長谷川 為治(はせがわ ためはる、嘉永元年8月13日[1](1848年9月10日) - 昭和13年(1938年)5月7日[2])は、大蔵官僚。錦鶏間祗候[2]。
山口県出身。1868年(明治元年)、兵庫県、ついで大蔵省に出仕。1870年(明治3年)に造幣権助に任じられ、太政官出仕を経て、1893年(明治26年)に造幣局長に任命された。1913年(大正2年)、退官[3]。1914年(大正3年)4月7日、錦鶏間祗候を仰せ付けられた[4]。