Wikipedia:井戸端/subj/「昭和最後の~」「平成初の~」といった表現を付け加える行為について

「昭和最後の~」「平成初の~」といった表現を付け加える行為について 編集

例えばスペースハリアーのコンシューマ版の節で、ファミコン版が「昭和最後のソフトになった」といった旨の記述があります。昭和と平成をまたいで存在するコンテンツやジャンルには必ず「昭和最後」「平成初」があるわけですが、こういった記述を追加するにあたっての特筆性の判断はどのように行うべきでしょうか?というより、そもそもこうした記述自体が必要でしょうか?ご意見をお願い。致します--Geso会話2018年6月12日 (火) 03:18 (UTC)[返信]

  簡単です。「出典に書いてあるかどうか」です。昭和や平成というのは元号法を根拠としています。例えば、1989年1月7日に発売されたものは「昭和という元号における最終日」に発売されたものですし、1989年1月8日に発売されたものは「平成という元号における初日」に発売されたものというのが自明となります。だからといって、「昭和最後の」とか「平成初の」というのは、単に書いたら主観的表現である(本当に「最後」「初」なのかについて検証されていない)と言えてしまうためです。
その部分は執筆者視点ととられかねない表現はできるだけ避けるべきですし、元号に基づく記述は単純に考えれば日本中心にならないに反しますから、平文だけの場合には使うべきではありません。特筆性の判断云々ではなく、Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点を満たしている出典を用意して、そこに書かれていることをWikipedia:出典を明記するに従って書けばよいでしょう。
結局のところ、昭和最後のとか平成初のという表現は、それだけでは「そのジャンルごと?事柄ごと?物事全般ごと?」と読み手にとってはどうとでも取れてしまいます。書くならば、素直に「出典に書いてある」「その作品の評価としての言葉」として載せたほうが適切でしょうという話です。もちろん、「書かない」という選択肢もあります。前後の文脈上、その『昭和最後の』などの表現が重要であるなら書く、そうでないならば書かない(元号が変わっても変わらなくても評価が同じなら必要ないと判断できる)という情報の取捨選択をするのも執筆者に求められるでしょう。--アルトクール会話2018年6月12日 (火) 03:37 (UTC)[返信]
  端的に言えば、アルトクールさん同様、「そう出典に書いているならば」ですね。
この手のは「21世紀最初の」「2010年代初の」「2018年最初の」「消費税5%の最初の」「ロンドン五輪閉幕後最初の」とかなんでもできちゃいますしね。
中身の話をすると、たとえば「発売日」が1989年1月7日だとしても、多くの人がプレイするのは結局1月8日以降だということになれば、そこに「昭和最後」の意義はほとんど見いだせないでしょう。逆に、発売はもっと前でもブームになったのが昭和時代の最後の時期という場合には「昭和最後の○○」みたいな評価が一般に浸透しているなんてこともあるでしょう。「昭和らしさ」みたいなものを持っているかどうかも、そうした評価を形成するかもしれません。いずれにせよそうした評価は信頼できる情報源に現れてはじめてウィキペディアに書くことを検討できるものです。(「検討できる」というのは、出典があれば何でも書いて良いということはなく、アルトクールさんがおっしゃる「情報の取捨選択を執筆者がすることが求められる」というのと同義です。)--柒月例祭会話2018年6月12日 (火) 15:50 (UTC)[返信]
  来年5月に新元号になる予定ですので、「平成で最後の~」「新元号では最初の~」という表現が出てくるでしょう。これらも同様に出典を参照しつつ、適切な表現なのか注意していくべきでしょう。--220.100.111.62 2018年6月13日 (水) 07:16 (UTC)[返信]
  そもそも、件のページにおいてもそれが特筆性を満たしているのか疑問であります。ウィキペディアは百科事典であって百日辞典ではなく、「1990年1月1日の初日の出は平成初の初日の出である。」「1989年に元号が変わったことにより、利根川進は昭和時代で最後のノーベル賞受賞者となった。」等のトリビア的記述が氾濫しJPOV以前にWP:NOTDIR.1やWP:IINFOに抵触する(ことを恐れない執筆者が増大する)リスクを考えると、小生は須らく削除すべきであると愚考いたします。もし仮にそれが容認されるとしても、各ページでいちいち記述するのではなく「昭和最後の一覧」みたいな字引ページを作るべきだと、恐れながら重ねて愚考いたします。--力在領域会話2018年6月14日 (木) 03:54 (UTC)[返信]
ありがとうございます。改めてスペースハリアーの当該部分を読み返しましたが、特筆性はないと判断して削除しました。--Geso会話2018年6月15日 (金) 03:11 (UTC)[返信]
  出典に書いてなかったとしても、前後の文脈などで昭和と平成の区切りが意味のあるものと考えられる場合は書いても良いと思います。例えばテレビせとうち#概要には「昭和年号で最後に開局した民放テレビ局」と書かれていますが、平成新局という言葉があるのでこれとの対比として有用だと考えられます。また上記の例では、ファミコンのソフトについてはそもそも昭和末期の時点でスーパーファミコンの開発が進められていることを考えると「昭和最後」と記載することにあまり意味はないと思いますし、「1990年1月1日の初日の出は平成初の初日の出である。」というのは全くの無意味だと思いますが、「利根川進は昭和時代で最後のノーベル賞受賞者となった。」というのは日本における研究活動の歴史を示すマイルストーンとして有用な気がします。日本に関する事物を記述するときにWP:JPOVは関係ありません。--新幹線会話2018年6月15日 (金) 11:21 (UTC)[返信]
利根川さんの例示には賛同できないですね。平成に代わるのに呼応して日本の大学や研究所や科学行政が何か方針を変えたとか体制を変えたとかいう話は聞いたことがありません(あるなら指摘してください)。それをマイルストーン扱いするのは、編集者が検証可能性を伴わない価値判断を勝手に付け加えているわけで、情報の合成です。厳に慎むべきことではないでしょうか。--2400:2411:C1E0:7D00:54A7:39F9:3FC1:340B 2018年6月17日 (日) 13:39 (UTC)[返信]