石川 義當(いしかわ よしまさ)は、江戸時代前期の旗本。貞當系石川家(大島石川家)2代。

 
石川義當
時代 江戸時代前期
生誕 正保4年(1647年
死没 享保元年2月24日1716年3月17日
別名 八郎左衛門
戒名 大厳院殿浄誉秀感得恵
墓所 西久保大養寺(現東京都世田谷区大吉寺)
幕府 江戸幕府 旗本
主君 徳川家光家綱
氏族 上野氏石川氏
父母 父:石川貞當、母:鷲尾隆量の娘
正室:三枝守俊の娘
後室:高瀬(中条大和守息女、坊城家女中)
総乗上野當時正幸大久保忠尚養子)
女子(石川総昌室)、女子(吉川広紀室)
総因、日違上人、當休(本家家臣)
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生涯

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正保4年(1647年)石川貞當の嫡男として誕生。母は、鷲尾隆量権大納言)の娘である。承応2年6月29日(1653年7月23日)父死去に伴い遺跡を継ぎ旗本寄合席に列する。生後外祖母の姓上野氏を称していたが、承応3年2月19日(1654年4月6日)将軍徳川家綱に拝謁し、石川姓に復した。元禄12年12月5日(1700年1月24日)致仕し、享保元年2月24日(1716年3月17日)江戸水道橋の屋敷で死去する。

参考文献

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関連項目

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