Wikipedia:井戸端/subj/機械的な編集について

機械的な編集について 編集

ある特定の語句で検索をかけ、ヒットした項目から該当部分を除去、もしくは書き換えるという編集を大量に行っている方がいますが、このような編集手法が認められるのかどうかについてご意見を募集します。こうした編集を行う意図は独自研究を除去することにあるようなのですが、そのやり方があまりに機械的なため、議論の必要があると考えます。

そもそもある記述が独自研究であるのかどうかというのは、それが意味する内容によって判断されるものであって、ある特定の語句を使用しているかどうかで判断するべきものではないはずです。ある特定の語句を狙い打ちにして一斉に削除するというのは、独自研究の除去というよりはむしろ、一種の言葉狩り、もしくは検閲行為に近いものになっているように思われます。

正確性の点でも疑問があります。こうした手法を用いていると必然的に自分が十分な知識を持たない項目にも手を出すことになるわけですが、これは非常に誤りを誘発しやすいものです。過去には引用文や固有名詞を書き換えてしまったような例もありました。ウィキペディアの項目には、アクティヴな利用者が継続的にメンテナンスをしているものもありますが、そうではないものも存在します。不適切な編集があった場合に気がついて戻す人がいる場合はいいのですが、項目によっては執筆した人がその後ウィキペディアから離れてしまっていて、内容が劣化した状態のまま誰にも気づかれずに放置されてしまう、ということも十分に起こり得ます。

先行する議論として以下のようなものがあります。

なお、議論の目的を明確なものとするために利用者のお名前を出してしまっていますが、本件は編集の手法についての是非を問うものであり、特定の利用者を糾弾することを目的にしたものではありませんので、趣旨をよくご理解の上発言していただきますようお願い致します。--sergei 2010年1月25日 (月) 15:30 (UTC)[返信]

問題点は「その行為の結果なにがおこったか」であり、「手法」ではないと思う。誤りを多く生み出してしまうような編集方法だから問題ではなく、そのような誤りを多く生み出したことが問題なのではないだろうか。その手法をとっても結果的に記事が改善されていればなんの論争にもならない。--Afaz 2010年1月26日 (火) 02:14 (UTC)[返信]
機械的な多記事編集は bot と類します。壊れた bot はブロックの対象となります。機械的な多記事編集に不備が目立つようであれば技術的な短期ブロックを視野に入れても構わないと思います。機械的な編集には高い精度を求めます。--Su-no-G 2010年1月26日 (火) 03:57 (UTC)[返信]
botの話では無いですよ。sergei氏の説明からは抜けてるんだけど、例えば「弱冠」あるいは「若干」を検索に掛けて正しい方に修正を行うとか(こういうのは言うまでも無くbotじゃ無理です)。 まあ、このくらいだったらsergei氏も問題視しないんだろうけど、これがちょっと発展して、例えば20歳じゃなくても単に若いって意味で「弱冠」を用いてるのをわざわざ削除すること(弱冠を用いないように編集すること)に意味はあるのか、とか。また過去にあった例だと「非難と批難」「関数と函数」みたいな問題とか、機械的な編集が起こす問題全般の話ですね。
発端となったコメント依頼のほうでも述べたんだけれども、ヒットした物でも、問題ないと判断して見逃した奴もあるはずなんですね。これが本当に機械的な編集で、それこそbotのごとく、テキストエディタで置換を用いるがごとく直しているというのならば問題なんだけど。あとは草取りを行う個々の人間の閾値の信頼度の問題だと思います。--EULE 2010年1月26日 (火) 09:03 (UTC)すみません。早合点していて問題のある記述を撤回します。--EULE 2010年1月26日 (火) 12:49 (UTC)[返信]
  コメント「botと類する」というのは「人力でやっていても、目的と行動がbotと同等ならば、両者を区別する意味はなくbotと推定する」という意味だと考えます。複数回の呼びかけに無応答で無視するのであれば壊れたボットと推定すべきですし、返事をするようなら(実はbotで、主人が返事をしているとしても)ユーザーとして丁重に扱うべきだと考えます。ユーザーの場合、返事をするけれども議論や合意が成立しない(つまり他人の観点や立場をまったく受け入れない編集を行うユーザー)なのであればコメント依頼で対応する話かと存じます。--あら金 2010年1月26日 (火) 09:30 (UTC)[返信]
具体的な編集事例を示してもらうわけにはいきませんか。編集内容が有益で本当に機械的にできるものなら、ボットでやれば時間を短縮できるわけですし。 --いわゆる「コムーネbot事件」の結果はそれなりに有益だとおもっているHatukanezumi 2010年1月26日 (火) 16:17 (UTC)[返信]
上に挙がっているリンク4件のうち、4件目のリンクはまさに今継続中の案件ですので、該当者の標準名前空間での編集の近隣50件くらいの中から適当に抜き出して見ていただければ具体例足り得ると思いますが、それよりも具体性が必要でしょうか?なお、多分Hatukanezumiさんの期待するような(ボット化可能な)編集ではないと思います。--NISYAN 2010年1月26日 (火) 16:38 (UTC)[返信]
ああ、あれが具体例だったのですか。明らかに人為の介在する編集 (イタチ語に類する表現の除去など) を「機械的」に行うのは難しいとおもいます。同じ理由で、ひとりひとりの編集の個性を無視してひとからげにして論じることは不可能です。いずれにせよ、わたしの興味の範囲外の話だとわかったので、これでコメントを終わります。
あと、コメント依頼の最中に井戸端で話題にするのはどうなんかなあ。 --Hatukanezumi 2010年1月26日 (火) 22:27 (UTC) 発言一部取り消し。誤認でしたごめん。--Hatukanezumi 2010年1月26日 (火) 22:33 (UTC)[返信]

ボットの比喩が出てきましたが、Wikipedia:Botには「議論の余地がある編集に使わないこと(内容や影響範囲によっては、事前合意が望まれます)」という規定がありますし、Wikipedia:Bot作業依頼でも「ここに依頼する前に適切な場所にて変更についての議論をしておいた方がよいかもしれません。予期しない変更は編集者間に混乱を引き起こす可能性があります」という注意書きがあります。

ここで私が指摘しているやり方というのは、Botがやってはいけないとされている作業を、Botによらずに人力でやっているのに等しいのではないかと思います。Botがやってはいけないというのはその内容が不適当だからなのであって、Botを用いずに人力でやるなら構わないということにはならないはずで、こういう手法を常用する人にはその点をよく考えていただきたいと思っています。--sergei 2010年1月29日 (金) 09:40 (UTC)[返信]

議論のあるものを編集するという行為は、なにかしらその後に論争を生み出すわけで、別にBotに類する行為をやったからではない。そして、議論のあるものというのは事前に予測できるものもあるが、予測できないものもあり、ことが起こったあとでそれが問題だったということが発覚することも多い。大量の編集をするので行動が目にとまりやすく、ちょっとした編集では見過ごされていることもクレームの対象になったりする。「Botを用いずに人力でやるなら構わないということにはならないはず」という考え方は事前に予測できることを前提にしている意見で、それは半分は無理なことだと思う。「大量に書き換える前は議論すべき」という意見もでるかもしれないが、それはWikipedia:ページの編集は大胆にの精神に逆らうことだし、自由に編集できるウィキペディアの利点も消してしまう。結局、大量に書きかえる行為を糾弾するのではなく、書きかえた結果について議論してほしいと思う。--Afaz 2010年1月29日 (金) 13:21 (UTC)[返信]
編集によって(Afazさんの言葉でいうところの)論争が発生した場合に、論争の元となった編集者がその論争に対して適切にフォローを行えるかというと、それはその人のWikipediaへの割り当て可能時間であったり、その人の説明能力であったり、いろいろな要素があると思いますが、単位時間あたりの編集対象記事数が多くなれば、少ない場合に比べてフォローが大変になるだろうことは予測します。
≪大量に書き換える前は議論すべき≫かどうかは何とも言えません。ただ、検索キーワードベースで編集をしようとする人は、どのような系統の記事が多く検索に引っかかったかは編集前に知りうるでしょう。また、検索キーワードベースで編集する場合、始めの数件、十数件の編集である程度の傾向が掴める場合があるように思います(先の4件目のケースでは、同姓同名人物、同名企業なんかがケースとして多くあることは容易に掴めます)。同系統のものについては、それに適したウィキプロジェクトがあるケースもあります(4件目のケースでは、同名企業についてはウィキプロジェクトでの議論が促されていました)。
大量編集に対して会話ページでその編集に異議問合せが行われている状況でも、大量編集の手を休めず編集を続けるというケースがあり得ます(4件目のケースはそれに該当すると思っています)。その場合、単に一つの記事であれば一つの記事のノートで話し合い、編集合戦が繰り広げられるなら最悪保護することでノート議論への誘導を強制することも可能ですが、大量編集の場合で、会話ページで異議問合せが行われている最中にも、それと同系統の編集を休まず続けているといった場合に、大胆に自由に継続して編集を認めるべきなんでしょうか?
私の書いたことは、大量編集自体が問題の本質ではないとしても、大量編集でなければ問題にならないような(あるいは単独記事の保護などで対策可能な)ことばかりだと思うのです。やはり大量編集自体が問題の本質でなければ、それを話し合うことに意味はないのでしょうか?それでもなお≪ひとりひとりの編集の個性を無視してひとからげにして論じることは不可能≫≪書きかえた結果について議論してほしい≫という意見だけが続くようであれば、個別ケースを対象としたコメント依頼なり何なりに切り替えようと思いますが、もう少し他者意見を待ってみます。--NISYAN 2010年1月29日 (金) 17:10 (UTC)[返信]
「クレームがきているのに編集を強行すること」は「機械的に大量編集すること」とまた別の問題だね。大量編集には常に編集強行も伴うのなら、大量編集は悪だといえるが。ここでのテーマは機械的に大量編集することは是か否かなので、注意深く編集している限りは是と言うしかない。機械的大量編集だけの理由で人を糾弾できるかと言えば、それは無理だと思う。--Afaz 2010年1月30日 (土) 14:04 (UTC)[返信]
(必要ならば)早期に個別ケースを対象とした話へ移るべきでしょう。Afaz 氏が繰り返し述べている通り、機械的な編集という手法自体は良し悪しのバイアスを持たないものです。執行者の能力と組み合わせた時に問題になり得るという事だと思います。- NEON 2010年2月1日 (月) 02:41 (UTC)[返信]
ご意見を考慮した結果、該当の件について、個別ケースを対象としたコメント依頼(Wikipedia:コメント依頼/PALNAS 20100214)を提出したことをご報告申し上げます。--NISYAN 2010年2月14日 (日) 01:33 (UTC)[返信]
  コメント私の考えとしては、こうした作業は周到に注意深くやってほしく思う、けれども同時にそこであまりに萎縮してしまって作業自体を投げ出してしまう、という方向をもまた避けて欲しい、そう考えます。自分的にこうした作業の中でポイントになっていく考え方として、言葉は変化していくものであって、だからこそ言葉の使い方というのは「正解」なんて元々提示していきにくいタイプのものだ、という事でしょうか。私たちは紫式部が文章を書いたような書き方で文章は書いていませんし、また福沢諭吉が文章を書いたよう書き方で文章を書いてもいません。つまり言葉は時代を通じて変化していきますし、ひとつの時代の中においてもその表現に色々な幅を持っています。とりあえずここを注意しておけば、(議論は起きはするでしょうが、それでも)紛糾は避けられる可能性が高くなるのではないかな、と思います。もう一点具体的なこととして、要約欄に「今○○の作業中です。問題ありましたらこちらまで」といった感じで誘導を置いておくと良いと思います。英語版では簡単な荒らしの差し戻しはしばしばbotによって作業が行われていて、その際の要約欄にはそういった内容のこと(rvしました。間違いがあったらお知らせください。)みたいな内容が書かれています()。以上、私が思った考え方ひとつと、英語版で見かけた作業方法ひとつでした。--Was a bee 2010年1月30日 (土) 16:08 (UTC)[返信]
  コメントこんばんは。入り組んでいて議論の流れを追いきれていない可能性もありますが。発端に近い議論で問題になっていた「ファンサイト、応援サイトの削除について」については、そもそも機械的な編集の対象になりうるものではないように思います。「掲載してよい外部リンクの第2項に当てはまらない限り」という但し書きに当てはまるか否かは、それなりに当該記事に詳しい方でないと判断できない部分もあるものですから、誤字脱字の修正のように機械的な編集で加筆及び除去を行うのはトラブルの元になるかなあと。私も以前にノートで一応の話し合いをしたうえで載せたサイトが一年後に除去され、確認してみたところ(IPさんが)機械的に各種記事から個人サイトさんを消してまわっていた編集の一環で除去されたものでした。面倒でしたので戻しませんでしたが、あの時ちょっと「うーん?」と首を傾げたことをこの依頼をみて思い出しました。コメント依頼に名前が出ていらした方の編集ですと、過去に創作作品の記事で私が加筆した「召集」という文字を「招集」に機械的な編集の一環で修正されたことがありました。ストーリー的にも使う漢字は「召集」が妥当な内容でしたし、公式サイトでも「召集」が使われていたので、どういう意図で修正したのかと疑問に思って履歴を確認し、機械的な編集の一環で修正されたのだと気づきました。面倒でしたので戻しませんでしたが、誤字ではない漢字の置き換えについては前後の文脈を確認してほしいとその時感じた記憶があります。私が遭遇したことがある機械的な編集で過去に引っかかりを覚えたことがあるのはこの2つ程度です。あとの多くは、細やかな作業で記事のブラッシュアップをしていただいて助かっています(正しい雑草取りほど記憶に残らないものですが)。ですので機械的な編集について是か非かと問われれば、間違いなく是です。そのうえで皆さんが仰っているように、作業をしてくださる方には少しだけ丁寧な対応を望みます。特にsergeiさんが仰っている「特定の語句を狙い打ちにして一斉に削除する」という作業については、履歴を追ってみて私も同様の懸念を少し感じました。--Giftlists 2010年2月3日 (水) 14:04 (UTC)[返信]

  コメント 議論の流れから少し外れていましたら申し訳ありませんが、こちらで指摘されている様な行為の極端な例として、このような方もいらっしゃいます。各々の投稿履歴をご覧になると判りますが、例えば「余談」「裏技」「当然」「もちろん」といった何ではないか避けたい言葉に例示された語句を検索し、その前後節を含め片っ端から削除またはコメントアウトなさっています。一見、何の問題も無い雑草取りに見え、実際に然るべき内容もありますが、一方で全く問題の無い(「何ではないか」や「避けたい言葉」に言う“記述すべきでない内容”に当てはまらない)記述すら削除なさった上で、会話ページに質問や指摘を受けても応じることなくIPを乗り換え、再び同様の活動をなさいます。ご本人からすれば「ルールに反した記述を正しく直しているだけで、不当な記述をする人に答える義務など無い」とお考えでの行動かも知れませんが、結果的に対話拒否と受け止められて荒らしとして扱われ、この方の編集は差し戻しされています。この例を見るに、機械的に単語や語句を検索して修正すべき内容を探すのも(特に効率面で)良いとは思うのですが、やってはいけないこと/意味のある記述を除去してしまうこと編集方針/他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいにもご留意いただき、除去は最小限に、置換できる語句や文章は書き換えなどの対応も検討されるべきではないでしょうか。長文にわたる個人的意見でどうもすみません。--おきた 2010年2月5日 (金) 09:08 (UTC)[返信]

私のウォッチリストに引っ掛かった分だけですが、ハロゲン化銀で誤字があった文章から意味の通らない文章に直された[1]ので、再修正を入れました。他の記事はチェックしていません。意味がつかめないまま修正を入れるぐらいであれば、ノートの指摘にとどめて欲しいですね。--Su-no-G 2010年3月18日 (木) 11:16 (UTC)[返信]

この「い抜き言葉」とか「ら抜き言葉」の「修正」についてはWikipedia:井戸端/subj/細かい修正についてでも話題になっているのですが、こういうのも結構繊細な問題を孕んでいるんですよね。言語学の立場からはら抜き言葉の類は「誤り」とか「乱れ」とは見做されませんし、「い抜き言葉」に至っては口語表現としては完全に定着しているといっていいものです(日本語の乱れを参照)。こういう「正しい日本語」への志向みたいなものは一つのイデオロギーなのであって、中立的な立場ではないのですね。まあ少なくとも現時点では百科事典では(引用を除き)こうした表現は基本的に避けるべきだと考える人の方が多いとは思いますが、それも絶対的なものではありません。何か別の編集のついでに行うのならともかく、わざわざこれだけを直すというのは無駄に思えますし、あるいはことによると偏向を助長する行為とさえ言えるかも知れません。こういう問題が孕む繊細さを十分によく理解できていないのなら、手を出さないでおいてもらいたいな、と私としては思います。--sergei 2010年3月19日 (金) 15:05 (UTC)[返信]
それが本件はちと違いまして、「とらわれてる」を「とらわれる」と直せば正解でした。「て」が誤って挿入されていたものです。「い抜き言葉」と勘違いして「とらわれている」と直したために不正解だったということです。--Su-no-G 2010年3月19日 (金) 15:14 (UTC) - 誤字修正 --Su-no-G 2010年3月19日 (金) 15:19 (UTC)[返信]
なるほど、そもそも「て」が誤記だったのであって、「い抜き言葉」じゃなかったわけですね。前後の文脈を考えない機械的な修正が悪影響を及ぼす実例の一つ、ということになりそうですね。--sergei 2010年3月19日 (金) 15:49 (UTC)[返信]