利用者:kojidoi会話 / 投稿記録 / 記録さんのこれまでの姿勢(とりわけノート:赤報隊事件)について、コメントを依頼します。

依頼者コメント 編集

これまでの経緯 編集

被依頼者は2006年11月30日の登録以来7年近く編集を続けていますが、自己の編集を絶対視する傾向があり、時に暴言を吐く事が見受けられます(「顔を洗って出直しといで」)。とりわけ赤報隊事件への思い入れが強く、一人で「記事構成の抜本的な改正の提案」として別の記事を作成しています。

「皆さんの意見を聞かせてください」「コメントがあれば、どんどんここに追記願います」と述べながら、疑問点の指摘に対して不誠実な姿勢が目に付きます。 例えば、1987年9月27日の朝日新聞朝刊「新右翼を偽装か 用語・表現にずれ」記事について、Niftyの朝日新聞検索で「犯人 新右翼装う? “犯行声明”を捜査 朝日新聞社寮襲撃1987.09.26東京夕刊」に当該記事発見と記しながら後で「確認できません」と答えています。

現行記事とは全く違った構成の記事の提案であり、質問者の疑問にはできるだけ丁寧な対応が求められます。ノートで「捜査当局は歴史教科書問題が事件の発端になった可能性もあるとの見方をしている。」の削除理由を尋ねても、返事はありませんでした。

「概要」節の問題では、一度は「遺伝子組み換え食品ぐらい内容が多岐にわたっていれば概要を付ける意味もありますが、当記事のレベルで「概要」節など作っても屋上屋を架すだけです」と述べておきながら、編集要約欄に「「概要」を追加してみる」と記し、概要節の編集を行っています。「妥協の可能性を探るために試行した編集」という事ですが、一言もこの事の指摘がなく、概要節の編集行為からはその意図は全く伝わりません。

このように、自分の編集を絶対視する傾向が述べたような事実にも現われているように思います。

何が何でも「記事構成の抜本的な改正の提案」を通す事を最優先とする姿勢と言わざるを得ません。現行記事と全く違った構成の記事の提案は、広く議論して多くの人が納得して決めるもので、被依頼者の姿勢には改善すべき点があるように思われます。--Abe-1945-ikuzo会話2013年8月30日 (金) 08:58 (UTC)[返信]

被依頼者コメント 編集

第三者コメント 編集

コメント依頼はそれなりの理由によってなされるものと思います。詳細はこれから検討しますが、通し読みしたところではいくつか思い当たるところもありますので、やはり一つ一つ吟味して行くのが正道でしょう。vzp10224様は「報復だから即終了」のご意見のようです。だとすれば、まず「報復」であることの立証が必要と思います。--キリンヴィック会話2013年8月31日 (土) 13:39 (UTC)[返信]
仮に報復的な依頼であったとしても、第三者からのコメントを求めることまで制限してしまうのは、さすがに依頼者にとって酷過ぎるのではないかと思います。--Calvero会話2013年9月20日 (金) 14:51 (UTC)[返信]

「顔を洗って出直しといで」というのは、いただけないといえばいただけない発言ですが、これは2009年とかなり前のことであるし、被依頼者への揶揄に対する反応ですから、被依頼者の特徴的な問題点とはみなせないと考えます。他の点についても、差分が提示されていないので具体的にはよくわかりませんが、議論の流れ上自然とそうなることもありえると考えられますし、特に改善が必要とは思えないです。「何が何でも「記事構成の抜本的な改正の提案」を通す事を最優先とする姿勢」であると考える根拠はみあたりません。--Calvero会話2013年9月20日 (金) 14:51 (UTC)[返信]

問題となっている姿勢について「根拠はみあたりません」とされましたが、そうでしょうか。被依頼者のコメント依頼[1]「当該議論において記事改定の合意は成立したと判断してよいか」のコメントがないのに「下書き」をアップした事を見れば、その根拠がはっきり出ています。議論で「記事構成の抜本的な改正の提案」の賛同が得られたとするのは難しいと判断するのが自然であり、被依頼者の受け止め方は大きくずれています。-Abe-1945-ikuzo会話2013年10月8日 (火) 00:23 (UTC)[返信]
Wikipedia:コメント依頼/キリンヴィック, Abe-1945-ikuzoでの議論を踏まえ」、つまり実質的に合意が得られている、少なくとも合理的な反対はないとみなしうる、ということを確認(2013年10月6-7日)してから編集(2013年10月7日)しているので「何が何でも」とはいえないでしょう。「対話姿勢に問題がある」という結論は、「主張内容には問題はない」と取ることもできますが、このコメント依頼での場合、そのような含意はなかったと思います。--Calvero会話2013年10月13日 (日) 03:16 (UTC)[返信]
  • 被依頼人はウイキペデイアの内部規則などに詳しく経験の浅い私にとっては学ぶべき点が多々ありその面では評価しています。しかし1長あれば1短あり、規則に詳しいことがかえって災いし無用な混乱を産んでいます。その一つは「お山の大将われ一人」「コミュニテイのヌシ」と云う感じの尊大な態度です。依頼者からも幾つか指摘がありますが。私も被依頼人から「あなたのウイキペデイアにおける将来は明るいとは言えない」と言われた時は「いったいこの人は何様なのか」と云い返したくなるのをぐっと抑えたのでした。一般の会社でいえば人事権を握っている会長クラスの人の言う言葉です。一種のパワハラですよ。そして意見交換が続いているさなかに反対意見の人をブロックして発言権を奪う、それでも反対を続ける人がいると今度はコメント依頼を出すと云う具合に「締め出し」「被告扱い」ともいえる実力行使です。反対意見の者を締め出したり、被告席にたたせたりした上で、残った人たちに「さあさあご意見を」と言っても、意見は簡単には出ませんよ。そして「意見がないから賛同と見なす」と宣言して、あの下書き(記事の抜本的全面改定)を強行表示する―――これが現状です。内輪では分からなくても岡目八目でちょっと小高いところからみれば、結局はお山の大将の言うとおりにことが進んでいるだけの話じゃないですか。コメント依頼以後の経過も含めて記しましたが、わたしは依頼人とは別の視点から被依頼人について感じたことを記しました。--キリンヴィック会話2013年10月12日 (土) 10:51 (UTC)[返信]
    • その発言はむしろ、相手に配慮した穏当な表現による忠告だと思いますが…。上位の者が下位の者に何か言うなら、もっと強制的な、厳しい調子になるでしょう。同僚から酒でも飲みながら「社内での君の未来は明るくないぞ」などと言われたりするのも、よくありそうな場面じゃないですか。またブロックやコメント依頼は、意見が反対であることを理由とするものではなく、態度や方法が不適切であるためであって、かつ他者からも賛同を得ているものです。そして、それは威力によるものではありません。「お山の大将」という受け取り方は違うと思います。--Calvero会話2013年10月13日 (日) 03:16 (UTC)[返信]
      • 私もかつてkojidoi氏と議論したことがある者です。正直、傲慢・尊大な印象です。私が議論した項目は日本航空123便墜落事故でしたが、こちらの主張は一方的に独自研究と切り捨てるだけ。この墜落事故を教訓に油圧系統全滅に備えて訓練していたパイロットのおかげで全員死亡を免れたユナイテッド航空232便不時着事故についても一方的に切り捨てるだけでしたが、現在では「類似事故・事件」節に言及があります。kojidoi氏が再訪してきたら、これさえも独自研究として削除するのでしょうか。いや、私と議論していた際に「別の節を立ててなら言及は可能かもしれない」とでも言っておけば無用な反感を買わずに済んだと思うのですが。
      • kojidoi氏は確かにウィキペディアのルールに詳しいですが、ウィキペディアルール原理主義者みたいな印象です。どんな宗教や政治思想であれ、原理主義というのは何かが狂っています。どんなルール・法律にも欠缺(けんけつ。法律用語)があります。数学・論理学風に言えばゲーデルの不完全性定理ということになります。後者を彼との議論で言及しましたが、ご理解いただけなかったようでした。--Circodelsol会話2013年12月19日 (木) 00:56 (UTC)[返信]
        • 実はウィキペディアルールには原理主義者の発生を防ぐ意図のルールが埋め込まれています。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい/解説です。このルールを作った方は、どんなルールにも欠缺があることや、ゲーデルの不完全性定理のことを踏まえた極めて謙虚・聡明な方でしょう。kojidoi氏はよく「(ルール記載ページへのリンク)を何度でも読め」などの主張をしますが、上記のルールはご存知なのでしょうか。もしかしたら法学部出身の方かもしれませんが、罪刑法定主義(何をやったらどれほどの罪になるか事前に明示されなければならないし、理解していなくてはならない)といっても、普通の人は法律を一言一句把握してはいません。よく法学部で言われる冗談に、文字通り罪刑法定主義を適用するのなら、犯罪者になるのは法学部生・法曹・法学者だけというのがあります。この冗談からもルール原理主義は間違いだとわかるでしょう。ルールで全て仕切れると勘違いする人がいろいろ周囲と軋轢を起こすのです。--Circodelsol会話2013年12月19日 (木) 01:15 (UTC)[返信]
          • この差分のことなのでしょうが、フィクション作品の内容から当事者が暗に主張しているとするのは現実と虚構の混同を誘発させる行為です、例え作品解説の場所に書こうと独自研究であることに違いはありません。Wikipedia:ルールすべてを無視しなさいの精神は大事なのですが、Wikipedia:独自研究は載せないはもっと根本的かつ判りやすい規則です(サッカーでキーパー以外は手でボールを持たないとか、それぐらい基本的なルールです)。Circodelsolさんの会話ページでの発言の一部ですが、『「垂直尾翼滅失・油圧4系統全滅、即、墜落」というのが一般の認識と思われるので、それを正す意味で提示する意義はあると考えます。もちろん、「沈まぬ太陽」は小説ですから、「事実」の出典としては弱いでしょう。だから、「小説ではこう描写されていた」という書き方にしました。』は、先の差分も含めると色々な意味でWP:NORの基本精神に反するものに見えます。ルール厳守も軋轢を起こしますが、ルールの精神を理解しないことや曲解することは方針から脱輪する主要な要因です。--202.224.70.26 2013年12月19日 (木) 03:10 (UTC)[返信]
            • そうですね。独自研究だったというのはそのとおりでしょうね。出典主義のウィキペディアだから、それ自体はいたしかたありません。ただ、ユナイテッド航空232便不時着事故が別の節で復活しているように、実は言及可能だったと思われます。もう少し物の言いようがあるだろうということです。アメリカン航空191便墜落事故が実は無事に生還可能だったように、日本航空123便墜落事故も事実としては生還可能だったのかもしれません。再度言いますが、出典主義のウィキペディアではいたしかたないですが。まあ、山崎豊子の作品は小説といってもそれなりに信憑性がありますがね。
            • ちなみに、サッカーでキーパー以外はボールを持たないという例えを出されましたが、それだけに目を奪われていたら、ラグビーやアメフトは生まれなかったでしょう。ただ「キーパー以外は手で持つな。ルールブックをよく読め」と強硬に主張して軋轢を生むのはよくないでしょう。--Circodelsol会話2013年12月19日 (木) 04:01 (UTC)[返信]
くだけた言い方をしますと、wikipediaは「アクセスできる資料」から「確度の高い情報」をもってくることが基本なのです、でもって「何々だったかもしれない」を書くにはその分野から資料をもってこなけりゃならん、できなきゃ禁句です。ユナイテッド航空232便不時着事故については関連があるものなので日本航空123便墜落事故に短く記述することは大丈夫でしょう(とはいえ現状では似たような原因のものを無造作に関連事故に放り込んでるような状態で執筆者の主観寄りになっているような気もしますが)、ただそれと小説を使えるかは全く別問題です。山崎豊子作品についてはモノとしての出来は非常によいと思います、ですがフィクションと銘打たれたからにはそれを元に実際の事故についてどーだこーだ言ったら白い目で見られることになります。
対象の記事を信頼するならラグビーもサッカーもフットボールからの分化なんでルールの成立途上のことです。wikipediaは少なくともある程度ルールの根底が確立されており例えるところの「サッカーとして基本のルールが成立している」状態にあります。手を使わないことがルールとして定められたスポーツでハンドすればどのような扱いをされるかは考えるまでもないことです。--202.224.70.26 2013年12月19日 (木) 08:17 (UTC)[返信]