高橋芝山
明治時代の洋画家
高橋 芝山(たかはし しざん、万延元年(1860年) - 大正6年(1917年))は、明治時代の洋画家。本名は高橋勝蔵(たかはし かつぞう)。芝山と号した。
来歴
編集陸奥国亘理郡(現・宮城県亘理郡亘理町)出身。明治4年(1871年)、亘理伊達氏の開拓団と共に北海道に移住[1]。明治8年(1875年)から明治10年(1877年)にかけて、電信技術修業のため上京。日本画家を志したが、その後、明治18年(1885年)に渡米し、アメリカのサンフランシスコ美術学校で西洋画を学び、明治24年(1891年)に首席で卒業。明治26年(1893年)にシカゴ万国博覧会で一等賞を獲得し、帰国[2]。芝に芝山研究所を設立して徒に教えた。
明治30年(1897年)頃、小林清親に入門した。川村清雄、2代目五姓田芳柳の巴会にも参加した[2]。第3回文展に『桃』を、第4回文展に『甲州葡萄』を出品、入選を果たす。晩年には北海道に戻り、大正6年(1917年)没[3]。享年57。
作品
編集参考文献
編集- 吉田漱 『開化期の絵師 清親』 緑園書房、1906年
- 荒木矩編 『大日本書画名家大鑑 伝記下編』 第一書房、1975年
- 笠間日動美術館編 『日本近代洋画への道 高橋由一から藤島武二まで』 笠間日動美術館、2009年
脚注
編集- ^ 吉見俊哉「博覧会と列品の思想」(東京大学創立百二十周年記念東京大学展 学問の過去・現在・未来 第一部 学問のアルケオロジー)
- ^ a b いのは画廊アーカイブ
- ^ 『大日本書画名家大鑑 伝記下編』。