芝山 正親(しばやま まさちか)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将旗本江戸幕府支配の初代堺政所(堺奉行)を務めた。

 
芝山正親
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 弘治元年(1555年
死没 寛永14年9月16日1637年11月2日
別名 正和、小兵衛
戒名 道本
墓所 法禅寺(東京都江東区
幕府 江戸幕府伏見奉行堺政所
主君 徳川家康
氏族 称・宇多源氏流芝山氏
父母 父:芝山正員
兄弟 正清正親正次正綱
野辺正久の娘
女(横地安信の妻)、正信
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生涯

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正員とともに徳川家康に仕える。長篠の戦いでは使番として前線に赴いている。天正18年(1590年小田原征伐に従軍。慶長7年(1602年長田吉正とともに伏見奉行に任じられ、近江国内に500石を与えられた。慶長10年(1605年)父が没するとその遺領も継承して800石となる。慶長19年(1614年堺政所に任じられ、以後堺政所は幕府直轄の奉行となった。同年に起きた大坂冬の陣では豊臣軍に奉行所を包囲されたが、そのとき眼病を患っていたため、やむなく弟の正綱を残して岸和田宝隆寺へと後退した。このとき正綱は奉行所で豊臣軍と戦って戦死している。徳川軍本隊が大坂城を包囲するとこれに加わったが、戦後は職を辞した。寛永14年(1637年)死去。家督は外孫にあたる正信が継いだ。

出典

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