圜悟克勤
中国の宋代の禅僧
圜悟克勤(えんご こくごん)は、中国の宋代の禅僧。諡は真覚大師。俗姓は駱。字は無著。彭州崇寧県(四川省成都市郫都区)の出身。南宋の高宗から圜悟、北宋の徽宗から張商英仏果の号を賜ったので、圜悟克勤・仏果克勤といい、圜悟禅師、仏果禅師、真覚禅師と敬称される。
圜悟克勤 | |
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嘉祐8年- 紹興5年8月5日 (1063年 - 1135年9月14日) | |
諡号 | 真覚大師 |
生地 | 彭州崇寧県(四川省成都市郫都区) |
宗派 | 臨済宗楊岐派 |
師 | 五祖法演 |
弟子 | 大慧宗杲、虎丘紹隆、瞎堂慧遠 |
著作 | 『碧巌録』、『撃節録』 |
生涯
編集幼くして出家し、諸処の高僧のもとで修行し、最後に五祖法演の弟子となった。のち金山に行き病を得て、再び五祖法演のもとに戻り、法を嗣いだ。のち、翰林の郭知章の請によって六祖寺、及び昭覚寺で説法した。政和年間に南遊し、尚書右僕射張商英に会い華厳の玄旨を談じた。張商英の帰依を受け夾山寺に居した。当時、容仏派の成都府知府郭知章・枢密鄧子常などは、彼の援護者として名高い。
のち、潭州道林寺、建康府蔣山太平興国寺、東京天寧寺、潤州金山竜游寺、南康軍建昌雲居山真如院の諸刹に歴住し、昭覚寺・夾山寺・道林寺に住する間に、雪竇重顕の『雪竇頌古』を提唱し、垂示・著語・評唱したものが公案集で名高い『碧巌録』であり、また、『雪竇拈古』を提唱したものが『撃節録』である。
門下には、大慧宗杲や虎丘紹隆をはじめ百余人がある。没後、虎丘紹隆と若平によって『圜悟仏果禅師語録』二十巻が編され、子文によって『圜悟禅師心要』二巻が編録された。
大慧宗杲に批判的な道元の『正法眼蔵』に「生也全機現、死也全機現」(全機・心身学道)、「生死去来、真実人体」(諸法実相)、「盤走珠、珠走盤。偏中正、正中偏。羚羊掛角無蹤跡。猟狗遶林空踧蹐」(春秋)等圜悟克勤の言葉が多く引用されている。
著作
編集- 『碧巌録』十巻
- 『撃節録』二巻
- 『圜悟仏果禅師語録』二十巻
- 『圜悟禅師心要』二巻
伝記
編集- 『圜悟禅師傳』
- 『五灯会元』巻十九
- 『続伝灯録』巻二五
- 『嘉泰普灯録』巻十一