チャーリー・アッベイ

アメリカ合衆国の野球選手 (1866-1926)

チャーリー・アッベイCharles S. "Charlie" Abbey, 1866年10月14日 - 1926年4月27日)は、アメリカ合衆国ネブラスカ州出身のプロ野球選手外野手)。左投左打。

チャーリー・アッベイ
Charlie Abbey
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ネブラスカ州
生年月日 1866年10月14日
没年月日 (1926-04-27) 1926年4月27日(59歳没)
身長
体重
5' 8" =約172.7 cm
169 lb =約76.7 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
初出場 1893年8月16日
最終出場 1897年8月19日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
  • ワシントン・セネターズ(1893 - 1897)

経歴

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1888年、アッベイはネブラスカ州のビーアトリス(Beatrice)に籍を置く独立リーグのチームでプロ野球のキャリアをスタートさせた。その後、1892年までは独立リーグやマイナーリーグのチームを渡り歩く下積み生活を送った。

1893年、アッベイはワシントン・セネタースに入団。同年8月16日にメジャー初出場を果たす。この日の試合出場により、アッベイは史上初のネブラスカ州出身のメジャーリーガーとなった。この年、シーズンでは31試合に出場した。

1894年、アッベイは外野手のレギュラーの座をつかみ、129試合(チーム2位)に出場。チームトップの164安打を放ち、打率.314、101打点(チーム2位)、31盗塁(チーム2位タイ)を記録する大活躍を見せた。

続く1895年もレギュラーとして133試合に出場し、打率.275、84打点、28盗塁を記録。また外野手としてナショナル・リーグ1位の34補殺を記録したが、 1896年にはレギュラーの座を明け渡し、79試合出場にとどまった。またこの年には、投手としても1試合に出場。しかし2回で6安打を浴び、3失点(自責点1)という結果に終わっている。

再起を期す1897年は、チーム内でレギュラークラスの位置付けにはあったものの、80試合出場で打率.260と一時のような数字は残せなかった。この年はマイナーリーグでもプレイしたが、結局8月19日が、自身のメジャーリーグでの最後の試合となった。

メジャーでは、前述の通り1896年にピッチャーを1試合務めた以外は、全て外野手として試合に出場した。

1926年カリフォルニア州サンフランシスコにおいて、59歳で死亡。後に故郷のフォールスシティに埋葬された。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1893 WS1 31 129 116 11 30 1 4 0 39 12 9 - - - 12 - 1 6 - .259 .333 .336 .670
1894 129 589 523 95 164 26 18 7 247 101 31 - 1 - 58 - 7 38 - .314 .389 .472 .862
1895 133 571 516 102 142 14 10 8 200 84 28 - 5 - 43 - 7 43 - .275 .339 .388 .727
1896 79 342 301 47 79 12 6 1 106 49 16 - 10 - 27 - 4 20 - .262 .331 .352 .683
1897 80 334 300 52 78 14 8 3 117 34 9 - 3 - 27 - 4 15 - .260 .329 .390 .719
MLB:5年 452 1965 1756 307 493 67 46 19 709 280 93 - *19 - 167 - 23 122 - .281 .351 .404 .755
  • 「-」は公式記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す。

関連項目

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外部リンク

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