福島 幸雄(ふくしま ゆきお、1928年〈昭和3年〉6月8日[1] - 2001年〈平成13年〉1月11日)は、NHKアナウンサー

ふくしま ゆきお
福島 幸雄
プロフィール
出身地 東京
国籍 日本の旗 日本
生年月日 1928年6月8日
没年月日 (2001-01-11) 2001年1月11日(72歳没)
最終学歴 千葉外事専門学校
ジャンル スポーツ
担当番組・活動

来歴・人物

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東京生まれ。日本大学第一中学校(現在の日本大学第一高等学校)を経て、千葉外事専門学校(現在の麗澤大学)を卒業した[2]

1949年(昭和24年)、NHKにアナウンサーとして入局した[3]。同期には八木治郎小川宏といった、後に民放のワイドショーで司会を担当するアナウンサーがいた。

1960年(昭和35年)から2年間、アメリカワシントンVOAに出向し[2]東京オリンピックをはじめとしたスポーツ実況[4]、『ニュースセンター9時』(NC9)のスポーツコーナー、『スポーツアワー』の司会などスポーツキャスターの草分けとして活動し、夏冬で5回の五輪を担当した[3]

1985年(昭和60年)に定年退職した後も、NHKワールド・ラジオ日本などに出演した[3]

2001年1月11日、大腸癌のため死去した。72歳没[3]

NC9スポーツキャスター

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5年間スポーツキャスターを務めたNC9では、スポーツを通じての人間ドラマを伝え、勝敗の結果だけだったニュース番組に「スポーツコーナー」の枠を定着させた[3]1974年(昭和49年)10月14日の最大のニュースは、長嶋茂雄の引退であった。その夜、長嶋は福島の求めに応じ、新調のスーツで生出演する約束になっていた[5]。そこで福島は、何とか長嶋引退をトップニュースに、と頼み込んだが、局内では「スポーツごときをトップにするなどとは…」という雰囲気が圧倒的だった[5]。それでも福島はあきらめきれず、頭を下げてトップに懇願すると編集長兼キャスターの磯村尚徳がひと言「やりましょう」と応じ、福島は感激した[5]。初期の頃、スポーツをトップに持ってきたのは、この長嶋引退試合と北の湖の最年少横綱昇進ニュースの2つだけで、当時はまだ批判が強く、NHK内では勇気のいる判断だった[5]

出演番組

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脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.523
  2. ^ a b https://www.city.misawa.lg.jp/index.cfm/12,20955,c,html/20955/0197-S5210.pdf
  3. ^ a b c d e 『毎日新聞』2001年1月13日 27頁
  4. ^ NHK年鑑'65 1965, p. 73.
  5. ^ a b c d 嶌 1995, p. 125.

参考文献

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  • 日本放送協会 編『NHK年鑑'65』日本放送出版協会、1965年。 
  • 嶌信彦『メディア 影の権力者たち』講談社、1995年4月。ISBN 978-4062076289