況だと思ったりもします。思うのは勝手だが口に出して良いことと悪いことがあるだろうって感じ。--Nekosuki600 2008年5月4日 (日) 12:08 (UTC)[返信]

プライバシー案件と転載案件が起きた記事への半保護 編集

  • (コメント)Loniceraさんは「プライバシー案件が起きたため」「転載案件が起きたため」といった理由で記事を半保護することがありますが(例:デーモン小暮閣下)、大抵は1回転載されたりプライバシー案件が起きたりする程度でしつこくこのような行為がされていない記事であり、Wikipedia:半保護の方針で定義されている「深刻な荒らしに遭っているページ」とは思えません。このような行為も管理者権限の濫用と思われるのですがどうでしょうか?--新幹線 2008年4月29日 (火) 14:24 (UTC)[返信]
    • (コメント)1回限りだったとしても緊急特定版削除となるような案件(プライバシー案件)の場合は特に必要な行為であると思います。こうした半保護については他の管理者による対処にも見られ特別問題視することではないと思います。転載案件ですとすぐ具体例が思い浮かびませんが、下手をすると巻き添えでその後の多くの版(1年以上の場合も)が巻き込まれて削除されることを考えると半保護の対処がされても差し支えないと考えます。--Tiyoringo 2008年4月29日 (火) 14:30 (UTC)[返信]
      • (コメント)分かりました。半保護しなければ問題が解決しないわけでもないのになぜ半保護する必要があるのかと思っていたのですが、「二度とこのようなことがおきてはいけない」という意思での半保護ではないかということでしょうか?他の管理者による対処でも見られるようですので、このような考え方はウィキペディアでは一般的な考え方であるということを理解しました。--新幹線 2008年5月1日 (木) 12:20 (UTC)[返信]
    • (コメント)最近ほかの場所でも書きましたが、「プライバシー侵害」や「著作権侵害」を「深刻」ではないと捉える方というのは、遵法意識が低いのではないでしょうか?Wikipediaの各種方針の中には、よく読み込まないと分かりにくいものも多く複雑な構成になっていますので、方針への無理解が即悪意のある荒らしとは言い切れないことは確かですが、特に著作権侵害のように日本の法律で違法としている行為に関しての無理解から違法との認識がないまま犯罪を犯した者への対処は厳正であるべきだと思います。--ろう(Law soma) D C 2008年4月29日 (火) 16:23 (UTC)--ろう(Law soma) D C 2008年4月30日 (水) 00:26 (UTC)下線部追加[返信]

9 編集

  • (コメント)前回、解任投票の際に保留意見を付けた者です。Loniceraさんの対処件数は群を抜いて多く、管理者が10名そこら増えたところで補えようがなく、解任した場合の損害が大きいというのは分かります。しかし、ここのところの行為は幾らなんでも基準から逸脱し、コミュニティの意向を反映していないように思います。かといって、解任するにはあまりにも損失が大きすぎます。
    今は解任投票よりもまず短期のブロック(2週間以上・2ヵ月半以内)を掛けることを検討した方がいいかと思います。前回の解任投票の際に反対とした方の中にも、ブロック依頼が先ではないかという意見が少なからずありました。なので、まずは短期のブロックを掛け、それでも改善しないときに解任を検討するのが適当ではないかと思います。--↑PON(ウエポン) 2008年4月29日 (火) 16:17 (UTC)[返信]

10 編集

  • 管理者は権限を持っていても決定力は無いってどっかに書いていたような・・・。コミュニティの合意を軽視、あるいは無視をし続けて、問いかけには「無回答も回答の一種だもんね」なんて居直ってなーんにも改善解決しないわで、何か改善を要望しようものなら「俺より上手にできるわけなの?できねーなら吠えてんじゃねーよ」。解任しろ!だとかは言わないけど、WP:KIDを含む各種方針を声に出して1000万回ほど読む時間をあげたほうがいいんじゃないかなぁ。――突撃ひとり(利用者/会話/履歴 2008年4月30日 (水) 00:30 (UTC)[返信]

反対票しかはいっていない保護依頼を白紙保護したことの是非 編集

  • パート2。今回は「コミュニティの意思の軽視 (2)」に関して。
    いろいろな依頼案件があります。票が割れることは普通にあって、Wikpediaでは単純多数決で意思を決定するわけではありませんから、割れたときには判断がいろいろ微妙なことになります。これはまあ、しょうがない。しかしだ。上記事例で出したものは、依頼者はいるにせよ(ま、IPユーザなわけだが)、投票は2件ついており、いずれも保護には反対するというものなわけです。これは「判断が割れている」という状況とは言えないだろうし、コミュニティの意思はそれなりにはっきりしているのじゃないだろうか。
    この状況で、削除して白紙保護をかけるという強権発動が是認されるものなのだろうか。おれは、それは無理だと思う。
    これは、票が割れたといったケースでの難しい判断ではないわけです。保護申請はあったものの同意するユーザはいなかった(不同意の表明は、前述の通り2件)。保護は却下が相当のケースでしょう。それを、保護するだけではなく、削除しての白紙保護にするというのは、コミュニティの意思を無視したものと言うよりほかはないだろう。
    さらに問題なのは、問題解決の方法が全く見えないことですね。説明を求めてもまあちゃんとした説明が返ってくることはありません。対話を拒否されちゃったら、Wikipedia的には手詰まりという以外に言いようがないのだよなあ。--Nekosuki600 2008年5月1日 (木) 03:42 (UTC)[返信]
  • (コメント)Wikipedia:保護の方針/仮運用には、一応「その効力についてはすでに方針化されているものと何ら変わりはありません」とあり、また「以下の方針に例示された行為の見られる記事は、利用者によって保護依頼が提出され、また管理者は保護をかけてもよいものとします」とあります。また、Wikipedia:保護依頼には、「保護依頼に対しては、管理者が保護の方針または半保護の方針に基づき、保護するかしないかを判断します」、「投票やコメントは、管理者が判断するときの参考になります」とあります。つまりは管理者が方針或いは仮運用方針に照らして保護すべきと判断した場合には保護できるということです。勿論管理者により「参考」のウェイトは異なると思いますが、上記事例では依頼もあり(依頼者票とは書いてありませんが1対2で判断が割れているとも解釈できます)現状の方針では上記状況で保護を掛けたLoniceraさんの行為自体には問題なしとしか言えません。その判断に対する疑義はWikipedia:保護解除依頼で行うことになりますが、こちらも「管理者は依頼に対し、保護の方針・半保護の方針に則って解除を行うかどうかを決めてください」、「依頼につけられたコメントも参考にしてください」とあります。まあ保護を掛けた管理者以外の管理者が対応すべきだとは思いますが。ちなみに保護ではありませんが削除に関して私は削除意見しか出ていない案件を存続にしたことがあります()。過去に著作権侵害でないことが判明したことがノートに記録されていたというレア・ケースですが。--ろう(Law soma) D C 2008年5月1日 (木) 07:23 (UTC)[返信]
  • ま、これはボーダーケースだとは言えるかもしれませんけどね。今回のケースで言えば、保護反対の意見表明がつく前に保護してしまっていれば問題は顕在化しなかったとも言えるわけですが。
    なんていうかこう、悪い冗談のような気がしてならないんですが、「性急な編集」に対して「性急な保護」で応じるのってどうなんでしょうか。当該ケースでは保護に対して明確に反対する意見が2件ついており、編集合戦などが起きていたわけでもないらしい。となりますと、「意見が割れている」「意見がまとまるまで待つ・放置する」といった選択肢も、当然にあるだろうと思うわけです。
    たとえば削除の場合、極端に削除に偏った管理者がたったひとりでもいて性急に削除決定を下したならば(他管理者が「存続」と宣言をする前に削除決定をしてしまえば)、削除されてしまいます。保護の場合も、極端に保護に偏った管理者がたったひとりでもいて性急に保護決定を下したならば、保護されてしまいます。中庸から逸脱した性急な管理を行うという方法論は慎重でなければならないでしょう。
    繰り返しておきますが、この「性急な編集に性急な保護で応じる」といった状況は、悪い冗談でしかありません。なんか近親憎悪に基づく戦いに巻き込まれているような気がする。--Nekosuki600 2008年5月1日 (木) 08:08 (UTC)[返信]
  • ろう氏の言い分のように「字面どおりに」「杓子定規に」保護を適用しなければ、仮運用に疑義を提出することはなかったんですけどね。「○○できる」と書かれているからといって、何でもかんでも適用すればいいものではありません。以降はWikipedia‐ノート:保護の方針/仮運用でやりますが、前段を激しく主張するようなユーザがいる場合は仮運用の正式化には徹底的に抵抗します。--Goki 2008年5月1日 (木) 16:11 (UTC)[返信]
  • 速報記事とかで保護が必要であるというのは良くわかるのだが白紙にしなけれ駄目であるというのが判らない。私も近親憎悪にしか見えない。また参加者が記事のレベルによっては保護されるのかというのも理解できるはずなので、逆に作成された記事は必須ではないんでしょうかね。特にLonicera氏は近親憎悪で白紙保護を行っている事が目立ちませんかね。--はやたま 2008年5月3日 (土) 14:18 (UTC)[返信]

12 編集

  • (コメント)Loniceraさんの管理者信任投票では賛否が分かれ、決着に時間がかかりました。私はあのときLoniceraさんの率直で悪びれない態度を素晴らしいと思ったのですが、残念ながら、いまはそうでないようです。一週間を越える裁量ブロックについて追認依頼を出す、というのはそもそも原則ですが、Loniceraさんはこれを守らず、管理権限の濫用としてコメント依頼に至りました。コメント依頼でこのことが再確認され、勧告を受けたにもかかわらず、再び原則を犯したことは重い。エイプリルフールに関する威嚇も同質のもので、投稿ブロックはウィキペディアの管理権限のなかでもプロジェクトの根幹に関わる重いものであるにもかかわらず、これを無原則に振り回している点で、私としては、方針無理解につき3ヶ月間のブロック及び管理者の自動退任適用がふさわしいと考えます。
    1. その他の点にもいくつか触れておきます。まず、利用者の会話ページへのLoniceraさんの書き込みには、相手の理解を求めるのでなく、ウィキペディアのルールを何遍音読せよとかという挑発的な命令口調がしばしば見受けられます。そのご当人であれば、人からいわれなくてもブロックの原則及び当該コメント依頼の内容理解のために、3ヶ月のブロックにすすんで協力いただけるでしょう。
    2. また、ご自分の行為について意見された場合、相手が自分より実績がない(それが事実かどうかは別)として非難し、聞く耳持たないという態度をしばしばとっておられます。利用者‐会話:Lonicera#休みませんか?でのBellcricketさんに対する態度や、同じく利用者‐会話:Lonicera#利用者:西さんの会話ページについてでのNekosuki600さんへの態度が代表的です。上記命令口調と合わせ、Wikipedia:ウィキケットの無理解が見られるため、(何回とはいいませんが)しっかりお読みいただきたい。
    3. Loniceraさんが管理行為に精力的に取り組んでおられることを認めるにやぶさかではありません。それだけに、上記のことはなおさら残念です。しかし、辞められると他の管理者に負担がかかるというのは、おかしな理屈です。それでは管理者はだれも辞められないし、辞めさせられないことになります。Loniceraさんにやり直す気があれば、反省点を明らかにしてもう一度管理者に立候補されるでしょう。私はその方がよいと思っています。--みっち 2008年5月1日 (木) 10:26 (UTC)[返信]

13 編集

  • (コメント)長いです。必要ならサブページ化なりなんなりと。最近加筆された例示では、触れていないものもあります。
    • まず、ぼくは未熟な編集をする編集者馬鹿に対して批判的な言辞を投げかけることは、どういう理由で適切ではないかを示した上でならば必要な行為であると捉えています。ただし、たとえば「馬鹿」という言葉を選ぶかどうかというところは、当然考えられるべきであり、多くの場合に「馬鹿」と言ってしまう事はよき結果を得ないと思いますが、馬鹿という判断の根拠を示し、その判断に一定の合理性があるならば、つまり根拠のない罵倒や決め付けでなければ、その表現のまずさというのは認容するという考えです。もちろん、よりよい表現ができるという人もいるでしょうけれど、その水準にないことを糾弾するつもりはありません。Wikipedia:個人攻撃はしない#個人攻撃の例や、「無意味なページを書くんなら、せめて誤字脱字の確認くらいしてくれませんか?」と言うことではなく「“大きなお世話。”とあなたが返事する時」の礼儀を求めているWikipedia:礼儀を忘れない#例も参照してみてください。また、Wikipedia:新規参加者を苛めないでくださいが示す新規参加者の像とは、「記事を編集すること、特に中立的な観点に関わる記事の編集や記事名の変更などの大がかりなことには、ウィキペディアにダメージを与えないかと心配してためらいがち」で、「ウィキペディアの役に立ちたいと思っているはず」で、編集の習慣を「知りたくないと思っているわけでは」ない人たちであることも確認しておきます。未熟な編集者を叩きだすことは適切ではなく、また注意する際の表現には配慮があるべきですが、同時に未熟な編集者は(すべての参加者は未熟であるわけですが)、未熟であることを自覚し、よりよい振る舞いができるよう成長する意思を持つことが望まれます。
    • ノートで擁護と言われたので、言い訳しておくと、別にLoniceraさん個人の擁護をするつもりはない。Loniceraさんの振る舞いのなかで、それほど問題でもないと思っている部分を擁護するかもしれないけれど、それはNekosuki600さんやGokiさんとも共通する部分もあるんじゃないかと思っています。また、今回に限らず過去のブロック依頼やコメント依頼でも、ぼくは被依頼者側の考えを重視し、その上でなお大きな問題となるかどうかを判断してきましたし、結果として「甘い」あるいは「擁護」的な意見を出していることが多いと思っています。
    • 以下で述べることには、ぼく自身が最善だと思っていること、ウィキペディア参加者がするべきだと思っていること、という観点ではなく、許容できるか、理解できるか、といった観点から述べているものが多いです。あるいは、大きな問題があるかどうかという観点から考えているもので、よりよい選択肢はあるでしょうし、Loniceraさんと対峙した側により大きな責任があるということを示すものではありません。
    • 多くの管理作業をこなしているということは、特に考慮しません。同時に、今の振る舞いが管理者の作業を増やしているかどうかも考えません。
    • 長文耐性のある方は、ノートの「前回の解任反対意見について」の節も参照ください。
ここで指摘されている案件について 編集
  • 対話拒否
「対話拒否」というのは何かと言うのは、昔から議論になっていたようです。合理的ではない「対話拒絶」の意思表明は、「対話拒否」でしょう。回答が必要な状況で回答が求められ、回答せずに活動を継続している場合は、その回答が求められる要因となっていることに対して、なんらかの対処が行われるということになると思います。ブロック依頼の方針では「Wikipedianは記事の差し戻し時の要約欄による呼びかけを含めこうした議論や対話の呼びかけがあったら、基本的にそれに応じて一致点をさぐるよう努力すべき」とされていますが、対象は「一切の呼びかけに応じな」い、「議論が進行中であるにも関わらず自分の主張に沿った編集を強行する」、「編集や議論に際して他のユーザーからの質問や根拠の明示などの依頼に応ぜす、個人攻撃を行ったり話題を逸らすなどの行為を繰り返した場合」といったものとなっています。たとえば、会話ページに意見を寄せているというような場合は、それを読むことでコミュニケーションは完了しますから、それを読んで行動を改めるか改めないかというのは、対話の成立と関係なく、その意見にまつわる行動が、実際に適切かどうかという部分で判断されるべきでしょう。また、対話を求めた文面となっているとしても、その直接の回答が合理的に確認できる他所で既に述べられている場合や、コミュニティの合意による権限行使などで必ずしも求められた参加者が回答する義務がない場合もあるでしょう。
「『無回答』は回答の一つの形態です」というLoniceraさんの発言は、とある管理者信任投票時のコメントに対して慎むように、やめてくださいという意見が集まるなかでの発言でした。まず、一ユーザとして信任投票の際にいくらか強い意見を述べること自体は、排除すべきではないでしょう。このコメントは確かに厳しいものですが、立候補時における履歴およびそれを踏まえて立候補するという行為に対する判断として一ユーザが表明する意見として妥当ではないとまではいえないと思います。これに対して、厳しすぎるという意見を寄せることもあってしかるべきですが、意見を寄せるに留まるのであれば、つまり、答えなければならないなにかが不在のままであるならば、それは対話を喚起するものではなく、返答がないことをもって対話拒否だと判断するのは早計でしょう。
これに対して、例に挙げられているLoniceraさんのコメントは、返答が必要な状況下で、対話を喚起しているものです。例1例2は、履歴からブロック逃れのアカウントと予想された利用者への問いかけでソックパペットとして無期限ブロックであり、対話を強く求めることに問題があるとは思いませんでした。例3・例4については同一の項目に拘泥する利用者で会話ページでの対話がない、または成立していないない事例であり、いわゆるスピード違反の論理を持ち出したところで、これを追求するものとして対話を求めているということでは、その論理を全うするために求めに応じるか、非を認めるかということになるでしょう。ここで対話に応じないことは「対話拒否」と判断されるべきものだと考えます。
  • コミュニティの意思の軽視 (1)
初回から改善がなく権利侵害を継続する利用者への複数回目の裁量ブロックであり、先行する合意を踏まえても追認が必要な事例だとは感じませんでした。合意形成の際にも本コメント依頼提出者に確認しており(以下を参照)、そこで指摘されているような無期限ブロックを提出するほうが裁量ブロックと比べて明らかに適切であるという案件だとも思いません。この指摘は取り下げるべきものと考えます。
少なくともコミュニティを疲弊させるユーザーや方針の熟読を理由とする場合で最初のブロックについては(2の第1文)に同意します。明確な荒らしや利用者名が理由だったり、単純な悪戯などで過去にブロックされていて、解除後も繰り返している場合の2回目以降のブロックまでは、必ずしも「強く推奨される」の対象に含まれないということでよいですか。--Ks aka 98 2007年11月14日 (水) 15:37 (UTC)
とりあえず、初回の裁量ブロックを念頭においています。ただま、二回目以降も暴れるようなら、改めて無期限ブロック依頼を出して(banが正式化されたらbanして)、お引取りいただくのがスジだとも思います。--Nekosuki600 2007年11月14日 (水) 15:54 (UTC)
  • コミュニティの意思の軽視 (2)
保護依頼を確認しての保護なのかどうかがちょっとわかりませんけれど。比較的恣意的な権限行使が可能な保護に関してはこうした依頼の場での意見の蓄積から落としどころを探るべきであり、このような形での対処は慎むべきであると思いました。また、この件については、項目を立てた利用者への説明・誘導がないことも気になりました。
他方、現状ではこの時期にこの項目を白紙保護することで大きな問題が生じるものではなく、保護せずに編集が行われないか、保護して編集を行う事が技術的に不可能になるかという違いしかないのではないかと思えるところもあり、管理者として解除しようと思うものではありません。性急な編集については、なお議論が続いていますが、その項目を適正に編集できるということを示すことで保護解除も可能であり、また、それによって性急な保護を抑制できるのではないかとも思います。
  • 独自の管理基準
定期削除の導入というよりは、著名性に関する情報源が示されていない項目の扱いと捉えられる事例だと思います。英語版では即時削除の対象となっており、日本語版でも導入が検討され、最終的には即時ではない削除対象と位置づけられたという経緯があります。詳細はこちら。その後、凍結され、文面は除去されました。
例示されている"E"qual、THE BOOGIE JACKについては、明らかに著名であり百科事典の項目として存在するべきであるというものではなく、特筆性の方針での議論などを踏まえても、当時の記述で、当然存続となるべきものかと問われると、疑念が生じます。実際には、いずれも大手とされるレコード会社からのリリースがあるという著名性はありますが、猶予期間を置くことで存続させるために情報源を示すことも可能ですし、比較的容易に発売元は見つかりますから、そのように対応がなされることを期待したいです。ただし、即時削除での対処は、「合意を得ていない」削除基準であり、以後は、削除依頼を提出していただくということで。
  • 削除に反対投票をしたユーザへの恫喝行為
依頼のコメントや会話ページにおいて個人的な意見を述べることに問題はないと考えます。
◆「事例1(削除依頼)」での発言は依頼者によるコメントであり、特筆性や検証可能性の理解においても方針から逸脱するものではありません。◆「事例2(相手方ノート)」での発言は、恫喝と受け取られる面もありますが、「しっかりと覚えて」おかれたところで、粗製濫造された単発ドラマの項目のすべてに対処する義務は発生しませんし、その発言直後の対話では丁寧な話ぶりをみると、「そういった現況を踏まえた上で」どうするかという意見の食い違いからくる荒っぽいやり取りということなのかなとも思います。もちろん、好ましい表現ではないですけれど。◆「事例3(相手方ノート)」Loniceraさんが提出した削除依頼で立項者が「調査不足」として賛成票を投じたもにに対して会話ページにコメントしたところ、立項者が「個人攻撃」と指摘したものです。2008年2月2日から4月22日にかけては特筆性が検証可能でない記事は削除対象となっており、依頼者が「調査」をする必要はなく、特筆性を示す加筆を求めることは「自分の意見」ではありませんでした。会話ページのコメントにある「藁谷ショウコ」の件では加筆なく即時削除タグ剥離が行われ、即時削除タグを貼ったLoniceraさんから注意と問いかけを受けていますが、いくらかの加筆の試みの後にLoniceraさん以外の管理者に削除されています。
  • 自己関与問題への管理権限行使
方針などで明示されていないものですが、これはよくない。まずは保護の方針まわりで明文化じゃないかな。また、気づいたら異議を唱えるようお願いします。
  • 合意なき管理権限行使の予告
お遊び的な慣習に対する考え方の相違だと思いますが、慣習として存在している以上、権限行使の際に発言するのは適切ではないでしょう。とはいえ、WP:NOTにそぐわないのは確かですから、宣言なく虚偽の記述として即時削除があったとしても、ブロックや解任の対象となるようなものでもないと思います。無粋であっても成文化するといったことでよいのではないかと思いました。
  • 特定項目の保護に関しての問題
無期限の保護が問題とされていますが、保護を問題視している発言はノートには見られず、「「一回毎の放送内容を記述しない」という明確なローカルルールを制定して下さい。」という解除への道も示してありますし、実際にノートの議論参加者はローカルルール制定に動き出しています。
苦言とはParanoia 2008年4月22日 (火) 12:15 (UTC)「Lonicera氏の「その程度の内容しか編集しない(できない)」でwikipedia初心者やデータベースサイト・まとめサイトの作成者を馬鹿にした様な発言」を指し、「発言」とは「ウィキペディアはファンサイトでもなければ、2ちゃんねるなどの実況用掲示板でもなければ、放送された内容のまとめサイトでもありません。「書きたいから書く」というだけで無意味に版が増大することは異常な事態であり避ける必要があります。また、その程度の内容しか編集しない(できない)利用者は不要です」を指すと思われますが、「データベースサイト・まとめサイトの作成者」が、「データベースサイト・まとめサイト」を作成することを馬鹿にはしておらず、それをそのままウィキペディアに持ち込んで是とすることを馬鹿にしているのであり、初心者かどうかに拠らずウィキペディアが百科事典であるということを踏まえてなお「その程度の内容しか編集しない(できない)利用者」が「不要」としているのであって、ウィキペディアが百科事典でありどのような編集が望まれるかということを理解していない「初心者」が「不要」としているのではないです。これらが「暴言」であるとは思いません。
  • 各種依頼の終了における暴言
    • 例1;Wikipedia:削除依頼/コイワカメラ
    • 例2;Wikipedia:削除依頼/南京事件 (1937年)
    • 例3;Wikipedia:投稿ブロック依頼/Harpoon 追認
    • 例4;Wikipedia:削除依頼/24時間あたためますか?〜疾風怒涛コンビニ伝〜
全体に、「個人的な意見表明」と言えるほどのものがあるというかどうかは疑問です。審議の過程で問題があったならば「特定のユーザなどを強く非難する」ことはあるし、特に対象を限定しているわけではないですから「自らが強い意見を持つケース」とはいえないでしょう。◆例1は「名前だけ聞くとカメラ屋とかそういうものが思い浮かんできますね」についてのコメントを求められているのだとすれば、目くじら立てるほどのものとは思いません。◆例2は、「愚にもつかない自分基準の屁理屈を垂れ流して」いるのは事実ですが、表現は過度に挑発的。かっこ内の例示は蛇足。「今後もこのユーザの編集履歴には極めて厳しい監視の目が注がれるべきです」は、「べき」というほどでもないでしょう。自ら監視の目を注ぐことの表明あるいは協力要請であれば許容範囲とも思いますが、依頼を閉じる場で表明や協力要請をすることにそれほど意味があるとも思いません。「監視」という表現については例3も同様。「jawpはプロパガンダを展開する場ではありませんし、それに類似した行動をとるユーザを許容することがあってはなりません」は正しいと思いますが、ここで示す必要はない。◆例3:「頓珍漢な」「奇怪」というのは不適切。名前を挙げている「両者」についてはここではなく両者の会話ページなどで指摘するべき。「被依頼者の履歴を精査」は、望まれるけれど義務ではない。◆例4:ま、気持ちはわかるけど、この場で用いるべき表現ではない。
  • Mizusumashiさんによるクローズ時の発言の例示
◆Wikipedia:削除依頼/陽子 (人名) :審議の経緯を見ると、「こんなところで項目の存廃そのものと関係のない話をぐだぐだと牛のよだれのように垂れ流す」ような面があることは否めず、審議を閉じる際にこれを指摘することが適切ではないとは思いませんでした。表現として「ぐだぐだと牛のよだれのように垂れ流す」という部分は挑発的であると思います。◆Wikipedia:削除依頼/沈海寅と翁永飆:依頼案件の性質や各アカウントの履歴などを見る限り、列挙されたアカウントは「ほぼ全員が宣伝目的のアカウントと考えてよいでしょう」と述べることに問題はないと思います。◆Wikipedia:投稿ブロック依頼/MIK:輪宝スダルサナさんの発言は当時の審議や対話の中では本コメント依頼ノートにある「1」であると受け取られていることは利用者‐会話:五時まで男でのアイザールさんの発言からもわかります。「1」としてしか理解できなかったことは批判できませんし、「1」の理解においては、「管理者さんたちも信頼を取り戻されたみたいですし、あとは若い者に任せましょう。」という発言は不可解であり、「管理者さんたち」の一人としては信頼を取り戻していないことを表明することはあってもよいことだと考えます。Mizusumashiさんが例示する「利用者:輪宝スダルサナ(会話 / 履歴 / ログ)なるユーザにとっては、私の信頼など、どうでもいいことかもしれませんがね」という発言は、表現が適切ではないという部分はありますが、公正さを欠き、管理者権限の濫用だとまでは思いませんでした。
例示されているものは、発言の場の選択として、および表現として不適切なものはあるものの、公正さを欠き、管理者権限の濫用だとまでは思いませんでした。発言の場の選択の不適が権限濫用という指摘は理解しますが、案件に対する補足や文脈の解説、注意喚起の域を超え、現に発言を封じる効果を企図していたり、意図せずともそのような結果になったというものではないと思いました。
Mizusumashiさんの抗議については、意見を伝えているに留まるものであって、応答がないことは問題とならないでしょう。Nekosuki600さんの「勧告を受け入れないのならば受け入れないとはっきり言えばいい。勧告を受け入れるのならば、守ればいい」という考えは理解できますし、自分がそのように振舞うこと、他者にそのように振舞うことを勧めることは望まれることですが、そのようにしなければならないというものではないと思います。
全体に 編集
全体の傾向から推測されるのは、Loniceraさんの百科事典観がウィキペディア日本語版の実態と比較して保守的であり参加意識としても百科事典の編集という面を求めていることがあります。しばしばWP:NOTを根拠として持ち出すこと、ここに挙げられている事例のほとんどが楽曲アニメ漫画テレビなどの項目およびそれらを編集する利用者に関係していることからも、それは察する事ができますが、過度に保守的だというほどではなく、日本語版の実態が(紙ではないとしても)百科事典としての枠を逸脱しているという面もあると感じています。
Loniceraさんの対処は、基本的な方向性として、間違っているとは思いません。結果としてウィキペディアを「百科事典」として発展させる方向に参加者の意識を含めてどうやってもっていくか、ということを考え、厳しい態度で臨むという立場を取るならば、ありうる方法ではあるでしょう。
権限行使に際して、明らかな方針の無視はそれほどないように思います。今回は提示されていませんが、以前のコメント依頼で示されていた特定版削除の版の選択においても、いちおうの合理性は見られる裁量による対処を、手続き論として、まったく認めないか、ある程度は許容しうるかという話であって、議論を呼ぶものではあるとしても対処自体が間違った方向に向かうものではなかったと思います。
そうしたなかで、手続き論として、対話する上での表現として、また論拠として適切ではないものも散見されます。以下は、Loniceraさんの振る舞いの中で、問題となると考えていることです。
Loniceraさんへのお願い 編集
  • 「対話拒否」として挙げられている例3および例4については、いわゆるスピード違反の論理を述べた利用者へ該当する項目の列挙を強く求めるものでした。「スピード違反の論理」は受け入れられないということを理解してもらううえで、この手法は効果が得られる様子がなく、好ましくないと考えます。例4では、その対応が利用者の反発を促した面もあると思います(ただし、それ以前に開き直り的な書き込みが見られます)。
  • 版を重ねることについては、やや厳しく他者に求めすぎているという印象を持っています。出典をつけることが求められるのは記述をする側であり、存続票をつける側ではありません。理解はできますが、それを強く求めるのであれば、あくまで個人の意見として提案するか、方針化を試みる必要があると思います。
  • Mizusumashi さん御指摘の「投稿ブロック依頼や削除依頼のクローズ時の発言」は、改めていただく必要があると感じます。明らかに管理者として発言され、反論の機会が得られないクローズ時においては、特に慎重に、加えてそれ以外の発言の中でも挑発的な表現が見られます(たとえば「牛のよだれのように垂れ流すような暇があったら」)。ここではあまり例示されていませんが、決め付けが過ぎる事例などもあるかと思います。批判的な言辞を問題視するつもりはありませんが、問題となっている点を理解してもらうことがもっとも重要であり、挑発的な言辞は多くの場合よい結果を得ることには繋がりません。その指摘によって改善されることが、もっとも望ましい結果だと思います。ウィキペディアへ参加する上で、十分な知識や心構えがない利用者に対しても、追い出す形ではなく、できるだけ未熟であることを理解してもらい、いちおうは納得の上でブロックまたは自主的なウィキブレイクということになるような配慮がほしいなとは感じますが、これは被依頼者だけでなく、ブロック依頼の場全体に感じることでもありますけれど。「ちょっとした賞賛によって、コミュニケーションが円滑になり、相手が批判を個人攻撃のように感じることも減ります。上手なやり方は、不平を賛辞の間に挟むこと、つまりあなたのコメントの最初と最後に何か前向きなことを述べることです。」(Wikipedia:ウィキケット
  • 権限行使の予告(暗示も含めて)については、恫喝的に受け取られる面もある一方、相手に、深刻な方針などに違反する行為であり、どのような結果を呼ぶかということを告知するという点で有益であるという面もあり、管理者としては扱いが難しいところだと感じています。裁量による対処が可能であり、その対象となる事が自明であるものについて、その根拠となる文書を示した上で行うということをお願いしたいと思いました。
  • 過去に適切ではない行動をした利用者が事後行った行為についての対処を過度に厳しくするという傾向があるように感じます。過去の行為を認知することは、その後の判断のなかで有用になることもあると思いますが、決め付けや予断とすることのないようお願いします。
  • 自ら対処したものへの再対処が2度みられます。方針で明記されているわけではないですが、どのような状況下であっても好ましいものではないので慎むようお願いします。

以上です。--Ks aka 98 2008年5月3日 (土) 20:12 (UTC)[返信]

第13節へのコメント 編集

なんかけっこう齟齬があるような気がするんですが。えーと、要素が多くて不用意にやると猛烈に話が錯綜しそうなので絞っていきたいと思います。

  • 「コミュニティの意思の軽視 (1)」

この件を取り上げます。

この「一週間を越える裁量ブロックが妥当だったかどうか」は論じません(というか、「あなたここで個々の内容の是非論に踏み込むつもりなんですか」という驚愕と、ちょっとたじろぐ面があったことを述べておきます。「結果として妥当だったんだからいいじゃないか」という論理でクリアできる問題は、このコメント依頼では扱われていないと思うんですよね)。

Loniceraさんは、一週間を越える裁量ブロックを連発し、管理者の行為としてコメント依頼を出され、「裁量ブロックは一週間までとする」「それを越える場合には追認依頼を出せ」という強い勧告を受けているわけです。それに対して、受け入れるとも受け入れないとも返答をせず、悪く言えば「コミュニティからの強い勧告を黙殺した」という状況があった。前提ここまで。

さて、なんらかの事情によって、一週間を越えるブロックが必要だと判断したとしましょう。その場合、「一週間を超えるブロックが相当だろうとコミュニティが判断するであろうこと」が、「一週間を越える裁量ブロックを行うこと」を、正当化するでしょうか。おれは、しないと思います。

この場合、特にLoniceraさんには「一週間を超える裁量ブロックをするんじゃない」という明確なコミュニティの意思が表明されているのですから、それでも一週間を超えるブロックが必要だと思うならそれを裁量で行うのではなく、追認依頼を出して確認することが求められるのではありませんか。「なぜそれ(=追認依頼)をしないのか」ということが問題なんですよ。なお、このケースでの追認依頼は無期限を想定したものではなく、合計二週間のブロックを想定したものです。

コミュニティは、裁量ブロックというかたちで恣意的なブロックが行われることを警戒したのですし、そのおそれが顕著な管理者であるとしてLoniceraさんに勧告をしたのです。その主旨からして、「結果として相当ならば一週間を越える裁量ブロックは正当化される」なんていう結論は導けないと、おれは思います。ここで指摘された二週間の裁量ブロックは、コミュニティの勧告に対して「従わない」という返答を、行動を通じて行ったものだと解するのが、相当ではないでしょうか。--Nekosuki600 2008年5月4日 (日) 04:13 (UTC)[返信]

「このコメント依頼では、Lonicera氏の管理者と姿勢に問題があるかどうかを検討し、問題があるとすればその洗い出しを行いたい」ということですから、「問題があるかどうか」を検討しなければなりませんし、それには個々の振る舞いについての価値判断は必要でしょう。「最終的にその振る舞いが是であるか非であるかということで合意を得る」というのは、違う話であって、そこに踏み込むつもりはありません。
振る舞いに対する判断を「是非論」とするのなら依頼時の「コミュニティの意思の軽視 (1)」もまた「是非論」ではないでしょうか。そうではなく依頼者による「判断」であり、その前提となる振る舞いに対するコメント者の判断こそが依頼されているものだと考えます。
さて、前提として、一週間を越える裁量ブロックを連発し、管理者の行為としてコメント依頼を出され、「裁量ブロックは一週間までとする」「それを越える場合には追認依頼を出すことが強く推奨される」という合意が得られました。
合意の過程に既に挙げたやりとりがあること、加えるならば得られている合意が
管理者は、一週間を越えるブロックを裁量でかけても良いが、その場合は速やかに「追認依頼」を出すことが強く推奨される。追認が得られなかった場合には、ブロックは一週間以内に解除することが、強く推奨される(*2)。
というものであり
この提案は、新たな規定を作ることを目的としていない。よって、「強く推奨される」にとどめる。強い推奨を特定の管理者が無視した場合、その対処は、後日のコメント依頼・解任依頼などにゆだねられる。この提案は、当該管理者を指弾することを目的としたものではない。 :という付則があるということもまた、前提とします。
コメント依頼での合意についての連絡はありますが、既に述べたとおり、それは「連絡」であり、回答を求めるものではなく、「黙殺した」という前提を、ぼくは持ちません。「認識しているものとして仮定できる」という前提を持ちます。
さて、既にブロックされたことがある権利侵害を繰り返す利用者に対して、一週間を越えるブロックが必要だと判断したとしましょう。その場合、「一週間を超えるブロックが相当だろうとコミュニティが判断するであろうこと」が、「一週間を越える裁量ブロックを行うこと」を、正当化するでしょうか。正当化の主語が「Loniceraさん」ならば、おれは、わかりません。本人が正当化しているかどうかが重要な問題となるのであれば、会話ページで確認するべきことかと考えます。正当化の主語が「Ks aka 98以外の誰か」ならば、おれは、わかりません
「強い推奨を特定の管理者が無視した場合、その対処は、後日のコメント依頼・解任依頼などにゆだねられる」のですから、ここで、個々のブロックについての判断を、それぞれに述べるということになるのでしょう。
「正当化」というのも定義が微妙な言葉ですが、曇りなく正しいと主張する気はありませんが、主語が「Ks aka 98」ならば、現在話題となっている範囲においては、許容できると申し上げることができるでしょう。被ブロック者の行動、「複数回目のブロックであるという理由から期間を2週間に延長するということ」は「独断」ではなく2006年7月1日試験運用段階Wikipedia:投稿ブロックの方針/改定案の規定などから慣習的に行われているものであること、2007年11月27日の合意の連絡以降数百のブロック対処のなかで単独の例しか挙げられていないという状況を踏まえれば、「裁量ブロックというかたちで恣意的なブロックが行われることを警戒し」、当時は「そのおそれが顕著な管理者であるとしてLoniceraさんに勧告をした」というコメント依頼の合意において、支持を表明したコミュニティの一員であるKs aka 98は、合意にある「1週間」を超えるとしても警戒なければならない類の恣意的なブロックではない単独の対処を、コミュニティの軽視とは受け取らないし、「看過し得ない問題」としても捉えないという表明です。--Ks aka 98 2008年5月4日 (日) 15:18 (UTC)[返信]
回答を寄せなかった時点では「黙殺」ではなかったと思います。回答しないということは「文句がないので従います」という意味ですから。その後合意に逆らった行動が見られた時点で初めて「黙殺」になったと思います(まあ合意を破られた今、大して変わりませんが)。そのほかはNekosuki600さんに同意です。「一週間を超えるブロックを裁量でするな」と決まった後は、Loniceraさんには一週間を超えるブロックについての裁量権はありません。妥当そうなブロックであったとしても、それはLoniceraさんやKs aka 98さんから見て妥当なだけで、コミュニティから見たらそうではないブロックという可能性もあります。「どうせ出しても追認だから、出さなくてもいいだろう」ということがダメになったのに、それを止めないのはコミュニティ無視に他なりません。--Monaneko 2008年5月4日 (日) 07:22 (UTC)[返信]
Nekosuki600さんへの返答もあわせて読んでいただければ助かります。Monanekoさんがおっしゃる通り「Ks aka 98さんから見て妥当なだけで、コミュニティから見たらそうではないブロックという可能性もあります」。いうまでもなく、Ks aka 98の意見はコミュニティを代弁するものではないです。--Ks aka 98 2008年5月4日 (日) 15:18 (UTC)[返信]
◆う~ん。大変申し訳ないのだが、もしかすっとおれはくさかさんとは合意に至ることが無理かもしれない。全然違うものを見ているのかもしれないねえ。ちょっと今回のこのレスポンスは、揚げ足取りにしてもひどいと思った。この評価が誤解だと思うのならば、釈明をよろしくだ(誤解でなければ説明は不要)。
当該勧告には、確かに「管理者は、一週間を越えるブロックを裁量でかけても良いが、その場合は速やかに『追認依頼』を出すことが強く推奨される。追認が得られなかった場合には、ブロックは一週間以内に解除することが、強く推奨される」「この提案は、新たな規定を作ることを目的としていない。よって、『強く推奨される』にとどめる。強い推奨を特定の管理者が無視した場合、その対処は、後日のコメント依頼・解任依頼などにゆだねられる。この提案は、当該管理者を指弾することを目的としたものではない。 という付則があるということもまた、前提とします」と記されていました。しかしこれをくさかさんは「守らなくてもいいよ」という意味だと受け取ったのですか。上記レスポンスからするとそういうことだと思うのだが、それって日本語理解としてかなり強くおかしくないか。
当該コメント依頼は、ユーザ(管理者としてのユーザを当然に含む)の行動に対して出されたコメント依頼であり、コメント依頼で「ルールとしての合意」を形成するのは場違いであるという認識から、「強い推奨」にとどめたのです。そのあたりの説明は、どういう合意形成をするかというあたりに記してある。ついでですが、かなり重要な背景説明ですが、当該コメント依頼には、そこで「新たなルール形成をやろうとするややこしいひと」が登場してもいて、ユーザの行為に対するコメント依頼の場でルールを形成することはできないということを強く確認する必要もあった。そこで「強く推奨」という文言を入れた。それは、不透明なルール策定をしてはならないという意味で入れたものですが、そういう配慮がくさかさんにかかると揚げ足取りの対象になるのであれば、おれはそれを覚えておこうと思います(で、誤解なんだったら、改めてくれればそれでおっけーだけど、いずれにせよ誤解した理由については熟慮を求めたい)。
でだ。Lonicera氏は、名指しでなされたこの勧告に対して、一週間を越える裁量ブロックをかけるという行動を通じて、「黙殺」という意思表示をしたわけですよ。それもあって「後日のコメント依頼・解任依頼などにゆだねられる」という予告された次のフェイズにはいったのです。
というかな。
こういう問題を引き起こさないために、Lonicera氏はどうすればよかったのか。二週間の裁量ブロックをかけた上で、速やかに「一週間を越える部分についての追認依頼を出す」だけでよかったんじゃないでしょうか。それは、そんなに難しいことなのか。ものすごく手間のかかることなのか。そうじゃないでしょ、ごく簡単なことでしょ。言葉を尽くして状況説明をし賛同を得るための努力をしなければならないようなブロック依頼じゃなくて淡々とわずかな事実を並べるだけで済むようなもので、ほんの5分もあれば済んでしまう程度の作業量だったんですよ。「黙殺、という意思表示」は、二週間の裁量ブロックをかけたという作為(なにかをやったこと)によって示されたものではなく、追認依頼を出さなかったという不作為(なにかをやらなかったこと)によって示されたものなのです。「黙殺」そのものも不作為によるものなわけですが、「黙殺したと評価されること」もまた不作為によるものだった。不作為の行為性のあたりを、くさかさんは見誤っているのではないかと思う(*1)。
*1
わかりにくいことだろうと思うので、話を複雑にするだけかもしれないのだが、深く説明しとく。たとえば「殺人」みたいな犯罪は、「作為犯」と呼ばれ、作為(=何かをやったこと)が問題視されます。じゃ、常に問題視されるのは「作為」なのか。そうじゃないんですね。不作為(=何かを、やらなかったこと)が問題とされることもある。たとえば刑法130条不退去罪・刑法107条多衆不解散罪などの不作為犯。ああ、刑法217-218条あたりの遺棄罪の方がもっとわかりやすいかもしれない。
「やるべきことを、ちゃんとやらなかった」というのは、それだけで、十分にマイナスの評価を受けてもしょうがない判断なのだ、ということです。
そういうわけで、だ。
Lonicera氏は、自己に対するコメント依頼で、コミュニティの意思として、明確に要求されたことをやらなかった。「一週間を越える裁量ブロックをやった」という「作為」の問題はもちろんありましたが(それはブロックの内容が是認し得るものならば見過ごすことができるかもしれなかった)、それよりももっと大きいのは、「追認依頼を出せ」という要求に対する「不作為」の問題なんです(これは、ブロックの内容が是認し得るものか否かにかかわらず、問題であり続ける)。コミュニティの意思の黙殺として問題になるのは、その不作為の方なんだよ。
「やるべき時」が来なければ「やらない」という意思がはっきりするということはありません。しかし「やるべき時」が来たにもかかわらず「やらなかった」ということは、「やらない」という意思の表明になります。「すごくたいへんなことをやれと言われた、しかしそれができなかった」という状況じゃないんです。「ごく簡単にやれることを、あえてやらなかった」という状況なんですね。「あえてやらなかった」ことを、なぜ弁護できるのかが、おれにはわかりません。--Nekosuki600 2008年5月4日 (日) 16:45 (UTC)[返信]
いいたいことはNekosuki600さんとほとんど同じです。前回のコメント依頼で確認されたのは、「裁量ブロックをしたら、追認依頼でコミュニティーに諮りましょう」というのがスタンダードである、ということだと受け止めています。私はその意味で「原則」という言葉を使っているわけです。Ks aka 98さんのように、厳密なケース想定の上で限定的にとらえる方もいる、という点で、受け止めに幅がある(あった)ことは理解しますが、だから指摘を取り下げろ、ということにはならないでしょう。私のコメントを宙ぶらりんにすることを意図しているとしたら、勘弁願います。裁量ブロックの是非を論じているのではなく、追認依頼を出しましょうと念を押されている状況で、あえて出さないことを選んだ、その判断がコミュニティー軽視であり、他でも見せている聞く耳持たない姿勢の表れではないかと問うているのです。--みっち 2008年5月5日 (月) 03:04 (UTC)[返信]
簡単に。「強く推奨する」を「無視もできる」と考えるのは間違いだと思う。強く推奨されることをワザワザ無視するほど、投稿ブロックの追認依頼は大変なのでしょうか?--Monaneko 2008年5月5日 (月) 03:47 (UTC)[返信]
ふつー、「強く推奨される」ことと異なることを行う場合、例外を適用するんだから「何が例外なのか」くらいは説明しないといけないですよね。それすらせずに無視してるんだから(以下省略)。何で「強く推奨する」という結論になったのか、よくかみ締めていただきたい。-Goki 2008年5月5日 (月) 09:47 (UTC)[返信]
強く推奨される
なるほど。コメント依頼の位置づけに相違があるのかもしれません。コメント依頼の文面の「強く推奨される」とは、「守らねばならない」ではないです。この点については、コメント依頼当時から確認されていたことで、「強く推奨される」を「守らねばならない」と読み替えることはあってはなりません。義務はなく、要求もされていないのです。確かに、当時、新たなルール形成をしようとする意見があり、ルールを形成することはできないということを強く確認する必要があった。これはその通りで、このコメント依頼では「ルールを形成すること」はされていないはずです。もし、そのような状況下での議論であったことから、表現上「強く推奨される」という言葉に留めたが、実は「守らねばならない」という意味である、ということであれば、ぼくには受け入れられません。どうしても守らねばならないものであり、要求としたかったということでしたら、方針を変えるべきだったのではないかと。以後、文案にまつわる議論を行うこともあると思いますので、ご記憶いただけるようお願いします。
そして文面としては、義務を付したのでもなく、要求したのでもなく、強い推奨に留まる限り、「無視できる」ものだと思いますし、推奨されたことに従わないことは「それ自体が」コミュニティの軽視になるとは、思えない。念のために補足すると、「無視できる」というのは、言葉通りの意味しか持たせていません。無視することは、コミュニティによって得られたよりよいとされる対処を行わないということであり、それによってコミュニティ(対処された相手と、推奨した人々の双方を含みます)に軋轢を及ぼす可能性は高いでしょう。「無視すべき」だとか、「無視しても何の問題もない」という主張をするつもりではないです。無視し続けていれば、「コミュニティの軽視」と言えるかもしれませんね。無視したことによって何かが引き起こされることに対する批判は、あってしかるべきですし、「強い推奨」にはそれを事前に避けるという意味合いもあるでしょう。引き起こされたことについて、コメント依頼や解任へと発展するのも当然起こるものだと認識しています。
例示されているブロックについての認識
無視できる/できないを別にしても、Loniceraさんが「無視」しているかどうか、という部分も相違があるようです。件のコメント依頼で示されていたのは年少のウィキペディアンへの裁量ブロックでした。当時の依頼以前の裁量ブロックは、WP:NOTを理由として1カ月ブロックというものが多かったですから、それを問題として捉え、それを押し留める必要があったことは理解しますし、そのようにして話し合いにも参加しました。繰り返しになりますが、コメント依頼の勧告から、今日までの対処の中で、例示されているのは初回ブロックから改善がなく権利侵害を継続する利用者への複数回目の裁量ブロックの一件だけであり、既に引用したやりとりから、ぼくは「強く推奨される」の対象に含まれるとは、コメント依頼当時も今も認識していません。「二回目以降も暴れるようなら、改めて無期限ブロック依頼を出して(banが正式化されたらbanして)、お引取りいただくのがスジだとも思います」という発言もありましたが、これに強制力があるとは理解していません。また、「速やかに「一週間を越える部分についての追認依頼を出す」だけでよかったんじゃないでしょうか」という御意見には、その方向性に同意します(当時もしています)が、ただ、当時のコメント依頼で取り上げられていたような例については、全面的に同意しますが、今回例示されていた件については、即座に同意するとまでは言えません(話がそれるのでここでおきます)。
「「後日のコメント依頼・解任依頼などにゆだねられる」という予告された次のフェイズにはいったのです」。その通りだと思います。そのフェイスで、「名指しでなされたこの勧告に対して、一週間を越える裁量ブロックをかけるという行動を通じて、「黙殺」という意思表示をしたわけ」という前提について、ぼくはぼくの意見を述べ、議論が生じているのが、今ここ、ということで、よいのではないでしょうか。--Ks aka 98 2008年5月5日 (月) 16:23 (UTC)[返信]
そういう理解ならば、強い異論はないです。まあまあ妥当な合意点にたどりついたんじゃないかな。
おれとしては、それでも改めて思うんですよ。「ほんのちょっとの手間をかけて追認依頼を出しておけば何の問題も起きなかったのだろうに、なぜそこで手間を節約して、より多くの労力がかかるような展開にしてしまいやがったのか、と。
われわれは共同作業をやっているのだから、必要なことは「全体としての効率化」だと思うんです。自分の労力軽減だけを目指すのではなく、全体としての労力軽減と効率化を目指すのでなければ、Wikipediaとしての労力軽減・効率化にはならないと、おれは思うんですね。
言い換えてみましょう。Loniceraさんがやっていることは「Lonicera氏個人にとっては労力の軽減になるかもしれないが、Wikipedia全体にとってはぜんぜん労力の軽減にならない方法論」なんじゃないか。そのあたりに無自覚なんだとしたらそれはとても困ることなのだ。さらに別の言い方をすると、Loniceraさんが「自分の労力の軽減を目指すあまり、Wikipedia全体の労力を激増させている」ような気がする。それはとても困ることなんで、もうそういうことはやめてほしいんですよねえ。--Nekosuki600 2008年5月5日 (月) 17:34 (UTC)[返信]
こんなところで長くなるのは不本意なのですが、Ks aka 98さんのコメントには引っかかる点があります。「強く推奨される」が、「守らねばならない」ではないということですが、それはお互いに前提の上での話でしょう。ウィキペディアにはご存知の通り、基本方針とガイドラインがあります。ガイドラインは「従うことが推奨」されているものの、強制力はありません。方針にしたところで、「従うべきだと考えられている」ものの絶対ではないWikipedia:五本の柱にもあるように、そもそも「ウィキペディアには確固としたルールはありません」。このようなもとで、具体的ケースにあたって利用者あるいは管理者はなにを判断基準とするのか。それが合意形成であり、コメント依頼はそのひとつの手段でしょう。ここでコメント依頼の確認が「ルールでない」ことを力説し、「無視できる」と強調することが、プロジェクトにとってどれほどの意味があるか疑問というべきです。また、「無視し続けていれば、『コミュニティの軽視』と言えるかもしれません」についても、裏を返せば1度や2度の無視では「軽視」ではないかのように印象付けておられます。軽視でないものが繰り返されることによって軽視に変化するというのがKs aka 98さんのご趣旨ですか? 言葉の意味を厳密にするのもいいですが、そのために堂々巡りに陥ることは避けてもらいたいと思います。--みっち 2008年5月6日 (火) 08:59 (UTC)[返信]
Nekosuki600さん:とりあえず、ご理解いただけたようでなによりです。理由はどうあれ、どのような対処をとるかということは個々の利用者に委ねられるべきであって、それを超えるウィキペディアの公益のようなものが、その判断によって大きく左右されるならば、そして「それはとても困ること」ならば、そのように捉える方々が、労力を惜しまず、方針としての規定を設けるべきかと思います。なお、前回のコメント依頼で、方針ではない形でまとめたということについて批判する意思はなく、当時の状況からは最善だったと認識しています。
みっちさん:「強く推奨される」が、「守らねばならない」ではないということが、このコメント依頼での提示からはわかりにくい面もあり、「お互いに前提」ではなさそうだと感じ、その前提によって例示されている裁量ブロックに対する評価が変わるものだと思ったため、改めて前提を書いていたとご理解ください。コミュニティの合意は、重いものですが、その重さは、合意形成の場や、その文言によって様々です。以前のコメント依頼の合意を、その内実よりも重く捉えているのではないかという指摘と言い換えてもいいでしょう。そのような前提を踏まえれば、あのコメント依頼での合意に対して、例示されているブロックは反しているとは捉えていないし、反しているとしても1度や2度では「軽視」ではないという意見です。そのような前提を踏まえて、反しているし1度であっても「軽視」であるというご意見もあるのでしょう。ぼくにとって、それは受け入れがたいですが、否定もしません。なお、「印象付けている」のではなく、「ではない」と、意見を表明しています。「趣旨/主旨」ではありませんが、「軽視でないものが繰り返されることによって軽視に変化する」と述べています。--Ks aka 98 2008年5月6日 (火) 09:28 (UTC)[返信]

14 編集

Wikipedia‐ノート:コメント依頼/Lonicera 20080423#移動 (2)に移動します。

  • オープンプロキシ(?)からの投稿であるらしい。
  • 海獺(らっこ)氏によって打ち消し線が打たれたが、さすがにこれは可読性が低い。

なお、改めてアカウントで書くのは止めませんが、あとあと面倒なのでその場合は「15」以降の適切な番号をつけて新節にしといて下さい。--Nekosuki600 2008年5月4日 (日) 08:22 (UTC)[返信]


第二セッション 編集

上の第一セッションは、それはそれでお続けくださいです。さて。

まあいろいろ意見はあるわけですが(そして、それは悪いことではない)、無問題ってことではなさそうである、と言って良い展開になっているように思います。でだ。

「Loniceraさんに対する改善要求事項のリストアップ」「その問題解決の方法の模索」という話題を提起しようかと思います。よろしくどうぞ。

改善要求事項 編集


問題解決方法の模索 編集

  • 明示での受け入れ表明を求める。「一週間以上の裁量ブロック問題」の際に「無返答→後日の勧告無視」があったので、今回は明示での受け入れ表明がない限り、問題が改善されるという期待は持てない。--Nekosuki600 2008年5月5日 (月) 16:16 (UTC)[返信]
  • 明示での受け入れ表明を求める。これは必須だと思います。普通「無回答=同意」ですが、彼の場合前回のことがあるので明示的に回答してもらう他ありません。これだけ強く言ってそれでも尚無視するなら、管理者解任またはコミュニティ無視として投稿ブロックが相当だと思います。--Monaneko 2008年5月6日 (火) 00:52 (UTC)[返信]

返答期間の設定 編集

なんてゆーか。このままだらだらやっててもしょうがないっぽいので、期間設定を提案してみます。今後は対話をちゃんとするという確約のテストケースとしてこのコメント依頼を使えないかという意味での提案です。

このコメント依頼で出された疑問点に対して対話をする、あるいはこれから対話をするという意思を表明したら、問題解決のための模索を続けようと思います(返答するという意思表示をしたあとしばらく待っても実質的な対話がなければ、それは「口先だけのものだった」と断定されることになり、逆効果になるわけですが)。しかし、依然として無視が続くのならば「対話をする意思はない」と理解しようと思います。つまり問題を解決する道は閉ざされたということです。表明の方法は、このコメント依頼ページへの発言とします。なお、このコメント依頼ページへの発言内容が「対話をする気はない」とい意思表示だった場合には、その段階で「問題を解決する道は閉ざされた」と解します。

決して短くはないと思う期間を設定します。この提案が登録されたタイムスタンプのあとのLonicera氏の最初の編集・管理権限の行使を基点として、それから一週間でどうでしょうか。--Nekosuki600 2008年5月8日 (木) 17:05 (UTC)--Nekosuki600 2008年5月8日 (木) 17:06 (UTC)(微調整)[返信]

起算点についてのメモです。
  • 2008年5月8日 (木) 18:45 (UTC) 返答期間設定後の最初の編集
  • 2008年5月9日 (金) 09:23 (UTC) 会話ページへのご招待登録日時
  • (賛成)依頼者票。一週間待つ。--Nekosuki600 2008年5月8日 (木) 17:07 (UTC)[返信]
  • (賛成)いちおう賛成します。ただ、返答の要求・要請をするのならば、こちらのほうがよいのではと思うの点が三点あるので、代案として提案します。一点目は、返答を要求・要請する対象について、これを上の#改善要求事項に対する「諾否とその理由、あるいはそれらを書けないのならばその理由」、と限定したほうが良いと思います(それ以外の点について、Loniceraさんが自主的に意見を述べることを妨げることはありませんが… 常識的な範囲なら)。二点目は、返答要求・要請を利用者‐会話:Loniceraを書き込んで通知すべきかと思います。三点目は、二点目にともなう事ですが、要求・要請する返答の期限を「返答要求・要請を利用者‐会話:Loniceraに書き込んだ後の最初のLonicera氏の編集・管理権限の行使を基点として、それから一週間」としたほうが良いかと思います。--Mizusumashi 2008年5月8日 (木) 17:37 (UTC)[返信]
    • ども。えーと、もうちょい説明。
      一点目。明確な要求事項への返答を条件としなかったのは、また「依頼者のコメントへの書き込み」みたいな様式主義を採用しなかったのは、「対話の端緒を開ければ」という思いがあってのことで、ある意味北朝鮮政府との対話を模索するときの各国政府の気分に近い感じです。かなり低い敷居ですらなかなか乗り越えられないようなので、敷居はおもいっきし低く設定してあげようという温情っていうかなんていうか。
      二点目。明日以降、Lonicera氏の会話ページへの告知をすることは検討しますが、これだけ表ページもノートページも巨大なものになっている自己へのコメント依頼を見ていないんだとしたら、その時点でもう「姿勢としての対話拒否」としてもいいんじゃないかという感覚があったりするわけで。
      第三点。二点目との兼ね合いもあって、あまり甘やかしてもしょうがないかな、と。明日以降の通告をしたとしても、だからって通告時点を起算点にすることもないと思うんです。もうひとつ、Loniceraさんには「編集をしない、管理権限を使わない」という方法で、起算点を到来させないという手があるのです。起算点が到来しないまま3ヶ月が経過してくれれば自動退任になるわけで、解任投票なんていうカドが立つ方法を取らなくても問題は解決するわけでしょ?(別途、暴言などを理由とするブロック依頼はありうるにせよ、だ) おれとしては、それでもいいと思ってます。--Nekosuki600 2008年5月8日 (木) 17:48 (UTC)[返信]
  • (賛成)まずは「対話の意思」があるのかどうかを判断するため、1週間回答を待つという認識です。j8takagi 2008年5月8日 (木) 22:08 (UTC)[返信]
  • (賛成)対話の意思の有無の確認という意味で。条件等は別途継続して検討すべきです。--Goki 2008年5月9日 (金) 05:29 (UTC)[返信]
  • (賛成)同じく。--土佐の平 2008年5月9日 (金) 09:03 (UTC)[返信]
  • (賛成)回答期限は一週間でいいと思います。但しお知らせ後、編集も権限行使もない(お知らせを見てない可能性がある)場合は最大一ヶ月待ってもいいと思います。--Monaneko 2008年5月9日 (金) 12:33 (UTC) ごめんなさい。最後までよく読んでいませんでした。起点は編集・権限行使で構いません。3ヶ月行使せずで自主退任ならそれでもいいでしょう。--Monaneko 2008年5月9日 (金) 12:38 (UTC)[返信]

第三セッション 編集

#被依頼者のコメントが出ましたので、それを受けての議論として、第三セッションを立てました。--Nekosuki600 2008年5月9日 (金) 14:56 (UTC)[返信]

被依頼者の回答に対するコメント 編集

ここでどういう言っている方々は、問題を起こす利用者群を減らすべく、何らかの具体的な活動をなさって下さっておられるのですか?

とのご指摘に対して。減らすべく、このコメント依頼にコメントつけています。あと、

「俺はこいつのここが気に食わないんだぜ。お前らもそう思うよな?」「そうだそうだ」で話が進み、「合意の形成」なるものが作成され、「お前に関してはこう決まったから黙って従えよな」という感想しかありません(前回のコメント依頼はその種のものでした)。

これは、「前回コメント依頼の合意なんて知ったことではない。今後も俺は俺の道を行く」という意味に捉えてよろしいでしょうか?--Monaneko 2008年5月9日 (金) 14:43 (UTC)[返信]

4. WP:CIVIL、WP:ATTACK問題に関して 編集

まずそのようなことを言い出す当人(自分に向けられたこの種の意見に関して言うならば、圧倒的に子供が多い)が、礼儀を払われるに足るだけの立派なユーザになるべく自らを涵養すべきでしょう。

これは、「礼儀を払われるに足りないユーザには礼儀を払わなくて良い」という意味に捉えてよろしいでしょうか?それからこのご意見からは、「そのようなことを言い出す当人」が「立派なユーザになろうとしていない」と勝手に決めつけているという印象が湧いてきます。--新幹線 2008年5月9日 (金) 15:02 (UTC)[返信]

Loniceraさん(被依頼者)の応答に対するコメント 編集

いつも管理業務、ありがとうございます。複雑な著作権侵害削除案件に取り組まれているのは尊敬していますし、著作権侵害を繰り返す利用者への対応も感謝しています。とはいえ、やはり、せめて、各種依頼のクローズ時の審議参加者への罵倒や揶揄は、やめていただきたいと思います。

Loniceraさんは「対処する側の視点で考えようとせず、対処する側に回ろうともしない方々が、実効力を持つ実現可能性の高い代案を提示せずに反対のみを繰り返したところで説得力を感じえません」と仰せです。おそらく、私を含む利用者が管理者に立候補するなどして、Loniceraさんほどウィキペディアの発展に助力していないことにご不満なのだと思います。たしかに、そのご不満は真摯に受け止めざるをえません。しかし、ウィキペディアに貢献しているから、反論することを出来ない相手を罵っても良いのかといえば、それは違うでしょう。

また、「そのような人間性を無視した意見は『人間が人間に求める』種類のものではないでしょう」とのことですが、私はべつだん人間性を無視した意見だとは思いません。むしろ、相手が人間だからこそ、また自分が人間だからこそ、望むものだと思います。しかし、たしかに「各種依頼のクローズの際に、『どういう対処をしたか以外の余計なこと』を書かない」というのは過剰な要求・要請であったかもしれないと思います。しかし、繰り返しになりますが、せめて、各種依頼のクローズ時に、審議参加者に罵倒や揶揄をされることはやめていただけないでしょうか。

なお、「方針にそのような文言はありません」という点に関連してですが、もし「管理者は反論できない相手を罵ってはいけない」などと方針に書いてあれば、それは日本語版ウィキペディアの恥であると考えます。方針に書くまでもないことです。

以上、Loniceraさんがご覧になっていると期待して、コメントさせていただきました。--Mizusumashi 2008年5月9日 (金) 16:18 (UTC)[返信]

4 編集

★Loniceraさん、ご回答ありがとうございます。「異議や疑問に対しては、いちいちちゃんと対話・・・スパムを垂れ流す手合いや、削除や保護の対処に逆恨みをするような子供(必ずしも実年齢と一致するとは限らない)の面倒は見ません。Wikipediaは教育機関ではありません。」がわたしの質問していた部分への回答だと認識しています。
ほかの回答部分の内容とあわせて、追加で質問させてください。

  1. Loniceraさんは、「スパムを垂れ流す手合いや、削除や保護の対処に逆恨みをするような子供」以外からは異議や疑問は発せられていないと認識しているのでしょうか?
  2. Wikipediaが教育機関ではない、という点については私も合意します。しかし、教育機関以外でも通常の多くの組織では、他人から暴言・恐喝を受けるような言動は慎んだり、またときには人に丁寧に教えたりすることも必要だと私は認識しています。また、Wikipediaのコミュニティがその例外だとは私には思えません。Loniceraさんは、別の認識を持っておられるでしょうか?
  3. WP:NOTを重視して活動してきたとのことですが、WP:NOT#ウィキペディアは戦いの場ではありませんの部分は読んだことがあるでしょうか?「異なる意見を持つ人物を、言葉によって脅迫しないでください。それらの利用者を悩ませたり、怖がらせたりしないでください。知的に接し、丁寧に議論に招待してください」と記述されています。また、Loniceraさんご自身の活動はこの記述に違反していると感じたことはないでしょうか?
  4. 上記WP:NOTやWikipedia:礼儀を忘れないでは、Loniceraさんのいう「いちいちちゃんと対話」がルールとして記載されているとわたしは認識しています。一方、「いちいちちゃんと対話」では問題を解決できない場面も現実にはあることも確かです。だとすれば、Wikipediaの基本方針自体を変更した方がいい、という結論にもなるかもしれません。こうした意見についてどのように考えますか?

以上、ご回答をお願いします。j8takagi 2008年5月10日 (土) 02:35 (UTC)[返信]

拒否回答っていう理解でいいんですよね? 編集

被依頼者コメントが出たわけですが、あれは多くの問題指摘と改善の要請に対して「一切、受け入れない」という回答が出たという理解でいいんですよね?

いやあ。いまだ「ここでどういう言っている方々は、問題を起こす利用者群を減らすべく、何らかの具体的な活動をなさって下さっておられるのですか?」なんて言っているあたりで頭痛くなってきたのですが。改善を目指して行われた文書整備に対してその努力を無にするような破壊的行動を取っているひとにこういうことを言われたくはないわとか思ったりするんですが。

やっぱり解任手続きに移行するしかないんだろうなあ、となんとなく思う今日このごろです。みなさんの判断はどんな感じですか。--Nekosuki600 2008年5月10日 (土) 07:42 (UTC)[返信]

◆わたしも正直、事実上の拒否回答なのかな、とも思いました。ただし、せっかくお答えいただいたのだから本当にそうなのかご本人に確認した方がよいかと思い、上記の質問をしています。追加の質問に一定期間(例えば、1週間)回答がない場合は、Loniceraさんからいただいている回答をもとに問題解決を考えるしかないと思います。j8takagi 2008年5月10日 (土) 08:46 (UTC)[返信]
◆私の意見は#12ですでに述べたとおりで、Loniceraさんのコメントは、これを裏書しただけと感じています。もはや、コミュニティーの軽視なのか無視なのかなどと解釈を論じ合う必要もないでしょう。解任投票は決め事が細かすぎるというか、ちょっと設計の悪さを感じるので、3ヶ月ブロックを表明しましたが、いずれでも構いません。--みっち 2008年5月10日 (土) 08:52 (UTC)[返信]
◆まあ、1週間(16日まで)様子を見たらどうでしょうか?それまでにコメントが来なかったらそれで決定するということで。--土佐の平 2008年5月10日 (土) 09:22 (UTC)[返信]
◆「議論の結論なんて無視」ってことなら方針の無理解で投稿ブロックにしてもいい気がしますが、解任動議提出でもいいと思います。そこはお任せします。--Monaneko 2008年5月10日 (土) 14:17 (UTC)[返信]
◆こちらには初めてコメントさせていただきます。これまでの流れは逐次追ってはいましたが、先だっての被依頼者のコメントについては、正直なところ先の解任動議で「問題点の改善のチャンスを」という事で反対票を投じた私や他のユーザ諸氏の期待を裏切るものに他ならないと感じるものであります。議論の結論に対する軽視・無視についてはこれ以上論を待つ必要はないでしょうし、そういう意味ではもう次のステップに進んでも良いのではないかと考えますが、一定期間待つべきという意見についても反対はしません。なお、次のステップを解任動議とするか、または投稿ブロック依頼とするかについてはNekosuki600氏以下、本コメント依頼に深く携わったユーザ諸氏の判断に任せるものとします。--Holic 629WTalkCont. 2008年5月10日 (土) 14:29 (UTC)[返信]
◆「問題を起こす利用者群を減らすべく、何らかの具体的な活動をなさって下さっておられるのですか?」
開いた口が塞がりません…。問題を起こす利用者群を殴り飛ばすことだけが「何らかの具体的な活動」ではないのですが。(というコメントにあえてしておきます。)--Goki 2008年5月13日 (火) 11:30 (UTC)[返信]
◆いやー。まあなんだ、一週間は待ちましょうかね・・・。--Nekosuki600 2008年5月15日 (木) 09:36 (UTC)[返信]
◆とか何とか言って、間もなく被依頼者のコメントから1週間(16日14:19)ですね…解任を通り越して投稿ブロックになりそうな気が本気でしてきた…--土佐の平 2008年5月15日 (木) 12:50 (UTC)[返信]
◆拒否回答という理解でよいと思います。--Mizusumashi 2008年5月15日 (木) 13:14 (UTC)[返信]
#最初にのところの一文を見て、コメントを差し控えていたのですが、日本一弱い男さんによるスーパーアグリF1チームへの保護依頼に対する、Nekosuki600さんのコメント以降の対応を見ると、これを性急な編集と言わずして何が「性急」なのか?と思わざるを得ません。他人に厳しく、自分に甘い。こんな管理者がいるとなると安心して編集にも参加できません。ちょっと本題からは逸れますが、他の編集者の中には、仮運用を縦に、四川大地震まで1カ月保護したらどうか?などと提案する者もいる始末(賛成1に対し反対多数で否決されましたが)。彼に限らず、保護や運用の意味を履き違え、あまつさえ意にそぐわない者を罵倒する管理者の存在は、日本語版Wikipediaを衰退させ、他言語のWikipediaの状況との乖離を生む原因となりかねないと危惧します。--Belle Equipe 2008年5月15日 (木) 13:37 (UTC)[返信]
■「性急な編集」ではなくて「性急な保護」ですよね。スーパーアグリの件については、少なくとも一般人のプライバシーの保護や自殺関連情報のような社会的影響が甚大なものなど、「最優先」の課題(=ASAPで行わなければならないもの)ではないですよね。最優先でない課題ばかり取り組む管理者がいてもいいとは思いますが、放置してもいいようなものまで殴りにかかっている気はします。--Goki 2008年5月16日 (金) 07:23 (UTC)[返信]
◆「保護」というのも、保護した時点で記事が改変されないよう固定するという「編集」の一環だと思うんですね。ウィキペディアは何でないか:ニュース・ニュース速報の場所ではありませんという原則はあるにせよ、スーパーアグリF1チームのように、時々刻々と情報が増える性質の記事において、いきなり、全く誰の合意もなく3ヶ月保護という対応をしたわけです。で、記事そのものは、それこそ内容が他言語Wikipediaに比べて薄いまま(事実が追加できないという意味において)放置されるということになるわけで。そもそもWikipedia:性急な編集をしないを根拠にした新記事作成規制の仮運用に至った背景は、フィクションの記事が多数「性急に」作成されたからであろうと解釈していますが、それをノンフィクションの事象にまで適用しようとすること自体に無理があるし、ましてそれを金科玉条の如く振りかざす管理人がいては、各記事発展の阻害になると思うわけでして。自由や権利というものは、他人の権利を侵害しない範囲において行使されるべきもの、という一般社会の原則から考えても、権利を侵害する人がいたらその権利にはある程度制限をかけざるを得ない、と思うのですが。それは一般編集者でもそうですが、管理者であるならなおのことではないかと。--Belle Equipe 2008年5月17日 (土) 22:58 (UTC)[返信]

どうも。とりあえずのおれのスタンスの表明です。

えーと、おれ今日(土曜日)は「ロッキーバーガーを立てられないか」という企画ネタの取材で一日つぶしてしまい、明日(日曜日)は自衛隊のオープンベースに行こうかどうしようかと迷ってる状態なんで、数日単位で、解任依頼・ブロック依頼はやりません。世の中には「性急な解任依頼・ブロック依頼」を期待する声があるらしいのですが、そのあたりはリチャード・バックの『イリュージョン』に出てくる救世主さんのように、軽やかに裏切らせていただきます。

ま、展開はカツモクして待てってことで、よろしくどうぞ。とりあえず獅子身中の虫のようにも見える「性急な解任依頼・ブロック依頼」での劇的な展開を期待しているらしいひとたちへのお手紙でした。だからって私怨的なフライングはするんじゃねーぞ、とかぎろっとにらんでおきます。--Nekosuki600 2008年5月17日 (土) 19:17 (UTC)[返信]

第四セッション 編集

解任動議を提出します 編集

根気良く改善を求めての対話を続けてきたつもりですが、徒労に終わりました。解任動議を出すことにします。

手としては、「解任動議を出す」「3ヶ月以上のブロック依頼を出し、自然退任につなげる」という2つのものが提案されていました。まあどちらでもいいような気はしましたが、ここははっきりとコミュニティとしての意思確認をした方がいいだろうということで、「解任動議」を選択します。解任が通ったとしてその後ブロック依頼を行うかどうかは、解任後の姿勢を見てから決めればよろしいかと思います(個人的には、管理権限がなければさほど迷惑度が高くない可能性があると思っているため、現段階ではブロック依頼についてはノーアイディアです)。

なお、再三述べていることですが、改めてお願いをします。おれはこれから解任動議を出すわけですから、もちろん動議への同意や解任への賛同はありがたいです。しかし、私怨系と思われたら厄介な展開になることもまた、明らかです。意思表示をする前に、「私怨ではないか」「自分は批判されて当然のことをしていなかったか」ということを、いまいちど考えてください。その上で、そういう要素があると思った方には、遠慮がちであってほしいと思っているということを、改めて述べておきたいと思います。--Nekosuki600 2008年5月18日 (日) 08:32 (UTC)[返信]

解任動議は通過しました。投票が行われます 編集

解任動議は 2008年5月18日 (日) 09:44 (UTC) に通過しました。

投票のスケジュールは以下の通りです(現在は、48時間の猶予期間です)。

  • 2008年5月20日 (火) 09:44 (UTC) から 2008年5月27日 (火) 09:44 (UTC) まで

では、よろしくお願いします。--Nekosuki600 2008年5月18日 (日) 10:01 (UTC)[返信]

解任投票がスタートしました

とり急ぎお知らせまで。--Nekosuki600 2008年5月20日 (火) 13:10 (UTC)[返信]


解任動議提出を受けて 編集

コメント依頼の対話不調を受けて5月18日に解任動議が提出され、投票フェイズに至りました。

  • 投票期間 - 2008年5月20日 (火) 09:44 (UTC) から 2008年5月27日 (火) 09:44 (UTC) まで

これを受けて、これまでと違った角度からコメントと提案をいたします。

対話不調の背景 編集

Loniceraさんの言動や権限行使の一部に改善していただきたい点は確かにあるのです。ですからNekosuki600さんの提案の根幹は、本当は、Loniceraさんのためになる非常によい助言でありえたと思います。

ところが、そもそもコメント依頼で寄せられた事例には、横から見ても疑問に思うものが混じっていました。たとえば、

  • Wikipedia:投稿ブロック依頼/FOXi
    • >エイプリルフールのネタがつまらなかったため、井戸端での議論に基づいて、ブロック依頼を出してみます。(同ブロック依頼 Nekosuki600さん 2008年4月1日 (火) 09:30 (UTC)より)
    • >いろいろ考えた上で取り下げさせていただきます。おさわがせいたしました。(中略)んじゃ、おあとがよろしようでペペンペンペン・・・・♪--Nekosuki600 2008年4月1日 (火) 14:54 (UTC)

で、これを消されて、

  • >真面目にやってたもんを勝手にエイプリルフールとか言ってんじゃねえぞゴルァ。次は解任依頼をおれから出すからな。--Nekosuki600 2008年4月1日 (火) 16:06 (UTC)

「真面目にやってたもん」とご自分でおっしゃられても、真面目すぎるくらいのロニさんから見れば「真面目にやってたもん」にはとうてい見えなかったでしょう。その相手の言葉を真面目に受け止める気が起こると思いますか?

上で「拒否回答っていう理解でいいんですよね?」というセクション名になっていますが、単に「ネタがつまらなかったため」ブロック依頼を出すとか、それを消されて「ゴルァ」と怒鳴るとか、会話ページで「おまえ誰に口をきいているのかわかって言ってんのかああん?」(Nekosuki600さん 2008年4月27日 (日) 08:32 (UTC)の版より)のようにコメントするとかがあったために(まぁ他にもいろいろとあったのでしょうけど)せっかくの助言の値打が理解されないような「被依頼者コメント」が返ってきたのだと推察します。それを[返信]

「一切、受け入れない」という回答が出たという理解でいいんですよね?(Nekosuki600さん 2008年5月10日 (土) 07:42 (UTC))

というのは、いささか酷ではないでしょうか。特に「ああん?」のあとでは、もう、何を言っても率直に受け止めることはできなかったと思うのです。

うわぁ、こんな書き方してる人がコメント依頼出していたんですね。なんか、ウィキペディアをそこらへんの掲示板と勘違いして、そこの常連ぶってる感じですね。
ウィキペディアの私物化とでも言いましょうか?いやまぁびっくりですが。
最初の目的のところで
  • 逆恨みの異議申し立てをするところではありません
とありますが、第三者的に見て「相手の事をあまり好ましく思ってないから、重箱の隅(をつつくまでもなくアレコレあるんだろうが)をつっついて、さも正当化ぶっての個人攻撃」にしか見えないんだけど。
ここまであれこれ調べるのには時間もかかったとは思いますが、結局、ウィキペディアの問題点と思われる「結局、根気よく自分の書き方を通した者の勝ち」(相手がめんどくさくて対応しなくなるまで書き換え続ける)に近いようなやりかたですね。
その時間をもっと他の有益な事に使った方がウィキペディアのためじゃかいかなぁ。
だって、ここに巻き込まれて参加している他の方々の貴重な時間も浪費してるわけだから。
このコメント依頼を出すことによって、ウィキペディアンが無駄に浪費した時間ってすごい膨大な時間だと思うんだけどね。
そういう時間の浪費を防ぐ方がよっぽどウィキペディアにとって有益な事じゃないかと思いますけどね。
ま、やり方が気に入らないとか、ルールに則ってないとか、腹が立つ事が多かったんだろうけどね。
そういうのに腹立つ気持ちはわかなくも無いが、なんか、躾がきちんと出来ていない過保護な親が、学校でちょっと子供が怒られて帰ってきたからと怒鳴り込む様にダブって仕方がないです。
ウィキペディアの中では、たぶん矛盾って結構あると思う(受け止め方の違いなども含め)んで、その矛盾が取れない限りは、誰でもルールに反してる可能性があるわけで、その揚げ足取りされたらヤだなぁとは思いますね。
しかし、そのリンク先のやりとり、ホントに子供のけんかですねぇ。このコメント依頼も私怨プンプンって感じですね。ウィキペディアって人集めたら合意を得たとして比較的自分の好きにできちゃいますからねぇ。
結局、管理がルールに反してる部分がある?という大義名分があるから、それを利用してるだけにしか見えない。--永尾信幸 2008年5月19日 (月) 14:22 (UTC)[返信]

問題点の再検証 編集

Nekosuki600さんのあげた問題点にはもっともだとうなずける部分もたしかにあります。その部分については「自重してください」と私からも申し上げます。ですがそれはないだろ、と思う部分もありました。たとえば

  • コミュニティの意思の軽視 (1)
    「裁量ブロック1週間を超える場合は追認依頼を出す」というのは、1回目のブロックについてはそれで良いでしょうが、同じユーザーが同様の問題行動で2回、3回とブロックされる場合には、2回目は2週間、3回目は1か月、4回目は3か月・・・のように段々と期間を長くしていく方法がこれまで受け入れられてきたように思います。「複数回目のブロックであるという理由から期間を2週間に延長する」というのはこれまでの慣習に沿っており、「コミュニティの意思の軽視」と断定するのは行き過ぎではないかと思います。

それ以外の部分については、Ks aka 98さんのコメントが丁寧にフォローしておられますので、そちらをご再読ください。

管理者としてのLoniceraさん 編集

仮方針導入前の3月を例にとると、1か月あたり削除670、ブロック616、保護178です(数字に間違いがあれば訂正おねがいます)。

user edit counter

ロニさんは、非常にアクティブな管理者で、貢献度も半端ではありません。昨日解任動議が出ましたが、Loniceraさんの仕事量は、アクティブな管理者4,5人分(私レベルなら10人分以上)にも相当するのではないでしょうか。またLoniceraさんが就任されるまで、明け方の数時間は管理者不在・ほぼ荒らし放題の時間帯で、朝一番にチェックすると即時削除や荒らしブロック案件がたまっていたりしましたが、今ではその時間帯も心配がありません。一生懸命が裏目に出る部分については、ぜひ軌道修正することをお約束いただいて、解任されることなくウィキペディアの守りにつき続けていただきたいと思います。

守っていただきたいこと 編集

以下、私個人がLoniceraさんに守っていただきたい事を書いてみます。 これらを、少なくとも向こう半年間守ってみてください。そうすれば、結局この方がうまくいくと実感していただけることと確信しています。

  1. 各種依頼で意見や警告を発したくなったら、対処せず、賛否つけと意見表明にとどめてください。
    Loniceraさんの見解が正当であれば必ずやご意見の通りの結論に達するでしょう。最初はまどろっこしく感じると思いますが、結局はこのほうが軋轢が少なくなり、管理作業に専念できます。
  2. 自分がかかわった案件については、権限を行使せず、管理者であることを離れて一利用者として行動してください。
    こちらも「最初はまどろっこしく感じると思いますが、結局はこのほうが軋轢が少なくなり、管理作業に専念できます。」と申し上げることができます。
  3. 法的問題がない限り、対処予定を繰り上げないようにしましょう。
    結果があまりに明白な場合、1週間を待たずに依頼を閉じたくなったりするかもしれませんが、法的問題がない限り、既定のプロセスに任せましょう。その方があとあと問題が起きません。
  4. 異議や疑問については、第三者の理解を得るよう努めてください。
    異議や疑問にどこまでこたえるかはこれは意見の分かれるところですが、直接の相手を納得させるのは無理な場合でも、第三者が了解できる程度には反応しましょう。少なくとも上の1と2と3を守っていれば、今の半分以下になるでしょう。

とりあえず、以上のことを守るよう努力するとお約束いただけませんか。そうすれば迷っている皆さんも安心して、解任に反対票を投じることができるでしょう。--miya 2008年5月18日 (日) 19:11 (UTC)補足。2008年5月18日 (日) 19:15 (UTC)[返信]

Miya氏の意見に対して 編集

拒否回答はすでに提出済 被依頼者のコメントの再掲載 編集

Miyaさん個人がLoniceraさんに守ってほしいこと、ということですが、すでに、ほぼ同じ改善要求がこのコメント依頼で提出されており、それに対する被依頼者による拒否回答が出ています。続いて、Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080423#第三セッションにおいて、その拒否回答にたいする話し合い、Lonicera氏への確認、質問がありますが、1週間の猶予を見たうえ結局無視されたと判断され、その経緯を踏まえて解任動議が出たということをご理解ください。

2chのスレッドで表明されておられたような意図による、単なるちゃぶ台返しなんじゃないか?と思いますが、すでに出たことを言葉尻を変えて自分個人の要望として、時間を置いた後、繰り返すのは適切だとお考えでしょうか?それとも、「あなたがたが言っても無駄であるから私が言って聞かせます。」などというこれまでのコメント依頼を軽視した、また余計なおせっかいなんでしょうか?

今回、Miyaさんは、「解任動議提出を受けて」という体裁こそとっているものの、やっていることは、改善要求→#被依頼者のコメント拒否回答→#第三セッションでの話し合い→#第四セッション解任動議提出の流れにおいて、これまで一切このコメント依頼の議論に参加せず、いざ解任動議が提出されたら、振り出しの改善要求にまで巻き戻す、とやり方としてはまともさ、誠実さの欠けるもんなんですよね。だからちゃぶ台返しであると申し上げている。

ここは長いので、 Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080423#被依頼者のコメントより、Lonicera氏の拒否回答を以下に全文署名つきで引用して提示しておきます。

なお、Lonicera氏がMiyaさんの問いかけに呼応して追加返答、以下ですでに提出された拒否回答の撤回に関してはもちろん妨げるものではないです。しかしその場合は、すでに拒否回答を出したという事実を踏まえ、再回答するにせよその拒否回答を撤回する、なぜ拒否回答をして、なぜそれを撤回するのか?という理路を明確に示していただく必要は当然あります。--218.251.17.75 2008年5月18日 (日) 21:16 (UTC)[返信]

Wikipedia:コメント依頼/Lonicera 20080423#被依頼者のコメント

<引用ここから>

==被依頼者のコメント==

#改善要求事項についてですが。

  1. 各種依頼のクローズの際に、「「どういう対処をしたか以外の余計なこと」を書かない
    方針にそのような文言はありません。よく「ボタン押しに徹しろ」といった類の意見を書く人がいますが、管理者は機械ではありません。そのような人間性を無視した意見は「人間が人間に求める」種類のものではないでしょう。
  2. 自己関与案件での管理権限行使
    方針で明確に定めるのが先でしょう。
  3. 異議や疑問に対しては、いちいちちゃんと対話
    スパムを垂れ流す手合いや、削除や保護の対処に逆恨みをするような子供(必ずしも実年齢と一致するとは限らない)の面倒は見ません。Wikipediaは教育機関ではありません。
  4. WP:CIVILWP:ATTACK問題
    まずそのようなことを言い出す当人(自分に向けられたこの種の意見に関して言うならば、圧倒的に子供が多い)が、礼儀を払われるに足るだけの立派なユーザになるべく自らを涵養すべきでしょう。

「俺はこいつのここが気に食わないんだぜ。お前らもそう思うよな?」「そうだそうだ」で話が進み、「合意の形成」なるものが作成され、「お前に関してはこう決まったから黙って従えよな」という感想しかありません(前回のコメント依頼はその種のものでした)。

自らの考える理想のWijkipedia像、理想の管理者像を模索なさるのは結構なことですが、それを枠組みとして他人に当てはめる前に、まずご自分がそれを体現なさるべきかと考えますがいかがなものでしょうか。私はそうしました。何よりもまずWP:NOTを中心に考えて活動しています。

ここでどういう言っている方々は、問題を起こす利用者群を減らすべく、何らかの具体的な活動をなさって下さっておられるのですか? 対処する側の視点で考えようとせず、対処する側に回ろうともしない方々が、実効力を持つ実現可能性の高い代案を提示せずに反対のみを繰り返したところで説得力を感じえません。--Lonicera 2008年5月9日 (金) 14:19 (UTC)[返信]

<引用ここまで>

さすがにこれはナイんじゃない? 編集

当初は何も言わずにほっとこうかと思ったのだが、いちおうであろうとも明示で反論をしておくべきだと思い直したので書いておきます。

Miyaさんが新たに節を起こして書いたことは、すでに出ている論点ばっかりで、デジャ・ヴュです。このコメント依頼はずいぶん時間をかけて丁寧にやってきたのだし、言いたいことがあるなら議論を進めている間に書いておけばよかった。今になってこういうことを書くというのは、さすがにコレはないんじゃない?

おれの感覚では、Lonicera氏がちゃんとした対話をしないのは「相手が気に入らん」とかそういう理由じゃないと思います。一回だけの返答からわかることは、自らの姿勢について自信と確信を持っており譲る気は全くない、ということだと思います。もしかすると確かに管理側は手不足に陥るのかもしれませんが、しかしたいして難しいとは思われない改善要望に対してもあの対応だったのだということは、もう取り消しようがない。解任となりその結果手不足に陥ってどうしようもなくなったら、MiyaさんがLonicera氏に直談判でもして、改善をするという確約を引き出した上で、改めて管理者に立候補するよう説得するとか、そういう手順でもいいのじゃないでしょうか。

そもそも、どうしてこのタイミングでこういうことを書けるのだか、おれにはよくわからなかったです。--Nekosuki600 2008年5月19日 (月) 12:18 (UTC)[返信]

どうして:聡明なるNekosuki600さんにしてもおわかりになりませんか?
Nekosuki600さんの「改善要求事項」がどんなに素晴らしいものだったとしても、非依頼者との信頼関係が途絶している以上(なぜ途絶したのかはこれまでに長い長い経緯があるのでしょうが)、被依頼者にとっては
対処する側の視点で考えようとせず、対処する側に回ろうともしない方
「俺はこいつのここが気に食わないんだぜ。お前らもそう思うよな?」「そうだそうだ」(Loniceraさんによる 2008年5月9日 (金) 14:19 (UTC)被依頼者コメントより)
と言っているとしか聞こえないのです。それをもって「対話拒否」と断じ、これをもって解任を求めるのは、フェアではないと信じるからです。
こういうこと:ただし、認識を改めていただくべきだと思うことは私の目から見ても何点かありましたので、Nekosuki600さんと一部共通する内容で、違う人間から(最低限の信頼関係はあると信じて)違う言葉で、呼びかけたのです。だから、デジャ・ヴュで当然、です。
このタイミングで:タイミングについては、コメント依頼はだれがどんなタイミングで書くのも自由なはず。解任動議が出てしまったからこそ、きちんと表で言っておかなくてはと考える人間だっているのです。
あわせて、私はこれまで指摘されたことについてLoniceraさんに軌道修正していただける望みをまだ捨ててはおりません。「君子は豹変す」とまでは申しませんが、特に問題となりうる何点かについて、ここは改めた方がいいと納得してもらえれば軌道修正は十分可能である(あってほしい)と期待しています。ですから、その成果として解任投票の「自己弁護」欄へのLoniceraさんのコメントを待っているのです--miya2008年5月24日17:34(UTC)  補足と署名日時追加。--miya 2008年5月24日 (土) 17:40 (UTC)[返信]
Miyaさんのご懸念は理解できますし、私も行動の改善に現在も期待しています。しかし、Miyaさんの「どうして」はLoniceraさんとNekosuki600さんとの間の話で、他の利用者がこれまで試みてきた冷静な対話への努力を否定するものではないでしょうか。そしてNekosukiさんは二人の間での対話がうまくいかないからこそ、議論の場をコメント依頼に移したわけです。対立を解消するプロセスとしては自然なものではないでしょうか。もし二人の間に埋めがたい溝があり、それでもLoniceraさんの行いに懸念をぬぐい去れないとき、果たしてNekosukiさんは何をすればよかったのでしょう。このコメント依頼を出し、他の利用者と意見を交わすこと以外に何ができたのでしょう。そして解任投票を求めたのは、コメント依頼で複数の利用者が行った議論の結果からです。その議論さえも「フェアではない」のでしょうか。議論に参加した利用者全て、Loniceraさんとの間に溝があるわけではないでしょう。そういった方に自身の考えを説明することも、Loniceraさんには、できたはずです。
最後に。Miyaさん、失礼ながら「聡明なるNekosuki600さんにしても…」のくだり、少々無礼ではないでしょうか。--Bellcricket 2008年5月24日 (土) 21:34 (UTC)[返信]
少なくとも4月23日から一ヶ月近く経っている訳で、投票開始から考えても半月以上経っている、しかしLonicera氏はここで一切の意見表明を行っていない。これにつきませんか、これを対話拒否と言わずなんと言いましょうか。少なくとも彼は大人な対応が一切出来ていないでしょう。これだけ放置すれば普通の感覚ではこのタイミングでとしか思えませんよ、傍から見ると。--はやたま 2008年5月24日 (土) 22:48 (UTC)[返信]

◆んーと、Miyaさんのコメント自体は、コメント依頼の場に投じる分には、ひとつのコメントなので、尊重されるべきかと思います。タイミングの是非はあると思いますが、解任への手続きがはじまったところで、対象となる管理者についてのコメントは、先行するコメント依頼または投票サブページのノートと指定されているのですし、タイミングにしても、投票に至ると想定していなければ、その読みの甘さはともかく、このタイミングでの投稿というのはありえると思います。Loniceraさんへ向けてのコメントが、他の利用者であるところのMiyaさんから発せられることに意味はありますし、場所として、タイミングとして、このコメント依頼の場で、このタイミングというのは、(最善ではないとしても)不適切だとは思いません。

ただ、コメント依頼での進行や解任動議へ至る手続き論みたいな話は、明確に解任動議の不成立を主張するか(今の方針類の下では無理だと思います)、解任動議と関係ないものとして時宜と場所を選んで一般論として提起するか、Nekosuki600さんあるいはこのコメント依頼自体を対象としたコメント依頼を提出するか、というのが適切なのだと思います。あるいは、コメント依頼から離れたところでも、意見のすりあわせが必要なものがあるかもしれません。それでも、解任投票がはじまっている以上、このコメント依頼自体も判断の対象として含まれているのですから、投票者はコメント依頼での瑕疵も含めて勘案して投票を行っていると受け取るのがよいと思います。--Ks aka 98 2008年5月25日 (日) 18:49 (UTC)[返信]