菅原 道長(すがわら の みちなが、生没年不詳)は、奈良時代貴族氏姓土師宿禰のち菅原宿禰、菅原朝臣菅原古人の子か。官位従五位下山城介

経歴

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淳仁朝天平宝字5年(761年摂津少属の官職を帯びていた記録がある。

天応元年(781年)4月に桓武天皇即位にともない、和国守武生鳥守らとともに従五位下に昇叙している。同年6月、同族の土師古人ら一族15名とともに、居住地の大和国添下郡菅原邑に因んで菅原宿禰に改姓する。延暦9年(790年)12月に秋篠安人とともに宿禰姓から朝臣姓に改姓し、翌延暦10年(790年)正月に秋篠安人とともに内位従五位下に叙せられている。また、時期は不明ながら山城介を務めた。

備考

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『万葉集』巻第十七に収録されている

ぬばたまの 夜はふけぬらし 玉櫛笥(たまくしげ)二上山(ふたがみやま)に 月傾きぬ[1]

は「史生土師宿禰道良」の歌だが、この「道良」は「道長」のことではないか、とも言われている(「道良」は「みちなが」とも読めるため)。

官歴

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注記のないものは『続日本紀』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『万葉集』3955番
  2. ^ 東大寺正倉院所蔵の東南院文書
  3. ^ 中田憲信『好古類纂』第8集「菅公系譜」
  4. ^ 『菅家御伝記』

参考文献

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