Wikipedia:井戸端/subj/未査読状態の明示と免責事項の周知

未査読状態の明示と免責事項の周知 編集

Wikipediaでは秀逸な項目は未だしも、殆どの項目は出典が無い等により信頼するに足らない状況です、にも関わらず「百科事典」の副題が閲覧者に対し無闇に内容を信用させかねません。その対策として、勿論出典を付ける等内容の改善はすべきなのですが、一朝一夕という訣には行かない為、「未査読状態の明示」や「免責事項の周知」を行うべきと考えます。

「未査読状態の明示」ですが、秀逸/良質な項目にしても、{{要出典}}にしても、誰かが能動的に記さないと判明しません。そういった項目にも問題が無いか不明である事――「未査読状態の明示」を行いたいです。

「免責事項の周知」としては、現在ページ最下部にある「免責事項」を例えばMediaWiki:Sitenoticeに無保証である旨の一文と共にリンクを掲示するといった、「目立たせる」事を行います。

特に前者は、通常の編集では実現しかねるものなので、なるべく簡便な良い案があれば宜しくお願い致します。

尚、英語版にはen:Wikipedia:Version 1.0 Editorial Team/Assessmentというものがあり、項目への表示は「Display an assessment of an article's quality as part of the page header for each article.」というガジェットを利用しています。--kahusi (會話) 2010年7月13日 (火) 13:10 (UTC)//改訂--kahusi (會話) 2010年7月13日 (火) 14:15 (UTC)[返信]

追記:要はWikipediaを信頼しないでくれとWikipedia側が云うという事をやって行くべきであると考えます。--kahusi (會話) 2010年7月13日 (火) 14:15 (UTC)[返信]

  コメント 全てのページに「信頼出来ません」と書く必要性が私にはよく分かりませんので、もう少し詳しく説明していただけないでしょうか。ウィキペディア日本語版(に限らず、なんでもそうな気もしますが)を利用するに当たって注意しておいてほしいこと(読者に伝えたいこと)は他にもあると思いますが、それらも全てヘッダーないしはフッターなどに表示するのでしょうか?そして、それを書くことで、何が良くなり、何が悪くなるのか、具体的に教えてください。--青子守歌会話/履歴 2010年7月13日 (火) 14:28 (UTC)[返信]
  コメント: 良いことと言いますか、明示する事によって、誤っている可能性の高い情報を閲覧者がうっかり信用する事を防ごうとする狙いがあります。情報の真偽を疑うというのはWikipediaに限らず一般に通用する事ですが、ことWikipediaでは「百科事典」の副題宜しく、さも権威がある様な風貌で、既に閲覧者に誤解を与える構成である為、それを払拭しようと提案した次第です。
また信頼性というのは一般論であるが故にWikipediaの各種規則より更に閲覧者が注意すべき事項である為、最低限の記述とすべきヘッダにおいて、優先的に掲示すべき事柄となるでしょう。--kahusi (會話) 2010年7月13日 (火) 14:52 (UTC)[返信]
記事の信頼性を明示することと、免責事項は分けて考えるべきだと思います。たとえば、記事に免責事項を載せないという考え方があって、英語版ではガイドラインとして運用されています。免責事項のリンクが一番下にあるのは分かりにくい、という意見はあると思いますが、特定の記事にだけ強調するのは言い訳のようで気が進みません。
ただ、ウィキペディア(少なくとも日本語版)がその内容以上に有名になりすぎているという危機感はもっともだと思います。記事の質を分かりやすく提示していくことは有用です。たとえば、現在の{{出典の明記}} は編集者に対して出典を求めるものですが、読者向けの警告を加えるといったやり方も考えられます。--有足魚 2010年7月13日 (火) 15:23 (UTC)[返信]
免責についてはSitenoticeの例の様に、全ての項目に表示される方法で顕示すべきです。「記事に免責事項を載せない」は特定項目に対する免責の表示という事に重点を置いている様なので、矛盾は起きないのではないでしょうか。
一方「未査読状態の明示」は{{出典の明記}}の裏返しとも言えるもので、これもまた、システム上「未査読状態」・出典の明記・秀逸/良質な項目の何れかが明示されている状態になる様に設計されるべきと考えます。
或はen:Wikipedia:Version 1.0 Editorial Teamを導入するのも手ですが、ガジェットを設定しない限り、項目内には表示されないのがネックです。--kahusi (會話) 2010年7月13日 (火) 22:11 (UTC)[返信]
  コメント記事の善し悪しは読者が判断すべきものだと思いますが、英語版にあるような[1]記事タイトル横に記事状態を示すアイコンを表示するのはいいかなと思います。もっとも、秀逸な記事が付いているからうのみにしていいわけでもなく、結局は読者判断になるわけですが。
また、「要出典」も「良質・秀逸」も付いていない記事は未査読扱いでもいいかなと思います。これはどちらかといえば、良質・秀逸を増やしていくためのパワーの方が問題なのかと思います。プロジェクト単位での良質・秀逸を作って盛り上げていくというのも一つのアイデアかと思います。Fuji 3 2010年7月14日 (水) 04:34 (UTC)[返信]
月間新記事賞月間強化記事賞執筆コンテストというのもあるのですが、それでも69万近くある項目の中の、恐らくは数百項目に留まらざるを得ません(数値は未検証)。
今回の提案の目的は、閲覧者に対しWikipediaを無闇に信頼しない事を喚起する為ですので、この提案に取って代る様な案があれば、どうぞ仰って戴いてかまいません。--kahusi (會話) 2010年7月14日 (水) 08:40 (UTC)[返信]
  コメントいくつか考えたことを書いてみます。
まず、ちょっと用語の選択が、わかりにくくさせているように思いました。
「免責事項の周知」とありますが、免責事項は、たとえ秀逸な記事であっても正しさを保証しない、何かがあったときに、責任を回避するために置かなければならない、という類のもので、一般的な信頼度への注記とは、異なる目的のために設置されているものです。読者のために、注意を喚起する文章をどこかにおこう、という提案であるならば、免責事項と関係なく、考えるほうが好ましい。
ウィキペディアの参加者にとっては、出典がないものは信頼性が担保されていると考えるべきではなく、また、閲覧者にとっては信頼性がわからない、わかりにくいものとなっている。ただし、かなりの項目は、出典がないとはいえ、また決定的に情報が欠けていたり、偏りをみせていたりするとしても、それなりに間違っているわけではないという状態だと思います。なので、ぼくは免責事項とは別に断り書きを置くことに、あまり必要性を感じていません。サイトノーティスを使うことは、あまり賛成できません。
たとえば、サイドバーのあたりに、「ウィキペディアは誰でも編集できる百科事典です。誤りや不足もありますが、誰でもそれを修正することができます」というようなことを書くということは、考えられると思います。
「未査読状態の明示」のほうですが、これも、論文などでいう「査読」というのは、相当難しく面倒なことで、査読を受けたと言えるような記事は、ウィキペディアにはおそらく存在しないと思います。ウィキペディアでは、その記事について一番詳しいのは、多くの場合、その執筆者だったりします。その内容の正確さを、きちんと判断できるだけの能力を持つ人がいて、その記事に合わせて検証するという意味での「査読」は、まだ数年は行われないのではないか。
用語はともかくとして、ここで求められるのは、「問題が無いか」の確認だと理解します。では、どの程度の判断で問題がないとしていいかどうかという基準については、どのように考えているのでしょうか。
ひとつは、秀逸や良質のような、優れたものの評価というのではなく、かなり危ういものと、そこそこマシなものの区別を付けるような記事の格付けを行なうことが求められているのかなと思いました。判断はある程度機械的にできるようにしないと、作業をする人が限定されてしまいますから、まったく情報源が示されていないもの、少なくとも一つは示されているもの、主要な話題に対して情報源が示されているもののような区分になるでしょうか。今のテンプレは、ちょっと強い調子で出典を求めていて、また運用としても特に問題があるものに対して出典を求めるために使われているように思いますが、より穏当な印象を与えるような出典を求めるテンプレを作り、とにかく全部の記事に貼る、出典がひとつでもあれば剥がす、というようなことはできるかもしれません。これなら、周知されれば機械的な判断で作業が進む。
kahusiさんの意図としては、今の良質な記事で求められている水準よりも、もう少し気軽なものとして「普通の記事」という基準を作る、あるいは良質の基準をもう少し下げるというようなものなのかもしれません。この種の質的な判断をしようとすると、その判断基準の統一が難しいものになりそうです。
記事の評価をしようとしている利用者は、それほど多くはないというのもネックになるでしょう。新しい記事については新記事賞に参加している方々にお願いし、既存の記事については良質な記事に参加している方々にお願いし、あるいはプロジェクトなどで呼びかけるとしても、現状ではかなり無理な運用になると思います。大規模に呼びかけをして、数カ月アクティブな参加者が取り組む、というようなことを試みるとか。--Ks aka 98 2010年7月14日 (水) 16:11 (UTC)[返信]
  コメント 個人的には、ジミー・ウェールズ#ウィキペディアに対する最近の考え方によればウィキペディアは、既に存在している情報をまとめて、分かりやすく提示することが目的と述べたとあるように(私もそんなコメントをウェブニュースで見た覚えがあります)、精査すべきとは、考えています(ずーっと昔。「新規記事を停止して、参考文献の再確認や収集に努めるのは、どうだろうか」と何処かでダベったような……wpjaでしたっけ?)。 私は、知人から「wikipediaって、どのぐらい信用できるの?/信用できないんでしょ?」と聞かれる事が度々ありましたが常に「レファ共の事例検索してごらん。そういう使い方なら問題ないと私は思う」と答えています(例に出せば[2]とか[3]とか[4]あたり)。 で。私たちが精査によって、品質向上へと目指すのは、もちろんのこと。 閲覧者の利用方法も何かしらの啓発が必要だと思うのですが……なかなかいい案が浮かびません(wikipediaの内部活動だけでは、十分な結果が得られないだろうと悲観的です)。すくなくとも利用者(執筆者,閲覧者)に啓発を促すためには、「ただ書いてある」「ただリンクがある」だけじゃなくて、能動的/直接的に、ボール投げないと効果が薄い気がします。--秋月 智絵沙(Chiether) 2010年7月15日 (木) 06:22 (UTC)[返信]
Ks aka 98さんの文に対して: 免責事項と「異なる目的」との事了解致しました。唯、全体の内どれだけが正確なのかというのは推し量るのも容易ではなく、悪意のある一見確かそうな編集もどれだけあるかは判りかねます。
サイドバーには現状リンクしか記されてないので、文章を入れる事がコミュニティに受入れられるか不安な処です。サイトノーティスである必要は無いのですが、サイトノーティスの位置の方が良いかなとも思います。
「『問題が無いか』の確認」というのも正にその通りで、また機械的に判断可能な基準という事も必要でしょう。
基準としては検証可能性を充たす出典が付けられているか否かで考えています。「出典がひとつでもあれば剥がす」という事であれば、Botを使つて、出典を示すテンプレートが無ければ警告テンプレートを付ける、出典のテンプレートがあれば剥がす、というのもありかも知れません。
「『普通の記事』という基準」としては先述の通りen:Wikipedia:Version 1.0 Editorial Teamがありますが、これにしても「かなり無理な運用になる」という事に同意します。
Ks aka 98さんには、下手な説明である自分の論を巧く汲取って戴け、有難い処です。
次にChietherさんの文に対して: 閲覧者への「啓発」は、Wikipedia内に留まる必要は無いのですが、如何すべきかくらいはWikipedia内で議論しても構わないでしょう。「能動的/直接的」な例としては利用者ノートへの「あいさつ」がありますが、未だ方法があるかも知れません。今のところ思いつかないのですが……。--kahusi (會話) 2010年7月15日 (木) 08:57 (UTC)[返信]
記事の充実度はさておいて、ひとまず3大方針(特に検証可能性)がおおむね満たされている記事を示すことは、読者にとって有用だと思います。「妥当な記事」とでも名づけられるでしょうか。そういった記事に箔をつけることは、編集者のモチベーションを高めるかもしれません。--有足魚 2010年7月16日 (金) 11:31 (UTC)[返信]
"良質"の選考に関わってみると、「ひとまず3大方針(特に検証可能性)がおおむね満たされている記事」って、良質な記事に選ばれる可能性がある、と思います(逆に現に"良質"でもあやしいのが見受けられます)。Wikipedia:良質な記事の本来の趣旨がそうなのかどうかはともかく、有足魚さんが「ひとまず3大方針(特に検証可能性)がおおむね満たされている記事」の実例を確認なさっているのならば、良質への推薦をされてみるのもいかがでしょうか。--GDSTCB 2010年7月17日 (土) 04:09 (UTC)[返信]
ここで話題になっているのは、総合的な記事の質ではなく情報の信頼性に関するものだと思います。自分が「記事の充実度はさておいて」という態度で推薦すれば、迷惑になってしまうでしょう。記事の質を判断するのには人手と時間が必要ですし、またそうであるべきだとも思います。しかし、単に情報がそこそこ正しいという基準であれば、ある程度機械的に判断できるでしょう。独立した場所での審査という形ではなく、その記事の編集者が議論して決めても問題ないのではないかとも思います。--有足魚 2010年7月17日 (土) 11:04 (UTC)[返信]
サイトノーティスよりもサイドバーというのは、「ウィキペディアは誰でも編集できる百科事典です。誤りや不足も…」というようなウィキペディアの「説明」という形にしたいという考えが背景にあります。信頼性に欠けるという、本質的に排除できないことの「注記」や「言い訳」ではなく、こういう場所ですという「説明」。過度に信頼するなと主張することは、信頼性を高めることを放棄し、責任感がないと受け取られる可能性も併せ持ちますし、執筆者の向上心を抑圧する面もあると思います。本来は、メインページを見て、「ウィキペディアは誰でも編集できる百科事典です。誤りや不足も…」ということを知るのだけれど、現実的には検索サイトから各項目へ直接やってくるし、どんなサイトなのかを確認しようと考えない人も多いでしょうから、ウィキペディアというサイトの性質の重要な部分を端的に説明するものとして、サイドバーのリンク群の上またはメインページへのリンク直下にテキストを置く。ウィキペディアの信頼性が十分ではないのは、「誰でも編集できる」という造りに由来するのですから、ここで説明をしよう、と。
「ひとまず3大方針(特に検証可能性)がおおむね満たされている記事」の「おおむね」が、人によってずいぶん違うと思うんですよ。そこをちゃんと詰めないと。kahusiさんでも有足魚でもいいので、多少具体的に例示してみてほしいなと思うのです。場所としてはWikipedia:ウィキプロジェクト_執筆支援のほうがいいかも。--Ks aka 98 2010年7月18日 (日) 06:34 (UTC)[返信]
ウィキペディアの「説明」として記す事に賛成します。結果的に誤解の解消にも繋がるでしょう。
記事の順位として:
  1. 秀逸
  2. 良質
  3. 中間
  4. 最低限
  5. スタブ
といった順番になるでしょうか、この中で「最低限」の処にてBotで判断可能な基準、先述の「出典を示すテンプレートが無ければ警告テンプレートを付ける」という基準を設けて運用出来ればと思います。「中間」の処で機械的な判断が可能かと言えば難しそうではあります。秀逸な項目は或程度対象の事物を判っていないと、網羅的かどうか等では判断しかねると思いますが、「中間」では門外漢でも判断可能な基準にした方が良いでしょう。
ちなみに、半年前ですがWikipedia:ウィキプロジェクト 執筆支援/記事クラスについて#記事の質の判断基準についてにて案が出ている様です。--kahusi (會話) 2010年7月18日 (日) 12:48 (UTC)[返信]

一先ずWikipediaの説明をサイドバーに記す事を、コミュニティに広く尋ねてみたい処です。お知らせに投稿してみました。--kahusi (會話) 2010年7月21日 (水) 14:06 (UTC)[返信]