歌川国盛 (2代目)
江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師
来歴
編集三代目歌川豊国の門人、俗名仙太郎。歌川の画姓を称し、はじめ春升、胡蝶園、のちに一宝斎、一龍斎、一麗斎、春暁斎、蝶園と号す。本郷四丁目に住む。弘化3年(1846年)版行の「丙午歳五月十六日土水性の人うけに入」に「春升改一宝斎国盛画」の落款があり、この年に春升から国盛に改名している。作画期は天保後期から万延の頃にかけてで、錦絵の美人画のほか、合巻、噺本の挿絵などを数多く描いた。生没年は不明だが、明治14年(1881年)3月出版の『浮世画手本』には「故人」とあるので、これよりさほど遡らぬ時期に没していたのがうかがえる。
作品
編集- 『江戸名所古跡物語』1冊 合巻 ※自画作、表紙に「胡蝶園作」、「春升画」。序文に「天保十六巳立春」とあるが、天保15年12月2日には弘化に改元しているので、それ以前に翌年一月の刊行を見越して製作されたものと見られる。
- 『縁取ばなし』1冊 噺本 ※鼻山人作、弘化2年(1845年)刊行
- 『おとしばなし一口茄子』1冊 噺本 ※嘉永2年(1849年)刊行
- 『女郎花五色石台』 合巻 ※安政2年(1855年)第七編の挿絵を国盛が担当
- 『児雷也豪傑譚』 合巻 ※国盛が二十九編から三十一編までの挿絵を担当(安政3 - 4年)
- 『伊呂波文庫』初編・2編 合巻 ※柳煙亭種久作、安政6年(1859年)刊行
- 『落咄流行尽』1冊 噺本 ※鼻山人作、万延2年(1861年)刊行
- 『落はなし』1冊 噺本 ※鼻山人作。春升改国盛画
- 「六玉川」 中判錦絵揃物 ※天保末期頃
- 「横綱秀ノ山土俵入之図」 大判錦絵3枚続 ※弘化・嘉永頃
- 「近江八景之内 堅田落雁」 錦絵 大英博物館所蔵
- 「近江八景之内 瀬田夕照」 揃物
- 「日々倹約一年の積高」 錦絵 ※刊行年不明
- 「若紫由可理双禄」 錦絵、絵双六 ※立亭光彦作、一宝斎国盛画。刊行年不明
- 「さかなのはんじもの」 錦絵 ※刊行年不明
参考文献
編集- 日本浮世絵協会編 『原色浮世絵大百科事典』(第2巻) 大修館書店、1982年
- 国際浮世絵学会編 『浮世絵大事典』 東京堂出版、2008年
外部リンク
編集- 艶色品定女二代歌川国盛、1852年頃