高木貞作
幕末の桑名藩士
高木 貞作(たかぎ ていさく、嘉永元年11月23日(1848年12月18日) - 昭和8年(1933年)1月14日)は、幕末の桑名藩士で、新選組隊士。後、商法講習所(現・一橋大学)で教鞭をとり、銀行家となる。通称、剛次郎。変名は神戸四郎。
経歴
編集戊辰戦争時、藩主・松平定敬の命を受けて、山脇隼太郎と共に恭順派の家老・吉村権左衛門を殺害。定敬の後を追って蝦夷地へ渡る。渡航後は土方歳三配下の新選組に所属し、箱館戦争に参戦。
敗戦後、明治5年(1872年)に釈放されたが、家老殺害の罪を避けて渡米した。アメリカ合衆国で商法を学んで明治8年(1875年)に帰国。
商法講習所設立に携わり、商業簿記の助教授に就任した。その後、明治11年(1878年)には第十五国立銀行に入行し、明治15年(1882年)には、横浜正金銀行に移る。横浜正金銀行では、ニューヨーク出張所主任、神戸支店支配人を歴任し、明治31年(1898年)まで勤務した。その後、古巣の十五銀行に戻り、支配人を勤めたが、病気の為に退職した。