赤尾 彦作(あかお ひこさく 慶応3年4月15日1867年5月18日) - 昭和28年(1953年11月26日)は、日本の政治家弁護士実業家衆議院議員横浜弁護士会会長。

赤尾彦作

経歴 編集

1867年(慶応3年)-甲斐国(現山梨県)に生まれる。

1889年(明治22年)-和仏法律学校(現在の法政大学)を卒業し、1893年(明治26年)に横浜市弁護士を開業する。

1902年(明治35年)-横浜市会議員当選(以後1942.9まで連続10期当選)する。

1903年(明治36年)-横浜電気軌道株式会社取締役に就任し、1909年(明治42年)平沼銀行を創立に参画し、同年横浜取引所顧問に就任する。

1917年(大正6年)-第13回衆議院議員総選挙に出馬し、当選(立憲政友会)する。

1932年(昭和7年)-横浜弁護士会会長に就任する。

1942年(昭和17年)-横浜市顧問、1946年(昭和21年)横浜市監査委員に就任する。

1953年(昭和28年)11月26日-死去。

人物 編集

横浜市の政友派勢力の指導的人物で、民政派の三宅磐と共に、大正末から昭和戦前期にかけて、横浜の「協調市政」時代を創った。

戦後は横浜市の監査委員を務め、大正から昭和戦後期にかけて、横浜市政に関わった長老政治家である。

参考文献 編集

  • 『市史研究よこはま4号』(1990)
  • 『市史研究よこはま5号』(1991)

外部リンク 編集