萩 三郎(はぎ さぶろう、1895年明治28年)10月22日[1][2] - 1964年昭和39年)9月5日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

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石川県出身[1][2][3]陸軍中央幼年学校予科中央幼年学校本科を経て、1917年(大正6年)5月、陸軍士官学校(29期)を卒業[1][2][4]。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第35連隊付となる[1][4]。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を卒業した[1][2][3]

1926年(大正15年)8月、歩兵大尉に進み歩兵第35連隊中隊長に就任[1]。同年12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員を経て、1929年(昭和4年)3月、陸軍兵器本廠付に発令され、同年4月から1932年(昭和7年)3月まで、陸軍派遣学生として東京帝国大学法学部政治学科で聴講した[5]。1932年3月、軍務局課員となり、同年8月、歩兵少佐に昇進[1]。同年11月、歩兵第6連隊大隊長に就任し、第19師団参謀教育総監部課員、人事局課員を務め、1936年(昭和11年)8月、歩兵中佐に進む[1]。1937年(昭和12年)11月、関東軍参謀に就任し、1938年(昭和13年)7月、歩兵大佐に昇進した[1][3]

1939年(昭和14年)5月、第5軍参謀に就任[1][3]。1940年(昭和15年)9月、東部軍参謀に発令され帰国[1][2][3]。1942年(昭和17年)3月、第26師団参謀長に発令され蒙古に赴任し、同年8月、陸軍少将に昇進[1][2][3]。1943年(昭和18年)9月、第4軍参謀長に就任し満州に赴任[1][2][3]。1944年(昭和19年)12月、第5方面軍参謀長に発令され帰国[1][2][3]。1945年(昭和20年)4月、陸軍中将に進み[1][3]北海道防備に従事して終戦を迎えた[2]。同年12月、予備役に編入[1]。1946年(昭和21年)6月、北部復員連絡局長に就任した[1]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本陸海軍総合事典』第2版、123頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』570頁。
  3. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』407頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』403、407頁。
  5. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版。123、611頁。
  6. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」21頁。

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。