Wikipedia:井戸端/subj/歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。

歴史記事に「作品一覧」「俳優一覧」「ゲーム一覧」などは必須なのか。

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歴史上の人物に関わる記事には必ずと言ってよいほど、「関連作品」「○○を演じた俳優」などの節があります。たとえば、「織田信長#関連作品」、「明智光秀#明智光秀を題材とした作品」、「石田三成#関連事項」、「坂本龍馬#作品」などのように。これは、歴史的な事件についても同様であり、「関ヶ原の戦い#関ヶ原の戦いに関する創作」、「本能寺の変#フィクションにおける本能寺の変」などがあります。最後の「本能寺の変#フィクションにおける本能寺の変」以外はすべて一覧記事となっていますが、果たして、史実や学説を説明すべき人物記事・事件記事に「創作作品」は必須なのかという疑問があります。そして、仔細に検討すると、「明智光秀#明智光秀を題材とした作品」としながらも、「『春日局』-五木ひろし」、「『天地人』-鶴見辰吾」などのように、「明智光秀を題材とした」リストとはいえないような状態になっています。つまり、「作品一覧」と言いながら、実際には「俳優一覧」になっている例が非常に多いのです。果たして、歴史上の人物にかかわる記事に「それを演じた俳優を書くべき」というようなコンセンサスなり、ガイドラインがあるのでしょうか。「演じた俳優」だけで5,000バイトを越えるようなものもありますし、記事「織田信長」には、一覧のなかに「仮面の忍者 赤影(1967年・関西テレビ 演者:倉岡伸太郎(第2部)、嶋田景一郎(第3部))」 というものまであって、果たして、人物・織田信長を理解するのに「赤影」が必要なのか、おおいに疑問です。また、ゲームなどは厳密に言って「作品」や「創作」と言えるのかという疑問もあります。いずれにせよ、史実と創作が混じる状況にはたいへん違和感があります。一方で、織田信長 (映画)織田信長 (1962年のテレビドラマ)織田信長 (1989年のテレビドラマ)織田信長 (テレビドラマ 1994年)という単独記事がありますが、これら創作の「織田信長」には曖昧さ回避のページもなく、ドラマ相互を見渡せるような記事もありません。さらに、関ヶ原の戦いに関していうと、同記事は現状で約11万4,000バイトの分量となっていますが、四国戦線(関ヶ原の戦い#四国)に四国攻め#毛利輝元の四国出兵を統合しようという意見に対し、記事の肥大化の点から統合反対論があるとのことです。しかし、その一方では、史実の関ヶ原の戦いとは無関係の「関ヶ原の戦い#関ヶ原の戦いに関する創作」のような記事が堂々と本文に記されており、本末転倒と呼べる状況になっております。これについては、削除なり、分割なり、何らかの手段を講じなくてはならないと思いますし、その手順にも統一的なルールが必要と考えます。この件について、みなさまはいかがお考えでしょうか。御意見をお聞かせ下さい。--Chokorin 2010年8月5日 (木) 14:27 (UTC)[返信]

その問題に関しては、直接的にはWP:RWが、更にはWP:TRIVIAをはじめとするガイドライン(より全般的にはWP:NOT)が関係すると思います。関連する過去の井戸端の話題にはWikipedia:井戸端/subj/「~に関する作品」「~の登場する作品」への掲載基準についてがありますので、こちらも参照いただければ幸いです。--夜飛/ 2010年8月5日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
御教示いただき、ありがとうございます。早速読ませていただきました。WP:TRIVIAについてですが、たとえば、史実を書くべき人物記事「織田信長」のなかに、「ドラマの役柄としての信長」や「文学に描かれた信長」が混在しているがゆえに、逆に、「一覧記事」でとどまってしまっている、「一覧記事」にとどまらざるを得ないというという側面があるのではないかと感じています。であるならば、「史実を追究すべきページ」と「エンターテイメントに徹したページ」を分けるべきではないかと思うのです。そうすることによって、たとえば、「秋山駿の描く信長」と「司馬遼太郎が描く信長」では描き方がどう違うかなど、創作は創作で発展させることができるのではないでしょうか。仮に現状では一覧記事にすぎないとしても、切り分けることによって史実も創作も救えるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。--Chokorin 2010年8月5日 (木) 16:09 (UTC)[返信]
その辺りは更に難しい問題を含むと思います。まず「作者Aによる歴史上の人物乙をモチーフとした架空の人物乙A」と「作者Bによる歴史上の人物乙をモチーフとした架空の人物乙B」、あるいはその両者と「史実上の実在の人物」の説明を一律に並べて比較することは、まずもって著作物同士や著作物と歴史資料をつき合わせてその差異を抽出することになるとは思いますが、そこで独自研究となる虞を含んでしまい、更にはそれら著作物や歴史資料の読者にして記事を書いた側の批評が混じると「何処から何処までがそれら著作物や歴史資料に基づいたものなのか」がはっきりせず、これは検証可能性を満たさなくなってしまう虞もあり、更には上で注釈を挿入する形で出典を明記したときに起こる問題に示されているように、後から書き足された記述が実際にはそれら作品や資料に基づいていなかったとしても、読者にはその区別が付かなくなる危険性も含んで、収拾不能になるやもしれません。その辺りは個人的に、複数作品を混ぜるのは危険過ぎるので、各々の作品を取り上げた記事内でだけ、そのモチーフになった実在の人物との違いを記述するにとどめたほうが、作品側の記事としてもスマートにまとまると思うのですが、この手の問題は「何処までの水準(主要度や特筆性)を許容するか」で非常に曖昧さを含んでおり、そこは「事実(史実)に忠実か否か」でバッサリやるほか無い様にも思います。まあ小生としても、どうしてもそういう記述をしたい場合には、主体記事から「○○をモチーフとした作品」みたいな一覧記事を派生させ、そこでやるほうが主記事に雑記が投入され混乱しないで済むと思うのですが、そこでも「一覧記事を作るほどの分量が揃わない」のに一覧を立ち上げられてしまうとやはり混乱を生むような…ちょっと難しいです、実際。--夜飛/ 2010年8月5日 (木) 16:29 (UTC)[返信]

(インデント戻す)コメントありがとうございます。確かにおっしゃるとおりですね。独自研究となる可能性が高いから、むしろリストの方が無難なわけですね。それで、織田信長 (1962年のテレビドラマ)などのような個々の作品に飛ばしたり、人物記事織田信長に飛ばした方がマギれがないというのは、たいへん肯ける御意見です。とすれば、「一覧記事を作るほどの分量」なるものが、だいたいどれくらいのボリュームかについて、コンセンサスが得られれば立項も容易になると思うのですが、いかがでしょうか。ちなみに、「○○を演じた俳優一覧」ということで、試しに歴史上の人物9人について記事を立ててみました。

単独記事として、成立しうる水準というのはだいたいどれくらいなものでしょうか。--Chokorin 2010年8月5日 (木) 17:05 (UTC)[返信]

私もこの手の創作物を史実の記事に織り込むのはおかしいと感じます~を題材とした創作物というようにフィクション作品などを分割するのに賛成です。史実の関連項目にそれへのリンクを付記すればよろしいかと。分割量が少ない場合は難しいかもしれませんね。--Arstriker 2010年8月5日 (木) 18:43 (UTC)[返信]
以前、Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案において賛成したことがあります。反対意見にも納得できる理があり、問題意識の共有化は図られていたので、結論が出ないままとなっていますが有意義な議論だったと思います。そこでも出ておりますが、らりたさんが「主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに掲載を許す」という意見を述べておられます。これはある程度以上の指針となる考え方と思います。あと、Chokorinさんが作られた各一覧記事についてですが、個人的には必要ないとも思いますが、少なくとも一種の「隔離板」としての意義はありますので、転記元記事と重複しないよう、転記元記事のノートで分割の合意を取り付けた方がよいと思います。徳川家康などではChokorinさんの行った除去がrvされています。--ろう(Law soma) D C 2010年8月6日 (金) 01:16 (UTC)[返信]
お二人とも、貴重な御意見ありがとうございます。「創作物」、「創作」、「フィクション」…、どの表現がオサマリがよいのか。「ゲーム一覧」「俳優一覧」「映像作品一覧」「小説一覧」という表現だと、比較的、輪郭はハッキリしているのですが、「創作」ということにしてしまうと途端に輪郭がぼやけ、オサマリがわるくなるように感じています。ここは、詰めていく必要があると思います。
歴史的な事件については、実際に見てきた人はいないわけですし、歴史上の人物と直接話をした人もいないわけです。その点では、歴史でメシを食っている歴史学者も、一般の歴史ファン・時代劇ファンも立場としては同じだと思います。こうした「実験不能性」は、自然科学とは異なる歴史・歴史学固有の問題なんじゃないでしょうか。学者であれ、作家であれ、最終的には想像力をはたらかせる部分があるわけです。歴史的に不明な点について、証拠能力のあるものを発見・発掘し、証拠にもとづいて仮説として提起するという手続きをとるか、あるいは、想像力豊かに鍛えた筆力で(多少、強引でも)ひとつのストーリーを描いていくいう違いがあるだけです(それはそれで、大きな違いでもありますが)。
トンデモ歴史学者がいる一方で、史実については学者顔負けの知識をお持ちの作家、場合によっては歴史学を変えてしまう作家すらおられるわけで、どちらが高尚とかいう話では全然ないと考えています。
ところで、吉田松陰を演じた俳優一覧についてはいかがでしょうか。これが、かろうじて記事として成り立つようであれば、7,8人(7,8作品)になれば単独立項可能というコンセンサスがとれることにつながると思います。手前味噌になりますが、徳川家康を演じた俳優一覧には、西田敏行藤田まこと小林旭から郷ひろみまであり、演劇好きな方などは、興味深く感じられたのではないかと思います。少なくとも、個人的には「隔離板」以上の意義を認めたのですが、みなさまは、いかがでしょう。
合意の取り付けについては、「本能寺の変#フィクションにおける本能寺の変」は一覧記事ではないので、分割提案が必要であり、そのなかで記事名等も検討すべきと思いますが、他は一覧記事ですので、個々の分割提案は不要ではないかと考えます。むしろ、名称・範囲・分割方法も含めた、包括的・統一的なルールを取り決めておけば、「要・不要」あるいは、「意義あり・意義なし」で編集合戦も防止できるのではないかと思います。「主題の受け取られ方に非常に強い影響力を持っていると認められる場合のみに掲載を許す」というのは、主として加筆してくださる時代劇ファンやゲームファンにとっては難しいので、御意見としてはおおいに首肯できますが、ルールとしてはもっと単純明快な方がよいのではないかと思いますが、いかがでしょうか。--Chokorin 2010年8月6日 (金) 03:36 (UTC)[返信]
どうもです。えっと「隔離板」と書いたのはおっしゃるような演劇データ的側面を考慮に入れていない個人的意見ですので、それ以上の意義を認める方がいらっしゃることは首肯できます。分割提案が不要な場合もあり得ることは承知の上でのお願いです。反対する人(=rvする人)がいるのは事実ですので、分割であって単なる除去でないことを(mainを貼るだけでなく)合意を得た方が無難と思うということです。後段のルール関係については、Chokorinさんのご提案をちょっと拡大解釈的に誤解したもの(一覧に止まらずフィクション関係節を分割するのかなと)ですので撤回します。要はフィクションに絡む一覧を分割しようという提案なのでしょうか?であれば諸手をあげて賛成です。--ろう(Law soma) D C 2010年8月6日 (金) 04:07 (UTC)[返信]
こういったものは「後世への影響」のような節で1か所にまとめて(現実世界とフィクションを明確に区別する、記事の主体に紛れ込ませない)、更にsee alsoテンプレート等で分割記事にとばしてあげることが大切でしょう。--58.89.209.138 2010年8月6日 (金) 07:51 (UTC)[返信]
おふたりとも、貴重な御意見ありがとうございました。
58.89.209.138さんの御意見(現実世界とフィクションを明確に区別する)は、大方の賛成が得られると思いますし、わたしの訴えたいところでもあります。「後世への影響」ということでいうと、人物記事における「伝記」の扱いが、微妙なものになるかもしれません。「伝記」が書かれることは「後世への影響」には含まれますが、「フィクション」を目指したものではないので、ここも、どうするのか詰めていかなくてはいけません。ただ、フィクション一般を「後世への影響」に含めて考えるのは(人物記事に限っては)検討に値する御意見だと思いました。みなさんはいかがでしょうか。
ろう(Law soma)さんのコメントですが、わたしの提案自体が少し曖昧であり、誤解を招く部分があったと思います。申し訳ありませんでした。さしあたって「フィクションに絡む一覧を分割したい」というのがありますが、より広くは「フィクション関係節をどうするのか包括的なルールを設けたい」というのがあります。先行する議論(Portal‐ノート:歴史#フィクション作品の情報を原則として人物記事に載せない旨の合意について提案)の御紹介、ありがとうございました。熟読して、どのあたりで合意が得られるものなのか、自分なりに考えてみたいと思います。
わずか2日あまりですが、分量もだいぶ増えてきましたので、もう少ししたら、Wikipedia:コメント依頼PJ:HISTWikipedia:ウィキプロジェクト 歴史)に場所を移したいと思います。引きつづき、多方面からの御意見をお待ちしております。--Chokorin 2010年8月6日 (金) 18:56 (UTC)[返信]

(お知らせ)歴史上の事件を説明する記事「本能寺の変」・「関ヶ原の戦い」から、創作を扱う節「本能寺の変#フィクションにおける本能寺の変」・「関ヶ原の戦い#関ヶ原の戦いに関する創作」を分割する提案を出しました。包括的なルールの策定に御意見・御関心のある方は、ぜひ御参加ください。議論は一括してノート:本能寺の変でおこなうこととしましたので、よろしくお願いいたします。--Chokorin 2010年8月6日 (金) 20:56 (UTC)[返信]

(お知らせ)本能寺の変関ヶ原の戦いから創作作品を扱う節を分割する提案のコメント受付の期間が締め切りを迎えようとしています。その結果、および、井戸端での本セクションでの議論も踏まえた包括的な議論をWikipedia:ウィキプロジェクト 歴史にておこないますので、この問題に関心をもたれたみなさんはぜひふるって御参加くださいますよう、よろしくお願いします。--Chokorin 2010年8月15日 (日) 22:16 (UTC)[返信]

議論の場を、Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 歴史#歴史記事における創作部分の扱いについてに移しました。以後のコメントは当該ノートにてお願い致します。--Chokorin 2010年8月15日 (日) 23:33 (UTC)[返信]