Wikipedia:井戸端/subj/管理者任期制の導入について

管理者任期制の導入について 編集

Wikipedia日本語版については、管理者の任期制が必要ではないかとの認識に「個人的」に至りました。過去にも同じ思いを抱かれた方は多いと思います。また、それに対して反対意見を思われた方もおられると思います、ひとまず、私が思い至った理由や理屈はおいておいて、現状でのコミュニティの意見を吸い上げてみたいと思うのですが、いかがでしょう。

「管理者の任期制」というタームに関して、あらゆる立場から、ご意見、ご感想などを、この場にお寄せいただけないでしょうか。どんな片言、極論でもかまいません、とにかく、お聞かせください。--アイザール会話2012年11月22日 (木) 22:00 (UTC)[返信]

あと十日ほど、お待ちしますので、いろんな見解をお聞かせ下さればうれしいです。--アイザール会話2012年11月24日 (土) 21:21 (UTC)[返信]

みなさま、想像以上に有益な御意見の数々をお寄せくださり、ありがとうございます。さまざまな観点からご意見がここに集められつつあります。ただ、現在、管理者絡みの方針関連で修正・変更の議論の動きがありますので、まずはそちらを静観したく思います。もちろん、さらなるご意見を随時この場にご提供いただければ幸いです。--アイザール会話2012年12月13日 (木) 16:29 (UTC)[返信]

カタコトでいいということなので、まず第一印象を述べさせて頂くなら、任期制を導入することのメリット、あるいは導入しないことのデメリットが何なのか、私には全く理解できません。関連する最近の議論としてWikipedia‐ノート:管理者/任期制導入の提案というのがありますが、初期の段階でそのへんの問題を提起した参加者はおられるものの、その観点からの議論は深まらず「とにかく先に進めよう」とばかり、投票方式の是非とか実施要綱の話に突き進んでいます。私はその流れに大きな違和感を感じました。まずは推進者の方々に「導入しないことのデメリット」を具体的に上げていただいて、それについてコミュニティの納得を得ることが先決ではないでしょうか。どうも推進者の方々においては「任期制がいいことをもたらす」ということが自明の理となっているようにみえますが、現実にまわりじゅうの同業者がそのような立場で働いている業界の末席に身をおいている私からすれば、噴飯物というのが率直な感想です。--Kojidoi会話2012年11月23日 (金) 01:50 (UTC)[返信]
議論中にいきなり「現実の~」とか言い始めて偉そうに主張をする人間はたまに居ますが、実際には関係のない話を持ち出しているだけで滑稽でしかありませんよね。現実世界との区別も曖昧になってしまっているのでしょうか。--氷鷺会話2012年11月23日 (金) 05:37 (UTC)[返信]
「あらゆる立場から…どんな片言、極論でもかまいません」という話なので、感想を書いたまでですが。聞きたくない話を「関係ないということにしたい」という気持ちだけはヒシヒシと伝わってきますが、まだ議論中といえる段階でもないのに「議論中にいきなり」などと過剰反応してくるのも滑稽でしかありませんよね。--Kojidoi会話2012年11月23日 (金) 09:54 (UTC)[返信]
そうですね、任期制のメリット、デメリット、それらに対する感想も、ここに並べていただけると嬉しいです。--アイザール会話2012年11月24日 (土) 21:20 (UTC)[返信]
任期制は数年で強制的に権限を剥奪するものではなく、数年ごとの定期的な投票により当然再選も多く有るものと理解しています。現在は特に任期がない代わり、「コミュニティから解任動議が提出されそれが成立しない限り、その管理者はコミュニティによって信任されている」と言う運用な訳です。で、これを任期制にすることで、状況はどう変わるか。まず世の中が信任投票だらけになります。仮に任期を2年、管理者が60人としましょう。その全員が再選を望むか、従来どおり退任者とほぼ同数の新規立候補者が出てくるとするのであれば、1年に30件もの信任投票が必用となります。もちろんそれに付随するコメント依頼もあるわけです。これはコミュニティにとって(管理者自身にとっても)負担であり、疲弊が予想されます。こんな件数、投票者全員一々精査していられますか?もし今後管理者が増えればどうなるのですか?恐らくは一握りの投票好きな方しか投票しないことになるのではありませんか。肝心の執筆・編纂に充てるべきマン・パワーが浪費されるのではありませんか。・・・と、以上は任期制のデメリットです。
敢えて任期制を持ち出すメリットは、次の2点です。第一に、解任動議を出すと、当該管理者やそれと仲の良い人物からの恨みを買う虞があり、これを回避できること。特に初心の方、地道に執筆のみを続けていらっしゃる中堅の方には、かなりハードルが高いものでしょう。第二に、もし最初の信任投票と同じく信任ラインが3/4になるのであれば、今よりもずっと、管理者を解任しやすくなることです。正直、1/2ラインは余りに甘すぎ、永久追放ものの悪さをしなければほとんど解任は見込めないでしょう。一旦管理者になってしまうと、ほとんど安泰なのが実情です(この観点から申し上げれば、再信任ラインが1/2で任期制を導入することはナンセンスです)。ただし何か動きを見せると恨まれる、と言うこともありがちなのか管理者ですので、個人的には2/3をもって管理者としての適性を認められたとすることも、一つの目安なのではないかと思います(少なくとも私は解任動議が提出された時、信任率が2/3を切るのであれば自ら職を辞するでしょう。恐らくほとんどの管理者は、50%や60%の信任票で、自らが信任されているとの自信を持って管理者を続ける事はできないはずです。多くの方、大多数の方に支持されているとの前提の元で、削除ボタンもブロックボタンも押せるのです)。ですがこれは任期制の導入如何に関係なく、修正が可能な部分です。--Hman会話2012年11月23日 (金) 03:53 (UTC)[返信]
1/2ラインが「甘い」ということに対する答えはWikipedia:管理者の解任/FAQ#解任ラインが過半数の解任賛成というのは、管理者に甘すぎるのでは?で解説されています。ソックパペットのチェック能力と各投票者の冷静な判断力(個人的な恨みなど、情に流されずに解任賛成/反対を判断できる能力)に頼りきるのも現実的ではないという判断なのでしょうね。--Muyo会話2012年11月23日 (金) 04:51 (UTC)[返信]
はい、それはまさしくその通りで、故に3/4は現実的には、厳しいと、私も思います。しかし1/2が甘すぎるのもやはり確か(・・・と私は思っております)であるため、2/3くらいではないかと申し上げております次第で。--Hman会話2012年11月23日 (金) 05:05 (UTC)[返信]
  コメント 信任と解任の数字をずらしておくというのは、ボーダーライン上の管理者(候補)への過剰な信任解任投票の実施を減らす、という点で意味があるように思います。信任3/4、解任2/3ぐらいにするのも一つの案かなと思います。--Freetrashbox会話2012年11月23日 (金) 05:10 (UTC)[返信]
  コメント そうですね。信任(解任)投票が実施されるような状況になったうえで半数が不支持を表明していても留任というのは甘すぎる気がします(逆に言えば、1年ごととかの短期間で定期的に信任投票を実施するような制度であれば、1/2でも構わないように思います)。かといってRfAの3/4と揃えてしまうと制度が不安定になり過ぎてしまうので、やはり2/3くらいが妥当ではないかと。--氷鷺会話2012年11月23日 (金) 05:51 (UTC)[返信]
  コメント 過去の実績から見て、管理者に対する頻繁な信任投票の実施は、コミュニティに負担が大きいように思います。問題となるのは主にCU権限に関するように思いますので、「CU権限の部分のみ(またはCU権限を持つ管理者のみ)定期的な再信任投票」ということにしてはどうかなと思います。--Freetrashbox会話2012年11月23日 (金) 05:10 (UTC)[返信]
  コメント 結局はコミュニティが判断することです。2010年の第一期疑似任期制のときのように5名以上がそれを支持していれば簡単に実現できますし、もしそれにも満たない場合はすべきではないように思います。--氷鷺会話2012年11月23日 (金) 05:37 (UTC)[返信]
(追記)コミュニティからの信任を得るという手法をあくまで手続きの一段階とみなすのか、それともコミュニティが信任し任命しているとみなすかによって異なるのだろうと思います。前者であればその権限は無期限に付与されたものですから任期制はまったく無駄という結論に至るでしょうし、後者の考え方であればいずれ任期制か何かの対応が必要になるでしょう。当然のこととして、管理者本人も、投票に参加するウィキペディアンも、ウィキペディアの方針やシステムや風潮も、何年かすれば変わっていきますから、コミュニティからの信任率は常時変動します。仮に任期制を導入した場合、就任時や信任投票時の信任率を目安に期間を変えるというのはアリだと思います。常識的に考えて、「100%の信任で就任してから1年後の管理者」と「76%の信任で就任してから1年後の管理者」なら、解任される可能性が高いのは後者でしょう。--氷鷺会話2012年11月26日 (月) 17:06 (UTC)[返信]
管理者解任動議の提出そのものは提出理由を説明する必要がないので、論理的に文章を構成する力もまったく不要であり、物理的には誰でも簡単にできる作業でしょう。実際問題として多くの時間と能力を要する面倒な作業は事前にコメント依頼などを作成し管理者としての問題をまとめることであり、この作業により問題性があらわになれば誰かが解任動議を出すでしょうし、この作業がなされていなければ信任を再び問うこととなっても管理者として不適格かどうかの判断はできないでしょう。管理者によってはHmanさんの指摘するように「解任動議を出すと、当該管理者やそれと仲の良い人物からの恨みを買う虞がある」(実際にそうかどうかは別として、他のウィキペディアンにそう思わしめている)ような方もいるように思いますが、そういう管理者はごく一部ですし、そういうごく一部の管理者のために手間をかけて全管理者を定期的に信任投票にかけるというのは負担の面でどうなんでしょうね…(氷鷺さんが以前行っていたように、現行制度でも擬似的に行うことは可能ではありますが)。--Muyo会話2012年11月23日 (金) 06:04 (UTC)[返信]
  コメントだいたい前と同じ[1][2]。「2010年の第一期疑似任期制」では、途中でコメント依頼に対応するのがめんどくさくなったので、擬似任期制にはちょっと否定的。それから、ダメなことをした管理者に、自分がダメといわなくてもやめさせられるようにするみたいな動機付けはいまいちかなあ。必要ではないか、と言われると、「必要ではない」と思う。なしでもありでもいい。コミュニティおよび当事者に負担をかけず、再信任されない場合には理由がわかるような仕組みができるなら、て感じ。--Ks aka 98会話2012年11月23日 (金) 08:46 (UTC)[返信]
  コメント失礼します。テーマがテーマだけに管理者の方が多くて恐縮ですが、もし仮に任期制を採用するなら、賛成票が多いほど長くするという基準が客観的で合理的です。では、今後も頑張ってください。--116.67.228.96 2012年11月23日 (金) 10:12 (UTC)[返信]
  •   コメント Freetrashboxさんの仰る、「管理者全員は負担が大すぎるけど、CUだけなら(またはOSも含めても良いのでしょう)、と言うご意見は、もし任期制がどうしても必要なのであれば、バランスの取れたところかもしれませんね。もちろん、CU/OS権限のみの剥奪方法についての検討も必要なところなのかもしれません。
まあしかし、その後も少々考えたりログを読んだりはしてみたのですが、・解任基準の(2/3への?)引き下げと同時に、Muyoさんのご意見と逆のかたちになりますが、動議提出時の動議提出者の演説の許容(ブロック依頼程度に)が行われれば(コメント依頼のとりまとめの方が余程大変です)、必ずしも任期制は必用無いんじゃないですかねえ・・・。不適切な管理者を解任し易くするのが任期制最大のメリット、であると思いますし。実際に私、先刻、「一度管理者になってしまえばほぼ安泰」と申し上げましたよね。余り健全じゃないような・・・。そうそう、外部掲示板では、「半年ごとに一斉選挙すれば手間が相当に省けるんじゃない?」などと言うご意見もございました。
また、個人的には。管理者権限の、主に裁量に根ざした部分について、一般利用者がわいわいと品評しあえる場所があれば良いなあ、と思いました。あの保護は早すぎたんじゃないかとか。必要であれば管理者が削除ログから情報を提供したりとか。管理者の会話ページやメールで苦情を申し立てるのはとても疲れますし、これは苦情を受け取る方も疲れます。管理者同士でしてもそれはそれで気を遣います(私は相当単純なミスの連絡くらいしか行っていませんけど)。溜め込む前に、みんなの智恵で処理できれば、それが一番じゃないでしょうか。恨みを持たれてねちねちやられる虞も、少しは軽減されるでしょう。IRCでも良さそうなのですが、あれは公開の場所ではありませんしね。--以上の署名の無いコメントは、Hman会話投稿記録)さんによるものです。2012年11月23日 (金) 14:48
  •   コメント 利用者としてですが、思い切って書き込みます。意外と過疎なんですね。私は任期制は必須だと思います。一番の理由は僕みたいなバカにも誰もがわかりやすいと思うからなんですけど、ここはそういうのじゃだめなのかな。意見徴収の場だと思うので議論には参加しませんが。
1.新旧管理者での信任の質が不平等。
新しい管理者信任投票では質疑応答等を含め丁寧な選ばれ方がされます。信任も75%必要で、信任基準は建前上でも常に新しい考え方を元に行われます。ところが古くからいる管理者なんかは解任投票50%でも残っちゃう。本人もどっかしら古い基準で選ばれた記憶があるんじゃないかな。そうすると新しく選出された管理者と解任をまぬがれた管理者の信任とか諸々、質的な不平等ができちゃう。そういうのがつもり積もると色々弊害(敢えて明示しないけど)があるのではないかと。
2.解任の精神的コストについて
解任投票に至るまで、結構大変だと思うんです。手間暇よりも、解任(首をきるかきらないか)という行為は精神的に双方疲労することがあると思うんですよね。双方疲れたり、禍根も残ったりする。誰かが切るんじゃなくて、解任は定期的にやってもらって、もう一度選ぶか選ばないかとなると双方心象や投票者の挙動は随分違ったものになると思います。なんていうかアイツいつか解任してやるみたいな怨念って結構ばからしいのですが、ああもうすぐあいつ任期がくるな、今度立候補しても信任してやらない。みたいなものにすり変われば、ある程度怨念系って浄化されると思うんですよ。管理者の観点から見ても、何より解任されるより、不信任のほうが気分的に楽じゃないですか?解任は嫌いってはっきり言われる(言う)ようなもんだけど、不信任ならごめん好きじゃないって感じかな。管理者の人はそうじゃないのかもなあ。言う方はそういうのが割と楽という人は多いのではないかと。
3.定期的評価
ずーっと累積した評価じゃなくて、定期的評価の仕組みは管理者にも有権者にもよい効果があると思います。一学期、二学期、三学期の通信簿みたいなのは定期的に欲しいしだろうし、定期的にコミュニティーも出したほうがいい気がします。あの勲章みたいなのや感謝賞みたいなのはあんまり機能してない気がするんですよね。なんかそうやってストレスを任期制による選挙で定期的に相互に吐き出すサイクルがあってもいいと思う。
4.蛇足
任期から次の立候補までは、少し時間をもたせるとか、任期は何回までとかは作ってもいい気がしますね。こういうの導入するのに頭良すぎる人の意見はかえってボトルネックになるかもしれないなと思います。ほんと利用者にはわかりやすいほうがいいです。立候補と選任の手続きは割とフェアでいいと思うんですけど。解任の仕組みだけで任期なしってのはちょっと変てこな気がしますね。あと意外と一部の特異な変数が全体に与える影響って割とでかいすよ。一般システム理論なんか僕より詳しい人いると思うんだけど、そう言う人は意外と色々見えて今の制度がいいって言ってるのかもなあ。僕は中期的な視点からは、多少時間かかってもざっくり任期制にいったほうがいいと思います。長々とお騒がせしました。--114.49.5.186 2012年11月24日 (土) 03:46 (UTC)[返信]
114.49.5.186さんへ。はい、以外と過疎なのです。時事ネタ・アニメ・漫画には人が押し寄せますが、それ以外の分野や、自治についてはあまり人気がありません。
1.について。ごもっとも。本来は相当な信任基準が必要なのですが、現行では、50%から信任されている限り、管理者は続けて良いことになっています。Wikipedia:管理者の解任/FAQ#任ラインが過半数の解任賛成というのは、管理者に甘すぎるのでは?は一理有りますが、50%なのではなくせめて67%くらいにするべきではないのか、と言うお話は、上でも致しておりますところでございます。「解任動議出そうにも、どうせ50%で留任なんでしょ?恨まれるだけつまらんからやめておこう」などと言ったケースは減少するでしょう。
2.について。それはそれで大変です。解任投票は、必要な時にしか来ません。ですが、任期制による再投票は全員に必ずやってきます。人気が2年なら年間30回あるんですよ。まともな査読と審議なんてやっていられません。記事を書く時間が無くなります。投票者が100人。一人が3時間査読して300時間。それが年30回。それほどのコストをかける必要があるでしょうか。コミュニティ全体の負担としては、比較になりません。負担だけを考えるなら、任期制は導入しない方がいい。
4.任期制も、2年ごとや3年ごとではなく、「5年務めたら1年休み」などですと、また別の概念になります。改めて検討する価値もあるでしょう。ただし、もうちょっと管理者の層が厚くなりませんと・・・そうホイホイ辞められてしまっては、保たない機がします。特に、代わりの効かない管理者の型、大勢いらっしゃるんです。--Hman会話2012年11月27日 (火) 17:54 (UTC)[返信]
  コメント 結論からいえば既に任期制が導入されているのも同然だと思います。現行のルールでは3ヶ月間、編集も管理者権限の行使もなければ自動退任になるので、個人的には「任期は就任から3ヶ月間。ただし、その間に一度でも編集または管理者権限を行使した場合、その時点から3ヶ月後までで、再度編集または管理者権限を行使した場合はその時点からさらに3ヶ月後までで、これを無限に繰り返す」と解釈することができると考えています。--211.5.16.35 2012年11月24日 (土) 14:31 (UTC)[返信]

  コメント 色々な意見があるようですが個人的には「一般論では民主的な制度は各分野で必要で、公権力職は任期制を採用すべきだが、ウィキペディアでは必要性が低い。ただしコミュニティが是非やりたければ自由。」と思います。一般に任期制の目的は (1)権力の腐敗防止 (2)権力ポストの世代交代 (3)政策転換の契機 (4)信任の再確認 など思います。しかしウィキペディアはオープンソース方式のオープンな仮想グループで公権力ではなく、ウィキペディアの管理者は「管理者」というより「個々の管理作業のボランティアの事務員」かと思います。このため (1)公権力は無い(議論では非管理者と同じ立場。緊急対応などで個別の決定はするが反論や再議論は容易。)(2)ポストは人数制限なく新人参加も容易 (3)管理者が主導できる「政策」は無い(方針やガイドの制定や解釈にも特権は無い) (4)意義があるとしたら再信任程度。なお任期制採用の場合、要件緩和は賛成ですが、「再任まで期間を空ける」は過剰と思います。--Rabit gti会話) 2012年11月25日 (日) 04:14 (UTC) 追記です。(5)適切な制度は組織に応じても変わると思います。各種の任期制、権力分散(三権分立、自治)、監査制度などは「性悪説」(権力は腐敗する)で、権力組織では必要と思います。ただウィキペディアは「皆で編集すれば指導者がいなくても良い百科事典ができる(だろう)」「問題が起きてもコミュニティで合意形成して解決(できるだろう)」という「性善説」によるボランティア組織です。財団など金銭を扱う人々は別として、通常の「管理者」(事務員)は「利益」無し(満足感や自尊心だけ?)なので、権力組織(利得がある可能性大)と同じ制度が適切とは思えません。仮に自己満足で制度に手間をかけるならば、その労力を管理者参加や議論参加に振り向けた方が有益ではないでしょうか。--Rabit gti会話2012年11月25日 (日) 06:04 (UTC)[返信]

  コメント「信任の再確認」以上のことは望むべくもないというRabit gtiさんの意見に大筋で同感。そして、一昨年の「擬似任期制」の経緯を見ても、ここ最近1ヶ月の解任依頼を観ても、ほとんどの管理者は充分に信任されていて強いて交代させる必然性がなく、またそれが必要となった場合は既存の解任手続きで充分実現可能だということが示されていると思います。解任依頼提出に伴う感情的なしこりを気にしている方もいらっしゃいますが、物議を醸す管理者については、そんなことを物ともせずコメント依頼・解任依頼を出しに行く特攻隊長的な人が必ず現れるようですし、心配には当たらないでしょう。定期評価などに手間暇をかけるだけのメリットはなく、それどころか、任期を決めたりそれを投票結果で伸ばしたり縮めたりということになれば、またどこかで矛盾が露呈し、ますますルール作りの議論が複雑になり……、上のIP氏の期待とは真逆に、解任プロセスは「頭の良い人」以外にはついていけないものになることでしょう。なお、信任票数に応じて任期を伸ばすというアイディアは、将来における当事者の資質やウィキペディアのルールやコンセンサスの変質の可能性を排除することは不可能なのですから、全く意味ないと思います。--Kojidoi会話2012年11月25日 (日) 08:36 (UTC)[返信]

  コメントボランティアの場での権力・利益(報酬)については少し意見があるのですが、議論の場ではないので。人によってフェアへのアプローチが違うのはわかるんですが、全管理者の稼働等を定量、定性的に示した大まかな要素のデータを作れば、特定の軸(時間軸や活動量)で全員へコミットメントラインの最大上限と最下限、特に最下限を上げて、最大上限オーバーは規制が必要という設定方向になるように思います。もう少し数字をまとめた資料等の作成共有があって考えを進めるのが、効率的とは思っていて、多分一部の人は作成してるだろうなという事も予測できるんですが、共有までは色々お考えがあって踏み切らないのかもしれないですね。--114.49.29.18 2012年11月25日 (日) 20:04 (UTC)[返信]

  コメント 個人的にはコミュニティの負担さえなければ任期制は導入した方が、自分を含めた管理者が権限行使する際の緊張感を持続できるように思います。実際、氷鷺さんが(たぶん現状にがっかりして)疑似任期制の試みを途中で止められた際には、残念に思いました。(そのためもあって、自分で解任投票フェイズに移行してます。)ただ、管理者としてはコミュニティに従うのみです。コミュニティが任期制不要というのであれば、自分で時折コメント依頼を出すだけだし、必要というのであれば粛々と審判に従います。--ろう(Law soma) D C 2012年11月26日 (月) 07:10 (UTC)[返信]

  コメントドイツ語版の管理者システム、というのが英語版で紹介されていました。何か議論の参考になるかと思い、抜粋して紹介します(en:Wikipedia:Wikipedia_Signpost/Single/2012-10-22#Special_report)。ドイツ語版では二つの工夫があるようです。ひとつは「権限の分散」で、チェックユーザー、ビューロクラット、裁定委員といった立場を、一人で複数持てないようにする、つまり一人一つまでというシステムです。もうひとつは疑似任期制で、ドイツ語版内部で3か月で25人以上、または6か月で50人以上の署名が集まった場合、対象者は、再度立候補するかそのまま辞めるかを選ぶ、という工夫のようです。投票のラインは単純に「 50% + 1票」で通過、ということのようです。ちなみにこうした事例が英語版で解説されているのは、過去の英語版内部での様々な問題事例を通じて、新たに管理者になろうとする人に対する警戒感が英語版コミュニティ内部にあり、それが新規立候補者の呼び込みと投票通過を困難にしているという状況が背景にあるようです(en:Wikipedia:Wikipedia_Signpost/2012-06-18/Investigative_report)。--Was a bee会話2012年11月28日 (水) 21:00 (UTC)[返信]

大変興味深く拝見させていただきました。さて、Wikipediaに何名の利用者がいるのか存じませんが、コミュニティの信任といわれるものの実態は、ごく一部の限定された利用者グループ(しかも特定の仕事に関心のある)の信任にすぎないのでしょうか?Wikipediaを支えるほとんどの利用者は基本的に管理者の進退になど無関心であって、ほとんどの利用者が気づかないうちにたかだか数十名程度の投票行為によって管理者が選ばれ、あるいは排除されていくというのが現状であろうと思います。「コミュニティへの負担」と言われているものは、一体ウィキペディアの巨大なリソースの中でどれほどの規模のものを言っているのでしょうか?無言の多数利用者が存在する中で持続発展を円滑に行う仕組みが欲しいなら、制度としてはたとえ一部の利用者しか参加しない投票行為であっても、実際に生じている欠陥や問題を見落とさないことが重要です。

どういう制度をとるにしろ合意されたルールとコモンセンスの範囲内で管理者が振舞っていれば基本的には排除される必要はないでしょう。一方、問題が提起されたときにはルールかコモンセンスか管理者の振る舞いのいずれかに不一致があると疑われたということでしょう。その場合、不一致を明確にし、本当に解消できない不一致が存在するならいかに実績があろうとも管理者を解任するか、ルールやコモンセンスの合意を取り付けるべきでしょう。そんなことができないという管理者は解任されるか、少なくとも解決するまで権限を凍結すべきでしょう。

解任動議が提出され、はたして支持率が分かった場合に、投票終了をもって信任を確認できるという性質の投票行動にはなっていないと思います。また、投票終了をもって問題解消の努力が十分行われたとも言えないでしょう。それをためらって無言の多数利用者に影響が及び実際に執筆者の増減にインパクトを与えたり、居心地を悪くするのであれば、それこそがコミュニティの負担でしょう。どういう制度をとるにしろ必要なのは、一定割合の不支持表明をうけとった管理者が、問題解決に歩みを進めることだと思います。

それが十分できているのなら任期制なんて必要ないですし、それができていないなら任期制というのは解決方法として非常に効率が悪いです。解任制度と比べて立候補のプロセスが優れていて、問題管理者がスルーできないと言える点があるのでしょうか?だったら、それを解任制度に組み込みばよいでしょう。--Replique会話2012年12月2日 (日) 05:55 (UTC)[返信]