下西文雄
下西 文雄(しもにし ふみお、大正2年(1913年)1月26日 - 平成5年(1993年)4月24日)は日本の政治家。元境港市議会議員[1]。元境港市日朝友好協会会長[1]。元山市との友好都市協定締結に尽力[2]。
下西 文雄 しもにし ふみお | |
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生年月日 | 1913年1月26日 |
出生地 | 鳥取県境港市 |
没年月日 | 1993年4月24日(80歳没) |
出身校 | 早稲田大学政経学部中退[1]。 |
前職 | 中学校教諭 |
称号 | 人民親善勲章(第2級) |
親族 | 安田光昭(鳥取県議会議員) |
第10代境港市議会議長 | |
在任期間 | 1972年9月 - |
第13代境港市議会議長 | |
在任期間 | 1978年9月 - |
第14代境港市議会議長 | |
在任期間 | 1982年9月 - |
第9代境港市議会副議長 | |
在任期間 | 1965年3月 - |
第15代境港市議会副議長 | |
在任期間 | 1971年9月 - |
経歴
編集帰国後、中学校教諭となる。1951年境町助役、1955年から境港市議会議員[1]。正副議長など歴任[1]。
1990年10月第6次訪朝にあたって、金日成主席は、多年にわたる日朝親善につとめる下西文雄団長に「人民親善勲章(第2級)」を贈ってその功労をたたえた。
参考文献
編集- 『私の交遊抄 下』25-32頁 1990年