大慧宗杲
大慧宗杲(だいえ そうこう、元祐4年(1089年) - 隆興元年8月10日(1163年9月9日))は、中国の宋代の臨済宗の僧。諡は普覚禅師。俗姓は奚。字は曇晦。号は妙喜・雲門、または仏日大師。宣州寧国県の出身。
大慧宗杲 | |
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1089年 - 1163年 | |
号 | 妙喜・雲門 |
諡号 | 普覚禅師 |
尊称 | 仏日大師 |
生地 | 宣州寧国県 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 楊岐派 |
師 | |
著作 | 『大慧普覚禅師書』 |
真の禅法をめぐって編集
曹洞宗に属した宏智正覚と、真の禅法をめぐって激しく対立した。宗杲は、公案を用いることによって言語による思考に大きな疑問を抱えつつ坐禅し、その疑問を打ち破ることにより悟りへと向かうという、臨済宗の禅法を正しいものと認めた。対立する正覚は、悟りという目標を設定することによって無明と悟りという二元論的構造が生じることを避けるために、坐禅すること自体が坐禅の目的であるような自己完結的な禅法の中で本来具有している仏性が顕れるとしたので、宗杲はこれを「黙照禅」と呼んで批判した。
この臨済宗と曹洞宗の理論的な対照は、宗杲と正覚の当時から現在の日本にまで継続している。しかし当時の中国社会では、宗杲の理論が支持を受け、臨済宗が大いに隆盛することとなった。