Wikipedia:井戸端/subj/ガイド「掲載すべきでない外部リンク」の解釈について

他の百科事典への外部リンクの是非について 編集

Wikipedia:外部リンクの選び方#掲載すべきでない外部リンクの「記事に含まれている内容を本質的に超えないもの。これは、その記事が将来秀逸な記事に選定されたとき、当然含まれるべき内容以上の記述を持たない外部サイトへのリンクも掲載すべきでないことを意味します。」というガイドの解釈について、皆様のご意見希望です。複数記事の「外部リンク」の節に、ウィキペディア以外のネット百科事典などの該当項目のリンクを掲示している方がいます[1][2][3]。私が「編集内容の要約」に上記ガイドのリンクを記載して削除し、更に本人の会話ページ(利用者‐会話:Miki08#多数の記事でのガイドに違反する外部リンクの追加について)に理由を記載しましたが、会話を続けても同じガイドの解釈が平行線になっており困っています。私の認識では、確かに一般論では他の百科事典へのリンクは参考にはなるが、それらの必要な内容は最終的には記事本文に含まれるべきもので、別の百科事典の該当項目へのリンクは各既述の出典には使用できるが、しかし「外部リンク」の節に単独で記載するのは不適切、と解釈しています。実際、各国語版でも日本語版でも大多数の記事では「外部リンク」をそのようには使用しておらず、仮にこれを認めるときりがありません。いかがでしょうか?--Rabit gti 2010年11月20日 (土) 15:09 (UTC)[返信]

リンク先相当の内容を加筆して、参考文献節へ移動すれば良いと思います。「加筆せずにリンクのみを加えることが問題である。」ということならば論点が変わってきますが。- NEON 2010年11月20日 (土) 15:09 (UTC)[返信]
すみません、NEONさんの書かれた「リンク先相当の内容を加筆して」とは、「記事本文に仮に不足があれば、外部リンク先も参考に記事本文に相当の内容を既述して、外部リンクはその参考文献として掲示すればよい」との意味でしょうか?それであれば私の理解と同じです。しかしMiki08さんは「利用者‐会話:Miki08#多数の記事でのガイドに違反する外部リンクの追加について」で「日本大百科全書などの百科事典が「記事に含まれている内容を本質的に超えないもの」ではなく、「記事の内容についての読者の更なる理解への助けとなる」ことも明らかです。多くの記事で百科事典への外部リンクが掲載されていないことは、ガイドライン違反の証明にはなりません。」と書き、他のネット百科事典の「リンクのみを加える」事も正当化しています。これはガイド上も実際上も不適切と私は思いますが、こちらはいかがでしょう? なおMiki08さんは、ノートでのPOV議論中に記事の先頭に外部リンクを掲示した[4]後に、ノート:ファシズムで「ウィキペディアでは、必要な場合は、外部リンクを記事冒頭に置くことも許されています(Wikipedia:ルールすべてを無視しなさい」と書いており、ガイドの独自研究すぎる解釈を懸念しています。(それぞれ反論済ですが、類似の編集や主張を含めると1年ほど続いています)--Rabit gti 2010年11月21日 (日) 02:05 (UTC)[返信]

  コメント Rabit gtiさんと議論を続けているMiki08です。

(1) 論点 と 私の主張

他の百科事典への外部リンク(たとえばファシズムの記事Yahoo百科事典への外部リンクを追加すること)は、掲載すべきでない外部リンクの「1.記事に含まれている内容を本質的に超えないもの。」には該当せず、「記事の扱っている事柄についての理解を促進する」(Wikipedia:外部リンクの選び方の冒頭)ものと考えます。

(2) 記事改善の困難性 と リンクの必要性

ファシズム国家社会主義右翼などの記事は、他の百科事典の記述内容との差が大きく、私も何度か加筆しました。しかし、多くの場合 Rabit gtiさん(右翼の記事ではNakata88さん)に差し戻され、他の百科事典との差を埋めることができませんでした。詳しくは、ノート:ファシズム#ファシズムは本来はムッソリーニの思想以降の議論やノート:右翼#右翼の冒頭の文などをご覧ください。とくに「ファシズム」の記事では、「ファシズムの記事の大部分はファシストの主張の中立的な記述であるべき」と主張するRabit gtiさんによって、ファシズムに無批判な記述が大量に追加され、ファシズムに批判的な記述にはありったけの批判を浴びせて追加させないようにされています。このような場合、ウィキペディアの記事が社会に悪影響を及ぼすのを少しでも減らすために、他の百科事典への外部リンクを掲載することはむしろ必要と考えます。--Miki08 2010年11月22日 (月) 02:59 (UTC)[返信]

  コメント ファシズムについて、Yahoo百科事典への外部リンクを WP:EL のみを以って退けることは難しいと思います。政治学者の田中浩氏が執筆していて、参考文献も挙がっている。素人目には内容自体も問題無いと思います。Rabit gti 氏も「出典には使用できる」と述べているので、情報源としての質に関しては争いが無いでしょう。少なくとも、記事が未だ網羅していない内容を含む限りは、掲載を拒否することはできないと思います。

今回真に問題なのは、Miki08 氏の挙げた問題点(2)の方だと思います。Miki08 氏が記事の内容に異議を呈し、その解決を図るために外部リンクを冒頭に置いたり、冒頭に独断で注意を加えたりなど不適切な行動をとりました。その(記事に対する「注意喚起」の)一環として外部リンクの追加が行われているがゆえに、Rabit gti 氏はこれを制したいのではないかと感じました。

もしそうであるならばの話ですが、「掲載すべきでない外部リンク」の解釈論は、POV の相違に由来する争いの表現形の一端に過ぎず、ここで煮詰めたから何かが解決するものではありません。ファシズム国家社会主義右翼あたりの記事をまとめて、もしくは議論の当事者全てに対するコメント依頼を出して、根本的な解決を図るべきではないかと思います。- NEON 2010年11月22日 (月) 03:56 (UTC)[返信]

  コメントNEONさん、コメントありがとうございます。根本の議論の(2)は以下に節を分けました。ただし(1)は、経緯は(2)のPOV議論の中から発生しましたが、独立した議論でもあります。リンク先の情報源としての質には争いはありません。しかし「外部リンク」に別のネット百科事典が単に掲載されているのは異様で、大多数の記事にも各国語版にもほとんど無く、複数のネット百科事典が列挙されれば Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか の「辞書ではない」「リンク集ではない」にも該当し、これを許容すれば「発展途上の記事には全て外部の百科事典のリンクを貼る事が推奨」となりかねません。つまり単独の議論でも不適切と考えています。最終的には、必要な内容は記事に反映させ、その出典として外部リンクを記載する(できれば本文中に注釈を挿入する)方が妥当と思います。--Rabit gti 2010年11月22日 (月) 05:30 (UTC)[返信]
(反論、タイトル変更の提案)
  • 「異様」では何の説明にもなっていません。
  • 頻度が少ないということは、ガイドライン違反の証明にはなりません。
  • ネット辞書へのリンクが複数掲載されても、ウィキペディアは辞書にもリンク集にもなりません。それは本文次第です。
  • 発展途上の記事に他の百科事典へのリンクが貼られることは、読者にとって好ましいことではないでしょうか?
議題を絞り、節タイトルを「他の百科事典への外部リンクの是非について」に変更して、議論に参加しやすくすることを提案します。--Miki08 2010年11月25日 (木) 13:33 (UTC)[返信]
異論がないので節タイトルを変更します。--Miki08 2010年12月4日 (土) 05:17 (UTC) 変更しました。--Miki08 2010年12月5日 (日) 00:33 (UTC)[返信]

中立的な観点とは何か 編集

  コメントNEONさん、コメントありがとうございます。私も(2)のPOVが根本の議論で、(1)はその中でMiki08さんが発生させた行為にすぎないと思います。話題が(2)中心になるので、節を階層化しました。まず、上記にMiki08さんが、私(Rabit_gti)の主張と書いた「ファシズムの記事の大部分はファシストの主張の中立的な記述であるべき」は不正確で、正確にはMiki08さん掲示のリンク先ノートの通り、「現在当記事の95%以上は英語版からの翻訳で、大多数がファシストの言動の中立的・客観的な記述で、歴史的な変遷、多くの立場からの批評・批判などが、多数の出典付きで記述されており、各国語版とも同等の記述です」 および 「思想・政治系の記事で「批評・批判」をまとめた構成は日本語版を含めた各国語版で一般的です。」です。これに対してMiki08さんは「ナチス・ドイツや戦前の日本を含むファシズムが、人類に多大な惨害をもたらしたことは世界的な共通認識です。」、「ファシズムがおこなった言論弾圧も対外侵略も事実であり、ファシズムに批判的とおもえる記述が多くなるのは自然なことです。」として、ファシズムへの批判を(定義の節や、批判・批評の節だけでなく)記事全体にも記述すべきと主張しています。どちらも Wikipedia:中立的な観点 を根拠にしています。しかし私は「世間で批判の多い思想は記事全体で否定的に書かなければ中立的ではない」というような意見は、逆にウィキペディアのガイド上、中立的ではないと思っています。--Rabit gti 2010年11月22日 (月) 04:04 (UTC)[返信]
  コメント NEONさん、ありがとうございます。
(1) タイトルを見て何を議論しているか分かるようにするため、タイトルを「中立的な観点とは何か」から「ファシズムの記述における中立的な観点とは何か」に変更することを提案します。
(2) Rabit gtiさんの説明に対する一部反論
私は「否定的に書かなければ中立的ではない」と逆説めいたことを主張しているのではありません。「ファシズムについて中立的な観点で書けば、批判的とおもえる記述が多くなるのは自然なこと」と言っています。暴力団や霊感商法を中立的な観点で記述すれば、批判的とおもえる記述が多くなるのと同様です。逆に、ファシズムに無批判な記述(ファシスト自身の主張など)を大量に増やし、批判的な記述を厳しく制限することは、中立的な観点に反します。
(3) 意見の相違の原因
Rabit gtiさんはウィキペディア英語版を根拠にしていますが、私はウィキペディア以外の複数の百科事典、xx事典、辞書、教科書を目安にするべきと言っています。ウィキペディアの記事は、多数の出典がついていても偏っている可能性があり、基準にはできません。--Miki08 2010年11月22日 (月) 07:05 (UTC)[返信]
  コメント 上記のMiki08さんの「反論」は、ノート:ファシズムでは私から反論済ですが、簡単に繰り返します。(1)今回ガイドの解釈は、ファシズムの記事に特有な話ではありません。私は Wikipedia:中立的な観点 は全ての記事で平等に適用されるべき(記事がファシズムであれ、解釈や記事構成を変えるべきではない)と主張し続けています。(2)世間で批判が多い思想・運動に、記事を批判的(あるいは逆に肯定的)に記述するのは、「中庸的・折衷的」とは言えても、ウィキペディアでのWikipedia:中立的な観点ではありません。Miki08さんはガイドの解釈が独自研究すぎます。他記事と比較してもファシズムは「定義」と「批評・批判」で、多数の批判を併記済です。また「中立的・客観的な記述」は「ファシズムに無批判な記述」とは異なります。(3)英語版は出典ではなく参考(翻訳元)ですが、その多数の出典も記載しており、一般的な教科書等とも大差ありません。Miki08さんは「現在の「ファシズム」の記事は、日本語版、英語版とも、ファシストの立場からの記述が多すぎ、ファシスト寄りに非常に偏っているといえます。」とも書いていますが、他の各国語も大差ありません。逆にMiki08さんは日本の高校教科書やマスコミでも一般的ではない「天皇制ファシズム」などの多数の政治的な記載を、断定的に再三繰り返しています。(4)ノートでは私は何回も説明・反論していますが、Miki08さんは2010年10月19日を最後に未回答が続いています。Rabit gti 2010年11月22日 (月) 09:02 (UTC)[返信]
ファシズムとは政治思想の一種ですから生粋の学者の書いたものが一番ですが、いわゆる識者の意見、評判の良い新聞の社説、国会議員の意見も排除できないと思われます。百科辞典もWPでは信頼できる情報源とみなされており、「それだけで満足」であれば好ましくないのですが排除されるべきとはならないでしょう。リンクされているかどうかはあまり問題にはならないですよ。--Gyulfox会話2013年12月9日 (月) 05:59 (UTC)[返信]