安田耕之助
安田 耕之助(やすだ こうのすけ、1883年(明治16年)3月16日[1] - 1944年(昭和19年)12月28日)は、衆議院議員(立憲民政党)、京都市長、大蔵官僚。京都市会議長。
経歴
編集京都市に、安田平四郎の二男として生まれる[2]。1908年、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、翌年に文官高等試験行政科試験に合格[2]。大蔵省に入省し、税務監督属、司税官、税務監督局事務官、税関事務官、税務監督官、大蔵事務官兼朝鮮総督府事務官を歴任した[3]。
1925年、京都市長に選出され、1927年まで在任した。1930年には第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。1942年から1944年まで京都市会議長を務めた[4]。
脚注
編集参考文献
編集- 『自治制実施五十周年記念 全国市長銘鑑』帝国自治協会、1938年。
- 『第一回乃至第二十回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1940年。