今村忠助
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今村 忠助(いまむら ちゅうすけ、1899年2月12日[1] - 1954年12月16日)は、日本の政治家。衆議院議員(4期)。自由党吉田派。
今村忠助 いまむら ちゅうすけ | |
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生年月日 | 1899年2月12日 |
出生地 | 長野県下伊那郡座光寺村(現飯田市) |
没年月日 | 1954年12月16日(55歳没) |
出身校 |
立教大学商学部 日本大学文学部 |
前職 | 日本大学講師 |
所属政党 |
(革新社会党→) (民主自由党→) (自由党) |
称号 |
正五位 勲三等瑞宝章 |
選挙区 | 長野3区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1947年4月26日 - 1954年12月16日 |
経歴
編集- 1899年(明治32年)- 長野県下伊那郡座光寺村(現飯田市)生まれ
- 旧制大成中学卒業(同期に伊能繁次郎)
- 1926年(大正15年)- 立教大学商学部卒業
- 1928年(昭和3年)- 日本大学文学部卒業
- 1937年(昭和12年)4月 - 日本大学統制部主事兼講師
- 1947年(昭和22年)- 第23回衆議院議員総選挙長野3区初当選(革新社会党)。以後4期務める。
- 1949年(昭和24年)3月 - 議院議院運営委員会理事
- 10月 - 衆議院観光事業振興方策樹立特別委員会理事
- 1950年(昭和25年)- 衆議院議事進行係
- 1951年(昭和26年)12月11日 - 第3次吉田第2次改造内閣文部政務次官
- 12月26日 - 第3次吉田第3次改造内閣文部政務次官
- 1954年(昭和29年)12月16日 - 現職議員のまま死去、55歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[2]。
著書
編集- 『世界遊記』
- 『ブラジル物語』
- 『フィリピンの性格』
- 『躍進アメリカを観る』
脚注
編集参考文献
編集- 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』(衆議院、1990年11月)