羊玄之
羊 玄之(よう げんし、? - 太安2年9月22日[1](303年10月19日))は、中国の西晋の外戚。恵帝の皇后羊献容の父。本貫は泰山郡南城県。
経歴
編集羊瑾(羊琇の兄)の子として生まれた。はじめ尚書郎となった。永康元年(300年)、娘が皇后に立てられたため、玄之は光禄大夫・特進・散騎常侍の位を受け、興晋侯に封じられた。後に尚書右僕射に転じ、侍中の任を加えられ、爵位を公に進めた。
太安2年(303年)8月、河間王司馬顒と成都王司馬穎が長沙王司馬乂を攻撃したとき、司馬顒らは玄之と皇甫商を討つことを挙兵の名目とした。9月、玄之は憂懼の末に死去した。車騎将軍・開府儀同三司の位を追贈された。
脚注
編集- ^ 『晋書』巻4, 恵帝紀 太安二年九月癸巳条による。
伝記資料
編集- 『晋書』巻93 列伝第63