三好和夫

日本の医学者、医師

三好 和夫(みよし かずお、1914年10月25日[1] - 2004年11月9日)は、医学者医師。専門は神経筋疾患学・血液学[2]

三好 和夫
人物情報
生誕 (1914-10-25) 1914年10月25日
日本の旗 日本 東京都
死没 2004年11月9日(2004-11-09)(90歳没)
日本の旗 日本 徳島県鳴門市
学問
研究分野 医学
研究機関 東京大学徳島大学
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経歴

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1914年、東京生まれ。東京大学医学部で血液学を研究した[3]

1954年3月、第五福竜丸操業中に被爆(ビキニ事件)した乗組員の診察と治療にあたった。その後、東大付属病院(現:東京大学医学部附属病院)と米軍医団共同の原子爆弾影響合同調査団に参加。1955年4月1日京都市で開かれた第14回日本医学会総会において、熊取敏之(国立東京第一病院)とともに「ビキニ放射能の臨床的、血液学的観察」と題して発表した。「久保山愛吉さんの死因は単なる肝臓障害ではなく、死の灰によって致死量以上の放射線を受けたため」と、アメリカ合衆国側の見解に反論した[4]。また、ビキニ事件に遭った「ほかの船舶の乗組員の調査も必要だ」と主張していた[5]

徳島大学医学部附属病院に移る。1967年、常染色体劣性遠位型筋ジストロフィーについて報告した[6]。1980年より医学部長を務め、退任後は徳島大学名誉教授となった。学界では、日本電気泳動学会会長をつとめた。2004年11月9日、肺炎のため死去。

受賞・栄典

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脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.594
  2. ^ 三好和夫氏死去 徳島大名誉教授”. 『共同通信』 (2004年11月10日). 2015年2月5日閲覧。
  3. ^ 加藤周一『続 羊の歌―わが回想―』岩波新書、1968年
  4. ^ ヒロシマの記録1955 4月”. 『中国新聞』ヒロシマ平和メディアセンター. 2015年2月5日閲覧。
  5. ^ (ビキニ60年)亡き船医「おれの身体が証拠」”. 『朝日新聞』 (2014年2月28日). 2015年2月5日閲覧。[リンク切れ]
  6. ^ Miyoshi K, et al., Four cases of distal myopathy in two families. Jpn. J. Hum. Genet. 12: 113. (1967)
  7. ^ 日本電気泳動学会総会 歴代総会長