上原七之助
上原 七之助(うえはら しちのすけ、1898年(明治31年)12月27日[1] - 1945年(昭和20年)2月6日[1][2])は、昭和期の政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴
編集本籍・宮崎県[2]。陸軍将校・上原勇作の長男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1933年(昭和8年)家督を継承し[1][3]、1934年(昭和9年)1月15日、子爵を襲爵した[1][3][4]。
父は七之助に軍職を進めなかったことから大学へ進み[5]、1925年(大正14年)3月、東京帝国大学経済学部を卒業[2][3]。同年、東京海上火災保険に入社[2]。その後、南満州鉄道嘱託などを務めた[2]。
1938年(昭和13年)9月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に属して活動し、死去するまで二期在任した[2][8]。
親族
編集脚注
編集参考文献
編集- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代 上原勇作 |
子爵 上原(勇作)家第2代 1934年 - 1945年 |
次代 上原尚作 |