利用者:SKM_T_KHR さんの議論への参加姿勢について、コメントを依頼します。 --Kto2038会話2023年6月25日 (日) 10:57 (UTC)[返信]

これまでの経緯 編集

現在「ノート:ボクド (ウラナラ氏)」にて「ボクド (ウラナラ氏)」から「ボクド」への改名を提案しております。

本件は事務的な改名に過ぎないのですが、SKM_T_KHR さんにより強硬な反対を受けています。 反対の理由としては「ボクドもボグドも似ていて紛らわしい」「人が死ぬわけでもWikipediaの信用が失墜するわけでも、大衆が混乱に陥るわけでもない」とのことですが、いずれも正当な理由とは思えません。 「まじめもほどほどにした方がよい」「法律家先生」「貴下の日本語理解力には問題がある」といった揶揄・中傷ととれるコメントもいただいています。 「Wikipedia:礼儀を忘れない」をご案内しましたが「読む必要はない」とのことです。 「利用者‐会話:SKM_T_KHR#曖昧さ回避について」によると「怒り心頭」とのことで、ご立腹のまま理性的ではないコメントを書いているのかと推測しています。

総じて、合意形成に協力的な態度とは思えません。

皆さんのご意見をいただきたいです。

なお、下記の関連議論もご参照ください。

依頼者のコメント 編集

被依頼者のコメント 編集

私が何度も申している「ルールにしたがいます」という文言は無視して、自分の気に食わない文言だけを拾い集めて晒すのはどうかと思います。意見をきかれたから「反対」と申しましたが、「強硬に反対」はしていません。上述の通り、ルールにはしたがいます。それも何度も言っています。 「ナチブル (ナラ氏)」の改題 (「ナラ氏」の削除) を提案された時に「どうしてそれをしないと行けないのか、そういうルールがあるなら所在を示してほしい」と言いましたが、無視したのは提案者です (私はWikipedia初心者で、ルールについては詳しくありませんので訊きました)。結局別の親切な方がその所在を示してくださいましたが、そのルールをみても特に改題すべきとは思えませんでした。そのため、「あなたはどう思うか、賛成か反対か」と訊かれた際に「反対、必要を感じられない」と答えました。尾鰭背鰭をつけて人を悪しくいうのは止めていただきたいと思います。 今回のように、自分に都合のよいところだけを切り貼りする人に「理解力に問題がある」と言って何か間違いがあるとも思えません。

追記: 何度も繰り返しますが、ルールならしたがいます。ただ、私は必要を感じない、というだけです。 途中、これまた話の通じない人が賛成派として現れ、「個人攻撃だ」と息巻いて私につっかかってきましたが、その方の「個人攻撃だ」という主張にも根拠がなく、むしろ私が「個人攻撃」を受けていると感じるほどです。 提案に対してまともな議論が起きないのは、この記事自体が注目度も低いからだと思います (注目度が低いからルール無視で構わない、とは言っていません)。 私が怒っているのは、提案者にルールの所在を訊いても毎回無視して「改題すべき」を繰り返すだけなので、自分勝手な人だと感じたからです。さらに「ナチブル (ナラ氏)」以降も今回の「ボクド (ウラナラ氏)」含めたいくつもの私が作成した記事に改題要求を掲げてくるので、迷惑行為にしか思えず、怒っているのです。そして現時点でやはり提案者からそのルールについてなにかお示しがあったことは一度もありません。さらに、これまでの提案は全部却下されています。残っているのはこの「ボクド (ウラナラ氏)」だけで、私にはどうしても提案者「こそが」自棄をおこして固執しているとしか思われません。 以上。公平な議論を望みます。

コメント 編集

まずは、「ボクド (ウラナラ氏)」→「ボクド」への改名に注力したコメントをします。 Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避の必要がないものに「ページの競合がみられないとき」には曖昧さ回避は必要ないとされているわけですから、この改名提案についてはKto2038さんのご主張が妥当でしょう。 もちろんルールに四角四面に従う必要はなく、ページの競合がみられない時でも曖昧さ回避の括弧を付けるべき特例であることを説明できるのであれば、「ボクド (ウラナラ氏)」を維持する事は可能です (なおルールに常に従う必要はないという話はKto2038さんから既に「『ルールに従う』とのことですが、Wikipedia は規則主義ではありません。文書化されたルールより合意の形成が重視されます。」[1]と説明がなされています。おそらくはSKM_T_KHRさんはこの発言をKto2038さんが自身の行動を正当化するために言っているとしか受け取っていないのでしょうが。)
かつて私は(自分語りみたいで恐縮ですが)、曖昧さ回避に関するルールを知った上で、ページが競合していないのにも関わらず「ケルト研究 (学術誌)」という括弧付きの記事を作った事があります(より正確に言うと「ケルト研究」で作った記事をわざわざ「ケルト研究 (学術誌)」に改名した)。これは「ケルト研究」の記事名を使うのは第一に「ケルトを対象とした研究」であるべきで、同名の学術詩が「ケルト研究」を使ってしまうと誤リンクなど弊害の方が大きくなるという確信があったからあえて括弧つきにしたのです。
こうした特殊な事情がない限りは、曖昧さ回避の括弧は消すべきでしょう。なぜなら「曖昧さ回避は、あくまでも異なる内容のページを判別するためのもの」(Wikipedia:曖昧さ回避)であり、説明のためのものではないのです。「ボクド (ウラナラ氏)」という記事名は曖昧さ回避が存在する事を暗示しています。「ボクド (ウラナラ氏)」という記事名を見たとき「ボクド」という聞きなれない名前が一体何と曖昧さ回避になっているのだろう?と疑問に思った人はブラウザのアドレスの括弧を削って確かめてみるでしょう。しかしそこには何もないとなると、読者に無駄に時間を使わせたことになります。こうした実害を無視してまで括弧付きの記事名を維持するべきではありません。--おいしい豚肉会話2023年6月27日 (火) 14:49 (UTC)[返信]

どなたかからお聞きになっているかもしれませんが、念のため。

Wikipediaにおける確固としたルールは五本の柱です。

曖昧さ回避に関する方針ここにあります。

《すべての利用者が従うべきだと考えられて》いる五本の柱と方針に従えば、特に問題はないと思います。

私も初心者ですので、私にも至らない点はあるかと思います。

なお、私は今回の改名提案での賛成を撤回し、中立としました。お読みいただけると幸いです。— 市民武佐会話) 2023年7月16日 (日) 05:02 (UTC) — 追記 市民武佐会話2023年7月16日 (日) 05:09 (UTC)[返信]

曖昧さ回避に関する方針には、すでにおいしい豚肉さんが節へのリンクと、そうでないリンクを張っていましたね。気づかなくてすみません。— 市民武佐会話2023年7月16日 (日) 05:19 (UTC)[返信]

報告です。ボクド (ウラナラ氏)はノートごと曖昧さ回避カッコのないボクドに改名されました。--111.188.62.108 2023年10月15日 (日) 08:26 (UTC)[返信]

まとめ 編集