正栄尼(しょうえいに、生年不詳 - 慶長20年5月7日1615年6月3日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。豊臣秀頼乳母。父は明智光秀浅井長政など、様々な説がある。

生涯

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渡辺昌の妻となり、渡辺糺つるを出産した。後に豊臣秀頼の乳母となった。

慶長19年(1614年)、京都方広寺鐘銘問題を機に豊臣家徳川家康との関係が悪化すると、大蔵卿局とともに江戸幕府との折衝により、家康と直接面会して弁解することに成功した。大坂に戻った後、意見の食違った片桐且元を糾弾。且元は大坂城を退去することとなった。

慶長20年(1615年)5月7日、大坂夏の陣にて、淀殿・秀頼に先立ち、渡辺糺を介錯し、自害した。戒名は往相院西誉正栄大姉清涼寺に肖像画がある。

出典

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