Wikipedia:井戸端/subj/メディアで大きく取り上げられたことは「特筆性」ではない?

メディアで大きく取り上げられたことは「特筆性」ではない? 編集

[1][2][3]にありますような記事の除去についてですが、いずれもマスコミ報道を基にした書き込みが削除された様子ですが、これらの事象はいずれも、当時新聞などで大きく報じられていましたし(社会面のトップだったりしました)、当初書き込まれた投稿者の方としては特筆性があると判断したものと思われます。ただ、ほかの利用者との間では、認識の相違もあると思いますし、マスコミで大きく報じられることが特筆性を満たすか否か、少々御教示下さい。 --平成の岩窟王会話2013年5月11日 (土) 03:49 (UTC)[返信]

大きく報道されたことが何でもWikipediaに記述するべき内容であるかといえば、そうではないでしょう。提示いただいている差分とは違う例で説明しますと、松井秀喜逆転ホームランというような頻繁にある出来事を記述するべきではないでしょう。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません。--Tiyoringo会話2013年5月11日 (土) 04:23 (UTC)[返信]
新聞報道されたということは典拠の提示があるわけですから、それ自体は特筆性が推認されるひとつの大きな理由になると思いますし、記述の除去が納得できなければ、ノート等で合意形成を図る議論を起こすべきであろうかと思います。しかし、一方では、新聞に記述があれば何でもその記事に書けるかといえば、それは別の話でしょう。記事主題に無関係であることはもちろん書くべきではありませんし、関係が希薄であれば、どの程度の量を記事に盛り込むかはその都度検討されるべきでしょう。また、主題全体からみて瑣末と思われる事項を多数あげる必要がないと考えられる場合もあり得ます。
いずれにせよ、個別のケースについて、それぞれに適切な場で議論を積み重ねることが重要です。典拠のある記述が合意なく除去されたのは納得できない、として、ノートページで問題提起をされてはいかがでしょうか。
なお、挙例されている案件は、いずれも同じ人物が記述を除去していますが、これが偶然ではなく、その特定の利用者の編集姿勢に問題があると平成の岩窟王さんが考えなのであれば、コメント依頼を提起されるのが適切な方法かと思います。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 04:25 (UTC)[返信]
人数の多さによる遅延や騒いだ割に大したことなかった事件は、一時的に世間の話題をかっさらうものの駅やシステムの歴史を語る上で後々重要になるとも言えません。また、過剰なほど慎重な対応を取ろうとするがあまり入場を拒否すると言うケースは車椅子に限らず障碍者の扱いを巡ってよく起こることです。書くのであれば障碍者に関する全般的な話題を扱うページで説明すべき内容だと思います。--Marine-Bluetalkcontribsmail 2013年5月11日 (土) 04:34 (UTC)[返信]
  コメント 百科事典は「ニュースの寄せ集め」ではありませんので、ただ「報道された」だけの情報が記事に書いてよい内容とは限りません。たとえそれが一面記事であろうと、それだけの理由で記事に「書き込んで」良いとは限らないでしょう。私でも、挙げられた3点の記述は除去したと思います。--氷鷺会話2013年5月11日 (土) 04:41 (UTC)[返信]
  コメント特筆性は、基本的には単独記事にするかどうかの基準なので、ここで「特筆性」という言葉を使うと混乱すると思います。「Wikipedia:特筆性#記事内容の特筆性」は、「Wikipedia:中立的な観点#中立的な観点とは何か? 「偏りのない」「中立的な」というのはここでどのような意味で使われているのか?」を参照させてます。ある事柄が単に「検証可能」だからといって、それをウィキペディアに書いてよいとは限りませんから、「Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか」を参照して判断することになります。--Ks aka 98会話2013年5月11日 (土) 05:11 (UTC)[返信]