小林伸明
小林 伸明(こばやし のぶあき、1942年〈昭和17年〉3月26日[1] - 2019年〈令和元年〉11月25日[1][2])は、日本プロビリヤード連盟 (JPBF) 所属のプロビリヤード選手。和歌山県出身。世界スリークッション選手権大会で12連覇を狙うビリヤードの神様レイモンド・クールマンスを破って世界チャンピオンに輝き、以後「ビリヤードの神様を破った男」「世界の小林」と呼ばれる。アダム・ジャパン専属。子息の小林英明も同連盟に所属している。
獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
ビリヤード | ||
アジア競技大会 | ||
銅 | 2002 釜山 | フリーゲーム(シングルス) |
来歴・人物
編集自分で作った小さいビリヤードテーブルを使ってビリヤードを始めた。父親がビリヤード場の経営を行っており、そこに来店する客がプレイする様子を見ながら、ボールの挙動に心を奪われ、追求していくことになる。
ビリヤードで日本一になり、世界に挑みたかったと望み、1962年に日本プロ選手会(現JPBF)へ入会。様々な個性を持つプロ達に揉まれて自分を伸ばし、自分の道を見つけようと思った[3]という。その願いが叶い、1971年に全日本スリークッション選手権で優勝、1974年まで4連覇。4連覇した同年の1974年にはアントウェルペンで開催された世界スリークッション選手権大会でレイモンド・クールマンスを破り、スリークッション競技で日本人初となる世界チャンピオンとなった。
1982年にはメキシコで開幕となった第1回世界スリークッションタッグ戦で小森純一と組み優勝。続く第2回大会(1985年)でも優勝し、連覇を遂げた。個人戦でも1984年に再度、世界スリークッション選手権大会で優勝した他、1986年に開幕となったBWAワールドカップスリークッションでブリュッセル大会、ファンケンブルク大会と2度の優勝を飾り、1988年にも同ワールドカップで3度の優勝を果たすなど、世界へその実力を知らしめた。1990年代に入ってもスリークッションジャパンカップ、全日本スリークッション選手権などで連覇するなど、日本のスリークッション界を牽引し続けた。
主な成績
編集- 1971年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1972年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1973年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1974年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 世界スリークッション選手権 優勝
- 1978年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1980年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1982年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 世界スリークッションタッグ選手権 優勝(小林伸明、小森純一)
- 1983年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1984年
- 世界スリークッション選手権 優勝
- 1985年
- 世界スリークッションタッグ選手権 優勝(小林伸明、小森純一)
- 1986年
- BWAワールドカップスリークッション(ブリュッセル大会、ファンケンブルク大会) 優勝
- 1988年
- BWAワールドカップスリークッション(アントウェルペン大会、マドリード大会、スパ大会) 優勝
- 1991年
- スリークッションジャパンカップ 優勝
- 1992年
- スリークッションジャパンカップ 優勝
- 世界スリークッションタッグ選手権 優勝(小林伸明、小森純一)
- 1993年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1994年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1995年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 1998年
- スリークッションジャパンカップ 優勝
- 1999年
- 全日本スリークッション選手権 優勝
- 2002年
- アジア競技大会(フリーゲーム・シングルス) 銅メダル
メディア出演
編集書籍
編集- NHK趣味講座 ビリヤード入門
- ザ・ビリヤード
- キング・オブ・ザ・ハスラー2(原案協力)
- メイン・テーマ(宮本輝対談集、「ビリヤードと文学と」)
脚注
編集- ^ a b Frits BAKKER (2019年11月25日). “Japanese two times world champion Kobayashi (77) passed away” (English). Kozoom Multimedia. 2019年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月27日閲覧。
- ^ “[訃報]小林 伸明 選手ご逝去の報”. 日本プロビリヤード連盟 (2019年11月26日). 2019年11月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月27日閲覧。
- ^ 参考:アダム・ジャパン