横山 静雄(よこやま しずお、1890年12月1日 - 1961年1月6日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

横山 静雄
生誕 1890年12月1日
大日本帝国の旗 大日本帝国 福岡県
死没 (1961-01-06) 1961年1月6日(70歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1912 - 1945
最終階級 陸軍中将
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経歴

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福岡県出身。村役場収入役・横山麓の長男として生まれる。中学伝習館を経て、1912年5月、陸軍士官学校(24期)を卒業、同年12月、歩兵少尉任官、歩兵第24連隊付となる。1925年11月、陸軍大学校(37期)を卒業。

歩兵第24連隊中隊長参謀本部付勤務、参謀本部員、朝鮮軍司令部付、欧州出張、関東軍鉄道線区司令部付、同鉄道線区司令官、関東軍司令部付などを歴任。日中戦争では歩兵第2連隊長として出征し、河北戡定作戦、徐州会戦に参加。1939年3月、陸軍少将に進級。第2野戦鉄道司令官、第1野戦鉄道司令官などを歴任し、1941年10月、陸軍中将となった。

1942年6月、第8師団長に親補され、満州鶏寧県に駐屯。1944年12月、戦局の悪化に伴いフィリピンに派遣され1945年3月、第41軍司令官を兼務。山岳地帯に籠り持久戦を展開した。

終戦後、戦犯として逮捕された。1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[1]1949年5月、フィリピンマニラ法廷で死刑判決を受けたが減刑され、1953年12月、巣鴨プリズンから釈放された。

栄典

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位階
勲章

親族

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  • 長男 横山英雄(陸軍大尉
  • 長女の夫 河野正(衆議院議員)

脚注

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  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」210頁。
  2. ^ 『官報』第167号「叙任及辞令」1913年2月21日。誤記載:横田静雄
  3. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  4. ^ 『官報』第4705号「叙任及辞令」1942年9月14日。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

関連書籍

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  • 永井均「フィリピンの日本人戦犯の記録について : 横山静雄元中将資料を中心に」『立命館平和研究』第20巻、立命館大学国際平和ミュージアム、151-163頁、2019年3月。doi:10.34382/00008437ISSN 1882-7217https://doi.org/10.34382/00008437 *

関連項目

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