Wikipedia:井戸端/subj/ウィキペディアの読者というのは、どのような方を想定しているのでしょうか

ウィキペディアの読者というのは、どのような方を想定しているのでしょうか 編集

ウィキペディアの読者というのは、どのような方を想定しているでしょうか? たとえば、年齢だけとっても、こどもだったり、おとなだったり、様々だと思います。たとえば、文体や使用する漢字についてはどうでしょうか。こどもにとっては漢字ばかりの記事では難解でしょうが、おとなにとっては平仮名ばかりの記事では読みづらいでしょう。しかし、あまりにも難読漢字だらけの記事では、おとなにとっても骨が折れるかもしれません。どのくらいが妥当なのでしょうか? 義務教育程度? あるいは、常用漢字程度でしょうか? 漢字検定1級クラスではかなり読みにくい気もします。目安はないのでしょうか?

また、記事の内容についてはどうでしょうか。あきらかに日本の学習指導要領では小学校社会科6学年で習う学習範囲であり、義務教育程度の知識があれば容易に判別できるような内容について、声高に誤った主張を繰り広げている執筆者もいます。あるいは、もし小学校入学前の子供でもわかるように書くとなると、前提となる基礎基本から詳細に記述する必要があるため、あらゆる記事がくどくなるかもしれません。しかし、その分野の専門家しかわからないような書き方では、門外漢が読むとちんぷんかんぷんかもしれません。どのくらいが妥当なのでしょうか? 義務教育程度? あるいは、常用漢字程度でしょうか? たとえば生物の記事で、第一線の生物学者でないと理解できないような記述が延々と続くような記事は、かなり読みにくい気もします。目安はないのでしょうか?--111.191.64.51 2012年12月21日 (金) 14:53 (UTC)[返信]

これは確か前にも話題に上ったことがあると思います。どこかに読者の目安があったような気がするのですが、とりあえず:
  • 専門的な項目では難しい概念を表すための専門用語が必要になることもあります。その項目の中で専門用語を説明することはむしろ奨励されていますし、必要に応じてその専門用語のための独立した項目を作る場合もあるでしょう。(Wikipedia:ガイドブック 編集方針
  • ウィキペディアの記事を、読者がその主題の分野に精通しているという前提で書いてはなりません。記事名には専門用語ではなく一般的な用語を使用するべきです。また、記事の導入部や冒頭部の数段落における概要説明は、平易な言葉遣いと概念で書き、教育を受けていればその分野に関する特定の知識をまったく有せずとも理解できるようにし、その後、より詳細な説明に進むようにします。その分野のより専門的な用語や概念に対してはウィキリンクを提供すべきですが、記事そのものは、読者がリンク先を見ず、文章から意味を推察しようとすることを前提として書くべきです。(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアはマニュアル、ガイドブック、教科書、学術雑誌ではありません
となっています。英語版だと分野ごとに、たとえばWikipedia:Manual of Style/Medicine-related articlesというようなスタイルマニュアルがあって、具体的にどういうターゲットを想定してどういう書き方をすればよいかが説明されてます。
専門的な事柄を専門外の人にも分かるように書くのは、ウィキペディアの記事執筆の醍醐味だと思ってます。生物の記事で、第一線の生物学者でないと理解できないような記述が延々と続くような記事は、かなり読みにくいということでしたら、ぜひ分かりやすくなるように書き直していただければと。あるいは、ノートなどでどの部分が分かりにくかったかを具体的に指摘していただければ、執筆者にとってすごく参考になりますし、励みになります。生物学の記事に関して義務教育で出てくる用語しか使ってはならないとしたら、おそらく百科事典の記事としてほとんど役には立たないでしょう。専門用語には簡単な解説を付ける、詳細は専門記事にリンクして、そのリンク先で説明する、というふうにすることでダイナミックな理解に役立つ記事を書くことができると思います。--Bugandhoney会話2012年12月21日 (金) 15:34 (UTC)[返信]
  コメント 漢字などの文字表記については「ある程度の」緩い目安をWikipedia:表記ガイドに定めてありますが、内容についての具体的な「規則」は特にありません。理想的な記事の目安についてはWikipedia:完璧な記事Wikipedia:秀逸な記事の選考にいくつか記述があります。
しかし一般的には、それをわざわざ定義し、束縛されることはウィキペディアでは行われません。その記事によって、想定される読者のレベルは違いますので、一定の目安を定めることはかえってデメリットのほうが大きくなります。一般的な・よく知られた題材と、そもそも一部の人間にしか知られていないような題材を一緒に扱う訳にはいきません。百科事典や広辞苑などをひいてみてください。理解できる項目もあれば、十分に(または全く)理解できない項目もあるでしょう。「誰にでも(その一個の記事だけで)内容を理解させる百科事典」などというのは実現できませんし、考えても仕方がありません。
少なくとも、「就学前」「義務教育程度」「常用漢字程度」といった制限はありませんし、不要でしょう。それと、良くも悪くも、ウィキペディア日本語版には『第一線の生物学者でないと理解できない』ほど高度な記事は存在しないと思います。--氷鷺会話2012年12月21日 (金) 15:55 (UTC)[返信]
  コメント 日本語表記としては、私は高校生程度になら読み理解でき、中学生でも成長の早い人ならやはり読み理解できる様に書いていますし、ja-4、すなわち日本語を母国語としていらっしゃらない方にも、ある程度理解して頂ける様な、平易な言い回しを意識することが多いです(私の記事は一線級の執筆者から見ればバカみたいな出来でしょうが、一応そういう考えもありますし、こういう作りは加筆修正も楽なのです)。よって過度に専門的な言葉には(これは学習程度や社会常識の意味からも)、ただ内部リンクを貼るだけでなく場合によっては括弧で簡単な注釈を入れますし、過度に読み難い言葉には、あまり目障りにならない程度に読み仮名を付ける場合も有ります。内部リンクの是非も含め、取捨選択には一応、中学生、高校生、門外漢、外国人、をある程度意識しています。ただしあまりに意識していると、メインターゲットであるja-4の分別有る大人、にとってうざったいものになってしまいかねませんから、バランスを取るのは難しいものです。--Hman会話2012年12月22日 (土) 06:35 (UTC)[返信]
  コメント みなさん、コメントありがとうございます。専門家だけが理解できるような記事内容は、あまり推奨されていないのですね。ただ、明確な基準みたいなものは設けられていない、ということですね。Hmanさんの「おおむねのめやすの例」はわかりやすいと感じました。わたしもこれからはそのあたりを意識して執筆したいと思います。
なお、冒頭に「義務教育程度の知識があれば容易に判別できるような内容について、声高に誤った主張を繰り広げている執筆者」を例として挙げていますが、そのような執筆者であっても私がノートで根気よく説得したころ、最後は「改めて虚偽記載の件に関して深く謝罪致します」とのコメントをいただきました。別にそのノートでの議論だけを相談したかったわけではないでし、その執筆者の名誉と尊厳を守るため、ここではその方の名前やその記事の名前を挙げるつもりはありません。ですが、この件を通じて、きちんと議論することの大切さを学んだ気がします。ひとによって「記事内容の基準は違う」わけですから齟齬が出ることもあるでしょうが、そのときには、基準が違うことを理由につの突き合わせるのではなく、対話して認識のその後を埋めていきたいと思います。--1.112.68.177 2012年12月24日 (月) 08:27 (UTC)[返信]
あなたのしていることは、問題提起ではなくただの嫌がらせではないですか。「その執筆者の名誉と尊厳を守るため、ここではその方の名前やその記事の名前を挙げるつもりはありません」と言っていますが、あなたの投稿履歴を見れば一発でわかるじゃないですか。--126.112.226.34 2012年12月25日 (火) 20:45 (UTC)[返信]
  質問「問題提起ではなくただの嫌がらせ」とのことですが、どの部分が嫌がらせに該当するのでしょうか。ここではそのノートについてのみ議論しているわけではないので、積極的に「その方の名前やその記事の名前を挙げるつもりはありません」といっているのです。「投稿履歴を見れば一発でわかる」とのことですが、たしかに私の投稿履歴を辿って推論することは可能かもしれませんが、ウィキペディアでは全ての投稿は適切なライセンス下で公開されることに全執筆者が同意しているはずです。私の投稿履歴を経由することで「あきらかに日本の学習指導要領では小学校社会科6学年で習う学習範囲であり、義務教育程度の知識があれば容易に判別できるような内容について、声高に誤った主張を繰り広げている執筆者」が誰なのかがわかってしまうかもしれません、が、投稿内容が公開されることに同意している以上、誰なのかがわかってしまったからといってそれが問題とは思わないのですが。ただ、だからといってここで個人名を挙げて議論することは本来の目的とは異なるため、「その方の名前やその記事の名前を挙げるつもりはありません」と配慮した次第です。なお、「最後は「改めて虚偽記載の件に関して深く謝罪致します」とのコメントをいただきました」と書いた通り、その執筆者はきちんと非を認めて謝罪しております。その執筆者をことさらあげつらうつもりなど毛頭なく、なぜ「問題提起ではなくただの嫌がらせ」などとおっしゃるのかきちんとご説明いただけますでしょうか--114.48.53.105 2012年12月26日 (水) 14:47 (UTC)[返信]

提案 編集

  提案 記事を執筆する人は、必ず事前に本とか新聞とかで裏をとってから記事を書くべきです。そうでない人は記事を書いてはいけないと思いますが、いかがでしょうか。質を上げるためにも「本や新聞などで裏をとらないまま執筆することを禁止する」「何で裏をとったか説明しないで記事を書くことを禁止する」ことを提案します。--Tokosokuhookoku会話2012年12月27日 (木) 22:28 (UTC)[返信]

  コメント まず、「Wikipedia:独自研究は載せない」「Wikipedia:検証可能性」をご覧ください。あわせて、「Wikipedia:出典を明記する」もご覧ください。Tokosokuhookokuさんのご意見は、提案するまでもなく、既に日本語版の方針やガイドラインとして採用されております。
問題は、これらの方針やガイドラインがあるにもかかわらず、それを無視したり軽視したりする利用者が後を絶たないという点です。冒頭の「日本の学習指導要領では小学校社会科6学年で習う学習範囲であり、義務教育程度の知識があれば容易に判別できるような内容について、声高に誤った主張を繰り広げている執筆者」の例でいえば、方針やガイドラインに従い文献等をきちんと確認すれば間違いに気づいたはずです。しかし、それを怠ったばかりに虚偽の内容が書き込まれてしまった、という事例です。「方針やガイドラインを無視した結果、害悪をもたらした」という典型的な事例でしょう(もっとも、「義務教育程度の知識があれば容易に判別できるような内容」ですから、文献確認するまでもなく小学6年生でも誤りだと即座にわかるような内容ではあるのですが)。--114.49.40.31 2012年12月29日 (土) 00:28 (UTC)[返信]
  コメント既にWikipedia:検証可能性があります。
おうおうにして、「義務教育を受けていればわかる」などと言って、相手方を批判する方がいらっしゃいますが、実際に「あきらかに日本の学習指導要領では小学校社会科6学年で習う学習範囲であり、義務教育程度の知識があれば容易に判別できるような内容」ではないこともあります。そのような場合は、批判している側にも問題があります。
かつて義務教育で学んだ範囲や内容と、最近の義務教育で扱う範囲や内容は必ずしも同じではないですし、義務教育で学ぶようなことであっても、より信頼性の高い資料を確認し、それを根拠として示して、相手方にも確認して貰うというのが望ましい姿勢だと思います。
「ノート:安倍内閣」をざっと眺めたところ、一般的な報道などであまり厳密ではない用法があり、その事柄についてあまり詳しくない執筆者が誤って内容を理解し、あるいは意味が変わるような形で内容を補ってしまったということで、議論になってしまったように思われます。
Wikipedia:善意にとる」という文書もありますから、虚偽だといって責めるのではなく、知識がある人が淡々と信頼できる情報源や参考となる文献を示しながら修正し、補うこと、また間違った人は自分の知識や情報源がどの程度専門的・厳密なものか、そうでないのかということに自覚を持ち、他者の指摘を謙虚に受け止めることが、共同で作業するウィキペディアでは重要なことと思います。--Ks aka 98会話2012年12月29日 (土) 08:34 (UTC)[返信]
  コメント Ks aka 98さん、ご指摘ありがとうございます。Ks aka 98さんの「一般的な報道などであまり厳密ではない用法があり、その事柄についてあまり詳しくない執筆者が誤って内容を理解し、あるいは意味が変わるような形で内容を補ってしまった」とのご指摘ですが、「その事柄についてあまり詳しくない執筆者」が執筆するのであれば、なおさら出典を確認することが大事だと思います。また、出典を確認することで、「その事柄についてあまり詳しくない執筆者」が自分の事実誤認に執筆前に気づける可能性がある、という利点もあるかと思います。
なお「一般的な報道などであまり厳密ではない用法があり」とのことですが、この書き方だとあたかも「一般的な報道」の側に問題があったかのように誤解なさる方がいるかもしれません。しかし、上記の「声高に誤った主張を繰り広げている執筆者」の例では、法的用語ではない単語を含むものの、報道内容自体については特に誤りはありませんでした。問題は、誤りとは言えない報道の内容を、執筆者がわざわざ誤りの内容に改変して書き込んでいたことですから、上記の事例については執筆者に非があるかと思います。
ただ、誤編集については誰もが起こす可能性がありますし、誤りに気付いた他人が修正できるのがウィキ方式のメリットだと思います。上記の事例での問題は、意図せず誤りを書いてしまったことよりも、それを指摘されたときに故意に嘘をついて誤魔化そうとしたことの方がより重大な問題だと思っています。この執筆者が「自分の知識や情報源がどの程度専門的・厳密なものか、そうでないのかということに自覚を持ち、他者の指摘を謙虚に受け止める」ようになってくれるとよいなと思いました。また、「淡々と信頼できる情報源や参考となる文献を示しながら修正し、補う」という点は心にとめておきたいと思います。--114.48.156.22 2013年1月5日 (土) 20:10 (UTC)[返信]