松井 政吉(まつい まさきち、1906年明治39年)3月27日 - 1993年平成5年)9月19日)は、日本政治家日本社会党衆議院議員(当選6回)。日本対外文化協会理事長、日本電信電話公社経営委員会委員。

略歴

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新潟県南魚沼郡五十沢村(現南魚沼市)生まれ。1930年、専修大学卒業。日本運輸労働組合組合長など労組幹部を歴任。1933年、社会大衆党中央執行委員。1949年、第24回衆議院議員総選挙福島3区から出馬し当選。以後当選6回。この間、衆議院逓信委員長、社会党の労働部長、農民部長、組織部長などを歴任。社会党の左右分裂時代は右派社会党に所属していた。

ソ連との関係

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1966年、ソ連政府の提案によるソ連・東欧との交流組織、日本対外文化協会(対文協)を松前重義石原萠記らとともに設立。副会長、理事長を務め、日ソ友好に尽力した。

著作

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  • 『戦後日本社会党私記』自由社、1972年。
  • 『国会断罪・議員追想』自由社、1981年。
  • 『裏方政治家の人生』自由社、1990年。

関連項目

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参考文献

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  • 歴代國会議員名鑑編纂委員会編『歴代國会議員名鑑 中巻』(議会制度研究会、1995年)
議会
先代
松前重義
  衆議院逓信委員長
1957年
次代
片島港