高倉 一二(たかくら かずじ、大正9年(1920年5月21日平成16年(2004年2月14日[1])は、昭和から平成前期時代にかけての日本の洋画家。富山県美術連合会副会長、富山洋画家連盟委員長を歴任。

高倉一二
生誕 1920年5月21日
富山県高岡市
死没 (2004-02-14) 2004年2月14日(83歳没)
富山県高岡市
国籍 日本の旗 日本
著名な実績 洋画家
テンプレートを表示

経歴

編集

大正9年(1920年)富山県高岡市に生まれる。1947年、第33回光風会展に「盆踊り」で入選、第2回富山県展(審査員に織田一磨伊藤四郎)に「瑞龍寺山門」で商工会議所会頭賞。1950年第6回日展に「新港漁場」で入選。以後、1952年に高光一也を中心に手塚義三郎丸山豊一らと共に北陸光風会を設立し光風会と日展(入選33回)を舞台にする。1973年に高岡市文化功労表彰、1984年に富山県文化功労表彰、1991年に勲五等瑞宝章。2004年2月14日、呼吸不全のため死去[1]

作品

編集
  • 「盆踊り」
  • 「瑞龍寺山門」[2]
  • 「新港漁場」[3]
  • 「春雪」
  • 「雪径」
  • 「清幽」
  • 「クウェンカー所見」
  • 「残雪の妙高」[4]

書籍

編集
  • 『暗中摸索』 北国出版社, 1985.6[5]
  • 『郷土の画壇・美術教育に尽した功労作家たち』 高岡市美術館(企画展 高岡近代洋画の歩み),1992.3[6]

出典

編集

関連項目

編集